・「いったい、
どこから脳軟化症、
なんて出て来たんや、
わたしゃただの風邪ですよ」
「いえね、
箕面の須美子さんの親類に、
いらっしゃるんですって
ふだんは人よりしっかりして、
あたまのいいお婆さんが、
そんなになって、
お腰巻き一つで外へ出て、
牛乳配達の兄ちゃんに、
色目使うんやそうです
人よりしっかりした人が危ない、
といいますから、
お姑さんなんか、
心配ですわ」
もうもう、つきあいきれない
「お手伝いにあがりましょうか」
というが、
なに、嫁たちはもし私が、
脳軟化症になりエロ婆になったら、
どこへ押し付けようかと、
今からせりあっているのであろう
「西宮のマサ子が来るっていうから」
と断った
次にかかったのは三男の嫁である
「お姑さんの病気は、
一人で暮らしていらっしゃるための、
精神的重圧から来てますのよ
そこへもってきて、
こう申しちゃなんですけど、
トシヨリはトシヨリ同士で、
お付き合いになればいいのに、
お姑さんたら、
若い人と付き合うのが好きですから、
それによるストレスもあると思います
肉体精神ともに過重な圧迫を、
受けきれず緊張の極みに達して、
それがバランスを失った、
というのがお姑さんの症状じゃないか、
と・・」
「あんた千里眼やねえ、
須美子さん
私を見んでもわかるんですか?」
「わかるつもりですわ
お姑さんは風邪だろ思っていらっしゃる、
らしいけど案外大病の前じらせで、
そのうち爆発するってことがありますから」
「須美子さん、
あんたのような人を、
昔の船場では『牛のおいど』
いいますねん」
「は?どういう意味ですか」
船場のしゃれ言葉は、
屁理屈いいの大学出にも分からぬらしい
おいどはお尻、
牛のおしりというのは、
モーシリ、「物知り」を、
ひやかしていった苦しいシャレである
「いえね、
何でもよう知ってはる、
いうこと」
「そうでもないですけど」
嫁はいささか得意そう、
阿保かいな、
何でも知識ふりまわしたらええ、
いうもんとちがう
相手の知らぬことをいうときは、
恥じらいをもっていうべきである
それがほんまの「牛のおいど」、
ほんまの文化人ではないか
何でも知ったかぶりをするのは、
アサㇵかであるが、
ほんまによう知ってることでも、
人に教えるということは、
なまなかにできることやない
教えるというのは恥、
はずかしいことなのである
大体知識いうのは、
本に書いてあることをそのまま伝え、
教えるのは私なら、
気恥ずかしい
知ってるということは、
恥じらいのかたまりである
そういうことも知らず、
嫁は得々としている
もっとも嫁が電話してきたのは、
それを教えるためではなく、
「それはそうとお姑さん、
お一人で寝てらっしゃると、
お不自由でしょうし、
これ以上爆発になってもいけませんから、
やはり西宮か豊中へ、
同居なすったらいかがですか
爆発してから同居なさったら、
お互い感情的にスムースに、
いかないでしょうし、
今の前じらせの段階のうちに、
同居していらしたら、
すんなりといくんじゃないか、
と思いますけどねえ・・・」
「ご心配はありがたいけど、
その爆発が案外不発で、
しぼんでしまうかもしれへんし、
同じことやったら、
一人で爆発するのが、
ええかもしれへん
エロ婆さんになって、
せえだいこの八階から、
お腰巻きでも降り廻そかしらん
ヘリコプターでテレビのニュース取りに、
来はるかもしれまへんで
あんたとこの銀行のマーク、
お腰巻きに染め抜いといたら、
ええ宣伝になってよろしおまっしゃろ」
「ま、お姑さんたら」
嫁は絶句してしまう
息子も嫁も勤め先の銀行を、
こよないものと思い、
ふたこと目には自慢たらたら、
夫婦して、
「ウチの銀行が」
「ウチの銀行は」
とさりながら自分が銀行のオーナーか、
頭取のようなことをいうので、
私はちょいとからかってやったのである
そのうち、
孫娘の女子短大生である、
マサ子が食べ物を持ってやって来た
ちりめんの風呂敷に包んだ、
松花堂弁当と、
パックに入ったおつゆである
「おばあちゃん、
今食べるのやったら、
おつゆぬくめよか」
とマサ子はいう
「もっとあとの方がよろし」
「何か用事ある?」
マサ子は寝室へ入ってきていうが、
所在なさそうで、
自分から気を利かして考える、
ということがない
それより私は、
マサ子の化粧が毒々しいのに、
目がいってしまう
「若い娘やから、
もっと控えめに、
目立たんお化粧したらどうですねん」
「・・・」
「ほほ紅なんか、
猿(えて)のおいどやな、まるで」
「そうかて、みんな、こうよ、
今の化粧は」
「目ぇの上、
なんでそないに青う塗りますのや
まるで婦人病患うてる人のようや」
「・・・」
「その服がまた、
のれんみたいにヒラヒラしてるのは、
何やいな、
スーツとかセーターにスカートとか、
もっと娘さんらしい風が、
でけまへんか」
「おばあちゃん、
病気しても口は達者やねえ
そんだけ小言いえたら、
元気な証拠や
ほんならもうよろしやろ」
マサ子は閉口して帰ってしまう
(次回へ)
・「メシ、なんぞ食わな、
死んでしまうやないか」
「今は動くのが大儀でな・・・」
「家政婦呼んだらええやないか」
「あの人もかけもちやさかい、
決まった日ぃにしか、
来てもらわれへん」
「ほな、誰も居てへんのか、
西宮も箕面も来てへんのか、
けしからんな」
と長男と三男のことをいう
「どっこも知らせてへんのや、
ま、寝てたらなおるし、
そのうち家政婦さんも来はる」
「そんなこというて、
一人で抛っとかれへんやないか、
くそ、もう
そやさかい兄貴でもワシのとこでも、
来たらええいうのに」
次男はイライラした声を出す
病気のときに、
この男のイライラ声をきくと、
よけい具合が悪くなる気がする
「来たらええ」いうたって、
こんなうっとうしい男と、
同居なんかとてもできない
その点に関しては全く私は、
息子の嫁たちに感謝している
(ああ、有難い・・・)
と思う
こういう男どもと、
よう連れ添うてくれはるこっちゃ
「西宮の女房(よめはん)あたりが、
いちばん無責任や
電話しとくわ
あしこ長男のくせに」
と次男はいい、
要らざる紛糾のタネをまくことになるに、
決まっているではないか
「もうええ、もうええ、
あたしゃ、一人で寝てるほうが気楽や」
「そない拗ねんでもええやないか」
「拗ねてんのとちがいますがな、
ほんまやねんから」
「なんで病気なんかするねん、
いつも丈夫なくせに
よう気ぃつけんかい!」
次男はボロクソに叱って切る
病気をして叱られていては、
世話はない
この次男は四十八にもなって、
アマエタであるゆえ、
頼りにする私に寝込まれてうろたえ、
毒づいているのである
この息子が「くそ!」と怒るのは、
私に対する甘えの裏返しである
あほかいな、
こういう甘えん坊には、
モヤモヤさんなんかと、
とうてい太刀打ちできない
たちまち、
それから次々電話がかかって、
私を安眠させてくれない
「どないしましてん」
とありったけの不服声は長男
「さっき、
キヨアキから電話あったけど、
病気してんのやて?」
「大したことないけどな、
疲れもあるのかもしれん
ちょっと熱が出て体だるい」
「医者に診せましたんか」
「お昼に往診してもろて、
注射してもろた
おクスリも頂いて」
「誰ぞ居りまんのか、
看護するもん」
「看病なんてたいそうな、
一人でも別条(べっちょ)ない」
「医者て向かいの医者かいな、
医者が来たとき、
お婆ちゃん一人で寝てたんか」
「そや」
「そらまた、恰好わるい、
トシヨリの病人一人抛ったらかして、
医者はさぞ呆れよったやろ
ワシ、あしこの医者に名刺持って、
頼みに行ったぁんねん、
そやよってこっちの顔にも、
かかわりまんがな、
なんで先にウチへ電話で、
知らせへへんねん」
この長男は私の容態より世間体、
「恰好わるい」ということのほうが、
大事な男である
「ほんならうちの治子でも、
行かしまほか」
と女房のことをいった
「あ、もうええもうええ、
治子はんも忙しいことやし、
よろし」
「そんなわけにいかへん、
病人一人抛ったらかしたいうたら、
あとあとまで豊中がうるさい
何いうや分からへん、
ワカラズヤやさかいな、
キヨアキは」
と兄弟でワルクチをいい合い、
張り合っている
私の病気より、
兄弟へのメンツの方が大事なんかいな、
私はいってやる
「お母ちゃんもな、
ひょっとしたら肺ガンかも知れまへんで、
これは」
「あほなこと、
先生、なんぞいうたか?」
長男はうろたえる
「いや、私のカンやけどな
もう生きてても、あと少しやろうし
<この世よりあの世に知り合い多くなり>
というとこや
いま、ふと浮かんだんやけど、
<さればとてせいて行きたいトコでなし>」
私が笑うと長男は、
「冗談やおまへん」
と憤然として、
「こっちゃ、心配してんのに!」
と電話を切ってしまった
夜に入って、
長男の嫁から電話がある
「お姑さん、
お具合いかがですか、
いまお口に合いそうなものを、
マサ子に持たせましたから、
役に立ちませんけど、
使ってやってくださいね
少しはおよろしいんですか
あたし伺えばいいんですけど、
ケンの入試が心配なものですから
いえ、ついていってやるんですよ、
私立ですから早いんですわ
ああもうほんとに、
今年こそと思いますわ、
じゃ、お大事に」
一人でしゃべって切ってしまった
次に次男の嫁からかかってきた
「お姑さん、
まさか脳軟化症、
というような症状は、
ないんでしょうね」
どう返事していいやら、
わからない
「寝たっきりになるのはともかく、
あれは人によっては、
はだかになって、人前に出て、
なんかエロ婆さんという風になったり、
するんですってね
恍惚もいろいろのタイプが、
あるんでしょうけど、
エロ恍惚というのは困りますわね」
「何をいうてんのや、
私はまだそこまで、
いってませんよっ!」
「ごめんなさい、
西宮や箕面と話してたんですけど、
お姑さんはおしゃれで、
お色気のある方ですもの、
もしかしてそっちの方で出たら、
どうしようかと・・・」
息子の嫁たちは、
互いに電話で連絡し合い、
早くも私の先々のことを、
心配しているらしい
モヤモヤさんに応戦する私としては、
寝たきり人生ということも、
考えないではなかったが、
エロ恍惚までは予測していなかった
(次回へ)
・また十日ぐらいして電話すると、
「前沢さんは入院なさいました」
とホームの職員がいった
よっぽど具合が悪いのであろうかと、
心配していたが、
お政どんからの電話で、
彼女が見舞いに行ったところ、
「番頭さん肺ガンの疑いがある、
いうてはりました
正月にも来ん息子さん夫婦が、
来たはりました」
といっていた
うーむ、
モヤモヤさんはそこへ駒をすすめるか
かわいそうに、
私は気が重くなり、
「そうか、
なおってくれたらええのにな」
「へえ、
ワタエも一生けんめい、
拝みにいってます
番頭さんなおらはるように・・・」
「何を拝むのや」
「お鈴教だす」
「お鈴教?」
「鈴を鳴らして拝みますねん
早よ、おナラ出るように・・・」
「けったいなお宗旨やな」
「いえ、
おナラはすっと出ると、
毒素を出しますねん
ガンも切らんとなおした人が、
たんといやはります
おナラしたらなおります」
「ほなまあ、
何なと拝んだげて」
お政どんのお宗旨のおかげで、
私は気がそがれてしまったが、
前沢番頭も、
もしアカンようになったら、
さぞ淋しくなることであろうと、
ふと気落ちしてしまった
涙は出ない
涙というのは、
モヤモヤさんの存在を知らぬ人が、
うろたえまわって流すものである
私は心の中では、
(いつかは前沢番頭とも、
死に別れるやろうし)
(お政どん、おトキどんも、
私より若いけれど、
先にいくかもしれへん)
(いや、
息子らに先立たれる、
ということもあり得る)
といろいろ、
モヤモヤさんの出方を考えており、
突然、不意をつかれた、
ということはなく、
今更涙が出るというのではない
しかし何やしらん、
気落ちする、
がっくりくる、
というのであろうか、
この先、
<この世より
あの世に知りあい
多くなり>
という川柳のように、
なるかもしれない
あとから考えると、
その気落ちのせいで、
モヤモヤさんに不意をつかれた、
のかもしれない
急に体がだるくなり、
熱っぽくなり、
朝は起きるのが大儀になってきた
本物の風邪になってしまった
平素、病気もせず、
便秘も頭痛もないので、
クスリの買い置きもしていない
トーストを食べる気にもならず、
うつらうつらしている
やっと昼前になって、
向かいの医院へ電話して、
老先生の方に往診してもらえないか、
と看護婦さんにたのむ
承知しました、
といってくれたので、
そのへんを片付け、
顔を洗って待っていた
看護婦さんは愛想がよかった
私はお中元とお歳暮は、
先生ばかりでなく、
看護婦さんたちもぬかりなく、
ハンカチセットや、
セカンドバッグやらを、
一人ずつに贈っている
そういうことは小マメに、
しておくものである
午後いちばんの往診で、
「どんな具合ですか」
と物なれた中年の看護婦が、
来てくれる
「珍しいですなあ、
寝込みはるなんて」
というのは老先生ではなく、
大川橋蔵似の若先生である
何やいな、
血圧計るくらいなら、
若先生でもよいが、
病気を診てもらうのは、
老先生のほうがよかったのに
私は若先生の男前はともかく、
腕については一向、
信用していないのである
若先生は舌や咽喉をしらべ、
「湯ざめか何かしらんが、
風邪ひきこみましたな、
注射しよか、
お薬はお婆ちゃん一人やさかい、
あとで持ってこさせますわ
じーっと寝てなあきませんで
誰ぞご家族の人呼んだらどないです」
といった
私はふといってみる
「先生、肺ガンいうような、
心配ありませんか?
ゆうべから咳が出ますけど」
「肺ガン?
そんなはず、ない」
と先生は一笑に附すが、
何をこの橋蔵医者め、
なんでそう断言できるのだ
世の中のこと一切、
断言できることは何もないのだ
何しろモヤモヤさんは、
人の裏を掻くのが大好きなのだから、
断言することは危ないのである
若先生は、
「お婆ちゃん、
元気なときは一人でもええけど、
病気になると、
息子さんにいうて誰かに、
来てもらいなさい
こういうときはなんぼなんでも、
みな心配して飛んできはると思うがねえ」
という
私は風邪かな?と思ったとき、
すぐ医院に電話したけど、
息子に電話することなど、
思いつかなかった
病気したといって、
いちいち呼びつけるくらいなら、
はじめから一人暮らしなど、
できるはずはない
心配して飛んでこられたりすると、
わずらわしい
注射してもらって、
看護婦さんが持ってきてくれた、
おクスリを服むと眠くなり、
眠ってしまった
今日は英会話クラブの日であるが、
休まないとしかたがない
三回ぐらいインターホンが鳴るが、
大儀なので打ち捨てておく
髪もとかさず、
お化粧もしていないので、
容色の衰えた姿を人さまの目に、
さらすのはいやである
どうせ何かのセールスか勧誘、
訪問してくる約束の人はいないから、
用があっても小包か、
管理人にあずけてくれるかもしれない
管理人にも平素、
つけとどけはしていることだし、
と考えているうちに、
また寝てしまう
夕方電話のベルで起こされた
出ると次男である
「今晩、いてるか?」
またグチをいいにくるつもりらしい
「今晩はあかん」
「いつもあかんのやな」
「風邪ひいて、
えろうて寝てますのや
朝からゴハンも食べんと、
寝てばっかりや」
「風邪ひいた?
なにしてんねん」
あんまり外ひょろひょろ、
飛び歩くさかいや」
次男は身勝手な男であるから、
心配するどころか、
あべこべに叱りつける
(次回へ)
・無信心無信仰の私でも、
何かしら大きな超越者のごときものが、
いたはるのやないかしら、
と思うことがある
仏さんか神さんか、
それは分からない
モヤモヤしているから、
私は仮に自分一人で、
「モヤモヤさん」となづけている
「ブー」と「テー」のお宗旨や、
水子霊の信仰とちがい、
このモヤモヤさんは、
決して人間に安らぎをもたらしては、
くれない
あべこべに闘争心をかきたてる
何となればモヤモヤさんは、
人の足をすくうのがうまいからである
モヤモヤさんは、
落とし穴作りの名人なんである
人を不意に落とし穴にはめて、
(どや・・・
思いも染めんことやったやろが
・・・ぬふふふ
むははは)
と大喜びでいるところがあるのだ
これは意地悪(いけず)というより、
モヤモヤさんの性質なのだから、
怨むのはスジ違いというもの
ましてお慈悲を願うというのも、
お門違い
モヤモヤさんに対抗するには、
こちらも心身を鍛え、
向こうが突然飛びかかってきても、
(えいっ!)
(おうっ!)
と応戦できるように、
元気いっぱいでいなくてはならぬ
またモヤモヤさんに裏を掻かれぬよう、
あらゆる場合の戦況を幾通りも予想し、
手を打っておかねばならぬ
私はこれを、
戦後の会社再建の働きによって、
会得した
商売は臨機応変が大事であるが、
これはモヤモヤさんと渡りあうには、
欠かせぬ才能である
モヤモヤさんは、
何をたくらんでいるか、
油断ならないからである
全く、
ここは大丈夫と思う得意先が、
集金できなくて、
金繰りに支障をきたしたり、
あてにしていた受注が、
急によそへいったりして、
モヤモヤさんに振り回されっぱなし、
であった
なにくそと、
私は負けじ魂をかきたてられ、
それからはモヤモヤさんの、
落とし穴にはめられても、
狼狽せぬよう、
いろんな対策を講じておくことにした
モヤモヤさんと渡り合うには、
体も丈夫、心も性根据わり、
あたまも冴えていなくては、
いけない
私の元気のもとは、
モヤモヤさんと戦う喜びに、
あるのかもしれない
病気にならぬよう、
つけこまれるスキを、
作ってはならぬというのは、
ここのことをいうのである
しかし「ブー」と「テー」や、
水子霊とちがい、
これは誰にもすすめられる、
というものではない
モヤモヤさんと張り合い、
渡り合えるだけの気力体力の、
ある人間でないとダメである
だからたいていの人間は、
モヤモヤさんに翻弄され、
押し流されて、
ただ泣いているのみである
あるいは、
ああ有難い、結構な、
と手を合わせて見当違いな、
感謝をささげてるのである
しかしそのへんのことを、
長男にいうたとて、
わかるはずはないであろう
この男、
そういう直観的なあたまの働きはなく、
(なにを寝言いうてますねん
あほらしい)
とひたすら現実的
そういうわけで、
モヤモヤさんに対抗して、
元気いっぱいのはずの私が、
ふと病気をしてしまった
これは人を嗤えない
どうもそれは、
前沢元番頭の病気で、
私もひょいと落ち込んだ、
その時にモヤモヤさんに、
足をすくわれたらしい
今年の正月、
前沢はウチへ来なかった
「番頭さん、
どないしはりましたんやろ」
「お風邪でも引きはりましたんやろか」
とお政やおトキが心配していた
例年なら前沢は、
お元日の昼ごろ現れる
奈良の有料老人ホームから、
東神戸の私のマンションまで、
かなりあるので、
朝早くホームを出て、
電車を乗り換え乗り換え、
やってくる
脚が弱って難儀な上に、
「初詣客で、
電車は満員やよって、
もうワヤでごあした」
とぼやきながらも、
ニコニコやってくる
前沢の息子夫婦は東京にいて、
正月は嫁の里で過ごし、
前沢はほったらかしにされているそうで、
私の家でする正月を楽しみにしている
「それもよろしがな
年玉やらんですむし」
と私がいったら、
「いや、
年玉はいつも暮れに送らされます
孫が電話で催促しましてな」
「なんやて、あほらしい
やらずぶったくり、
とはこのことやないかいな」
と私がいうと、
お政やおトキもあはあは笑って、
和やかな正月になるのだった
それに前沢もと番頭の挨拶がよい、
昔ながらに鄭重に、
「あけましておめでとうごわります
本年も昨年にかわりませず、
よろしゅうにお頼申します
ご寮人さんもますますお元気で、
おまけにとうないお若う、
いつまでもおきれいで、
結構なことでごわりま」
とほめてくれるのである
トシヨリというものは、
人をほめぬものであるが、
そういう偏屈は、
私は嫌いである
もっとも私も、
人をほめたことはないが、
それはほめてやりたい人間が、
周囲にあまり居らぬせいである
前沢が来ないと、
何だかいっぺんに人数が、
少なくなったような気がする
昔は中番頭の為吉っとんも来ていたが、
卒中で死んでしまった
古い人は、
櫛の歯を抜くように、
少なくなってゆく
気にかかっていたが、
十日戎のころやっとヒマが出来、
奈良のホームへ電話したら、
前沢が出てきて蚊の鳴くような声で、
「風邪がなおらしまへんので、
ご挨拶にもよう参じませず、
申し訳ごわりまへん」
といった
「モヤモヤさんに負けたんかいな」
とつぶやくと、
前沢は聞きちがえ、
「へえ、
セキすると胸が痛うて、
あたまがモヤモヤして・・・」
「大事にしいや
これからだっせ
生きて面白いのは」
「へえ
さよでごわっけど、
体がいうことをききよらしまへん」
という声には力がない
(次回へ)
・かねて私は、
病気になる人を軽蔑していた
病は気から、で、
気が萎えたり落ち込んだり、
しているとそこへどっと、
病につけこまれる
つけこまれるスキを作らぬよう、
せねばならぬ
いつもりりしく、
雄々しくしていなければならぬ
私は七十六だが、
このお正月があけて七十七になった
私ゃ明治人間、
古いしきたりのほうが好きで、
正月がきて一つトシをとる、
という思想が好きなのである
目も見え、
耳も聞こえ、
脚もすこやかで、
内臓はきれいなもんである
戦前、船場の我が家にいた、
上女中のお政どんは今も時々来るが、
「ご寮人さんは、
お色が白うて美しゅうて、
ほんまにけなるい
一回りのトシ下の私の方が、
日焼けしてまっくろ婆さんや」
という
けなるいというのは、
古い船場言葉というか、
大阪弁で「うらやましい」という意味だが、
今では使う人もなくなってしまった
このお政は、
ウチが親元になり、
久宝寺町の小間物屋の番頭へ、
嫁入らせたが、
戦争で店はあかんようになるわ、
亭主は兵隊に行くわ、
で、在所の河内へ子つれて疎開していた
終戦後、
亭主も復員してきたが、
店はそのまま再興せずじまいだったので、
お政一家も河内に居ついて、
百姓になってしまった
若いときのお政は、
こぎれいな船場の女中衆であったが、
いまは日に焼けて化粧っけもなく、
頑丈な、野太い手足をしている
終戦後の食べ物のないころ、
お政はよく泥のついたままの、
野菜を運んでくれたものである
息子は勤め人になり、
畠の一部を売って家を建て替え、
羽振りも悪くない
安穏な老後であるようだ
尤もこのお政どんは、
もともとい陽気なしっかり者、
たとえ逆境でも、
「ワタエのは、
日焼けというより貧乏焼け、
いうもんでござりますやろ、
家計はいつも赤子(ややこ)の行水、
やりくりにせわしのうて、
やりくり焼けいうもんかも、
しれまへん」
とあはあは笑ってるかもしれない
「赤子の行水」というのは、
「タライで泣いてる」
つまり足らいで泣いてる、
という大阪の古いシャレ、
昔の船場人が面白がって使っていた
そういうところが、
お政のよいところで、
私も好きなところである
お政も病気をした、
というのは聞いたことがない
私が丈夫なのは、
一人で住んでいるせいもあろう
どうしても体を動かさねばならぬ
週一で家政婦に来てもらうが、
毎日の料理は自分でする
その上、
絵の教室、
英会話クラブ、
フランス語のてほどきの塾、
これらは私が教わるほうで、
私が教える習字教室がある
猛烈に忙しいのである
しかしいやいやしている、
仕事ではないから、
忙しさも無理な点がなく、
いそいそと消化してゆけるのである
病気しているヒマがない
長男など、
私に向かってふた言目には、
「おばあちゃんは文句が多すぎる
何でも感謝の心持ちなはれ
何かしてもろたら、
ありがたいこっちゃ、
ああ、すまん、
ああ、結構なこっちゃ、
と何でもありがたいいうて、
手合す心持てまへんか」
というが、
そういうあんたこそ、
文句が多い
いつもありがたいいう心持って、
暮らしているのか、
税務署や競争相手の同業者に、
ああ、ありがたい、
かたじけないと手合せられるか、
考えて見い
「あほなこと
ワシは現役や
現役の修羅場に居るもんが、
税務署あたりに、
ありがたがっていられるかい」
とうそぶく
「そんなら私も一緒や
人間は生きてるかぎり現役や
いちいちありがたがってるような、
人間は性根が坐ってないからや
つまりモウロクして、
曲がったこととまっとうなことの、
区別もつかんいう、
しるしやないか」
「おばあちゃんの根性悪も、
死ぬまでなおらんやろな」
「なおらんで幸せや
私がああありがたいと、
手を合わせるようになったら、
お迎えが近うなってますわいな」
と言い負かしてやった
人間は猛然と人のワルクチが、
いえるようでないといけない
ああ、ありがたい、
と目も鼻もなくありがたがってる、
というのは生命力の希薄な証拠、
ただし私はいまの暮らしに満足して、
幸せなことと思っているが、
しかしこれは私が一生懸命、
働いてきた成果だから、
当たり前のこと、
誰に手を合わせるものでもない
(次回へ)