「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9,姥スター ④

2025年03月13日 08時48分23秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・用心おしやす、
といったって叔母の友人が、
どこが悪いということ無う、
死んでしまったのは、
老衰というものであろう

叔母は歌舞伎も好き、
新派の水谷八重子もヒイキだった、
若いときはカツドウも好きだったという、
遊び好きである

宝塚の昔のことも、
よくおぼえている

大正三年にできたときは、
叔母は芸事も好きなので、
自分も入りたいと思ったそうだが、
規則は小学校卒業、十五才まで、
ということになっていて、

「あきらめたんでごあんがな」

ということだ

宝塚の少女はみなそろって美少女で、
何とも舞台が可愛らしかったという

「嫁入りしてからも、
子連れてよう参じましたわ
お父さんは寄席へいかはる、
ワタエは女中衆さんと子供連れで、
宝塚へよういったもの、
阪急宝塚線はもうありましたよってな
歌子ちゃんもたびたび、
連れていってあげましたやろ、
ほら、天津乙女や奈良美也子の、
『モンがパリ』、
おぼえていやはりまっか」

「へえ、ようおぼえてますけど、
叔母ちゃん、それやったら、
『モンがパリ』や無うて、
『モン・パリ』いうのですやろ」

「そうそう『モン・パリ』でんがな」

と叔母はいうが、
すぐ「モンがパリ」になってしまう

「モン・パリ」は「わがパリ」
という意味と教えられてつい、
モンとパリの間にがが入るらしい

その「モンがパリ」は、
私の嫁入り話が決まったころだったから、
昭和二年の舞台だったが、
私は嫁入り話そっちのけに、
熱狂してしまった

大劇場はその前に完成していて、
大階段もすでにあった

ダンスと音楽はめざましく、
大きな羽飾りもゆらゆらと、
大階段をおりてくるスターには、
天津乙女や奈良美也子がいた

船場や島の内の商家では、
ぼつぼつ、芦屋や御影に家を持ったり、
別宅を建てたりしていたころで、
ご寮人さんやいとはんが、
よく宝塚へ来たが、
そのころは男の観客も多かった

日本では初めてというような、
レビューなのでずいぶん世間の評判を、
呼んだものだった

そのあと、
「パリゼット」だの「花詩集」だのと、
いいレビューが次々かかったが、
私は結婚していたので、
もう見にいくことはできない

叔母が誘ってくれるが、
姑は出してくれないのであった

それでも新婚旅行をかねた、
東京見物でやっと東京で、
「花詩集」を見た

たしかこれは、
東京宝塚劇場のこけら落としであった

夫は大阪にいるときとちがい、
イキイキして、

「宝塚いうのは楽しいもんやなあ」

と喜んだが、
思えば夫もかわいそうな男であるのだ

家では両親にあたまを抑えられて、
言いたいことも言えず、
「へえ、へえ」と聞くばかりなのだから

夫がそんな風なので、
嫁の私にはいっそう発言権はないのだ

正月には、
芝居に連れていってもらえるが、
宝塚などとは口にも出せない

「品のわるい
船場の人間の見るもんと、
ちがいますがな
裸形で足あげたり、
男の服着たり、
どこがようてあんなもん、
見とうますねや」

と姑に叱りつけられてしまう

それでも苦労して、
一年に二へんぐらい見にいっていたが、
子供が生まれるわ、
戦争になるわ、
で、おのずと宝塚とも、
遠ざかってしまっていた

終戦後は夫を助けて、
店を復興するのに精いっぱいで、
自分の楽しみに心をふりむける、
ヒマもなかった

やっと見出したのは、
六十を過ぎてからである

宝塚のほうもちゃんと、
その間に復興していて、
久しぶりに見たら、
歯切れのいいアメリカものが出ていたり、

(時勢とともに宝塚も変わるんやなあ)

と感心したような、
さびしいような思いであった

あとでわかったが、
何となく肌合いが違う舞台や、
と思ったのも道理、
アメリカからブロードウェイの、
芝居を持ってきてアメリカ人が演出していた

久しぶりの舞台は、
やたら動きが早くて、
音楽が大きくてめまぐるしく、
あたまがガンガンするばかりだったが、
若いファンには評判がよかったようだ

それは、
「オクラホマ」とか、
「ウエストサイド物語」
であった

そのころ叔母も見ていて、

「アメリカの演出家に、
しごかれたんやそうでごあんな
宝塚の子はさすがに、
とうないおぼえが早うごあしょって、
アメリカはんの先生も、
感心しなはったということだっせ
『ウエストサイド物語』
ワタエ好きでごあしてなあ」

とまるで何でもかんでも好きで、
あれはいかんということがない

宝塚なら無定見にほめるというのが、
おかしかった

私はそのあとに演じた、
「ベルサイユのばら」のほうが好きで、

(これこれ、
これやないとあかん)

とつくづく思った

きれいな衣装に金髪のかつら、
恋あり冒険あり、
王妃さまやら貴公子やら、
そういうのが舞台にかかると、
ホッとする

平生は銀行だの得意先だのを相手に、
金繰りの心配や商売のあれこれを、
考えているから、
よけい宝塚が美しく見える

見つづけていると、
大きな音楽のボリュームにも慣れる

九十一になる叔母の好む席は、
前から三列目「は」の二十五あたり、
まん中で、ここで「春の踊り」を見ていると、
しごく機嫌がいい






          


(次回へ)

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