第三回宣教旅行終わり、エルサレムへ。
1~6節。エフェソスの年長者たちと別れ(無理に引き離しての意)、ミレトスを船出(たぶん借り切りの船)して、パタラでフェニキア行きに乗船して、ティルスに上陸。ティルスで荷揚げのため、弟子たちを見つけ出し7日間留まる。
ティルスは大きな市だったから、弟子たちを見いだすのは大変だったかもしれない。
ティルスの弟子たちが、「霊によってパウロにエルサレムへは進んで行かないように」と言ったのは、霊が「行かないようにと言っている」のではなくて、霊が患難が待ってることを告げるので行って欲しくなかった、ということだろう。でないと、パウロは霊に逆らうことになっちゃう。
ここでも、滞在時のことではなく、旅立ち時の見送りにスポットが当たっていて、別れが強調されてる。ルカたち同行者の胸中は穏やかではなかったのだろうな。
7~14節。ティルスからの船旅を終えてプトレマイオスで、兄弟たちに会い1泊。翌日、陸路でカエサレアへ行き、福音宣明者フィリポの家に滞在。ユダヤから来た預言者アガボ(11:28で大飢饉を預言した人)が、パウロの捕縛を預言する。
カエサレアは、初めて異邦人のコルネリオが改宗した場所。ここにパウロが来るのは少なくとも3度目。最初はエルサレムから逃れて、2度目は第二回宣教旅行の終わりに。
フィリポは、ステファノの殉教時に散らされたヘレニストの一人。サマリア、ガザでエチオピアの宦官に宣べ伝え、カエサレアに定住して家族を持ったのだろう。4人の娘たちが未婚で預言していたと記されているのは、それが特筆すべき事柄だったからだろう。フィリポも神からの特別の恩恵(組織風に言うと、特別の過分のご親切w)を受けていた。それはフィリポが自分で勝ち取ったものではなく、神の聖霊がフィリポに働いたから。パウロも同じ。すべては神の選びの結果。だからみんな、自分で自分の首を絞めちゃダメだよ~~。
ここでもアガボ(大飢饉の預言が成就したことで重んじられていたであろう)が、今回は目に見える形で、パウロの捕縛を預言する。しかも、ユダヤ人に縛られ異邦人に渡される、と具体的に。同行者たちもさすがに焦る。でもパウロは意志を変えない。
霊はなんで多くの弟子を通して患難が待つことだけ告げて、第二回宣教旅行でアジアでの宣教を許さなかったように、パウロの行く手を阻まなかったのだろう?
パウロは今までも、どこに行っても患難続きだったから、エルサレムで待っている患難にも立ち向かう心構えが出来てたのかな。そんなパウロの生き様を、同行してる弟子たちにも見てもらいたかったとか。
そもそも、パウロはなんでそんなにエルサレムに行きたがったのか?
救援金だけなら、同行してる弟子たちに届けてもらえばいい。なんなら、エルサレムから取りに来てもらったっていいだろうに。
最後の過ぎ越しを祝うためにエルサレムに上ったイエスみたい。あの時もイエスは起きることを予告してた。この時エルサレムはペンテコステだっけ。そう考えると、パウロには(神には)何か意図があったのかもしれないなぁ。ローマへの書簡でパウロは、自分がのろわれてでも同族を助けたいと言ってるし。エルサレムエルサレム、預言者たちを殺し自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ・・・かぁ・・・う~んよく分かんないや。
でももしかしたら、神はパウロを通して、エルサレム会衆が変われるチャンスを与えようとしていたのかもしれないなぁ。33年のペンテコステから20年以上経ってるのに、いまだユダヤ教の律法やら割礼やらに囚われて変われないでいるエルサレム会衆に。でも彼らは変わらなかった。それで最終的に、70年に滅ぼされちゃったってことかなぁ・・・
15~40節。エルサレムへ立つ。カエサレアの弟子たちも同行し、ムナソンの家に案内(途中の宿かエルサレムでの滞在場所か?)。エルサレムに入ると喜んで迎えられる。
翌日、ヤコブの所へ行くと年長者たちが集まっている。ヤコブしか名が書かれてないのは、他の使徒たちがエルサレムにいなかったからかな。
パウロと同行者たちは、救援金を渡し、異邦人たちの間での神のみ業を語る。パウロの話を聞いて、彼らは神に栄光を帰する。でもね、彼らがパウロに言ったことは、「幾万(数が多い)といるユダヤ人信者は律法に熱心だ。しかしあなたについては、異邦人の中にいるユダヤ人にモーセ(律法)に背くことを教えていると聞いている。だから、誓願を立てた4人の者たちと神殿に行って、清めと費用の世話を見るように。そうすればあなたが律法を守っていることが分かるし、異邦人信者にはすでに守るべき律法(4つ)の事は伝えてある」ということなんだよね。
なんだかな。数自慢してるし。選民自慢に律法自慢してるし。異邦人はいいけど、ユダヤ人は律法を守らなきゃいけないみたいな。パウロはこの旅行中に、コリントやローマへの書簡で、ユダヤ人も異邦人も関係ないことを力説してるし、偶像に犠牲として捧げられたものは良心で決めるように書いてる。そのことがエルサレムに伝わっていたのか・・・
とにかく、彼らの言い方がなんかイヤだ。救援金は喜んで受け取ったんだろうけど。それに費用を世話するっていうのは、パウロにとって結構大変だったと思う。それをする人は尊敬されたらしいけど。まさか、騒動になるとは思っていなかった、と思いたいけど、裏で糸引いてたんじゃないのかな、とも勘ぐりたくなるよ・・・・・だって、この言い方って脅しみたい。パウロが断ったらたぶん決別だよね。いや決別どころか、背教者扱いされて結局捕縛かも。パウロはなんとか彼らを正しい道に導きたいから従った。律法を守ろうが守るまいが、パウロにとっては重要じゃないから。で、無事に清めの期間が終わりになったところで、アジアから来たユダヤ人に騒動を起こさせた・・・
なんてね。
パウロが言われた通り神殿に行き、清めの期間の7日が過ぎた時、アジアから来たユダヤ人たち(アジアでもパウロを迫害していた者たちだろう)が騒動を起こし、パウロは捕縛される。軍司令官に話す許可をもらって、パウロは群衆にヘブライ語(アラム語)で語り始める。
ルカは起きたことを淡々と書いてる。この騒動やパウロの捕縛に対して、エルサレムの年長者たちがどういう行動をとったかについては、全く何も記してない。だから良い方に考えることもできるし、悪い方に考えることもできる。どちらにしても教訓を引き出せるってことなのかもしれない。
ルカはこの騒動がいかに大きかったか、そしてパウロがこれをユダヤ人の群衆に語れる機会としたことに焦点をあわせて書いている。それ(エルサレムのユダヤ人たちに語ること)がパウロの、エルサレム行きの願いだったのだろうから。
1~6節。エフェソスの年長者たちと別れ(無理に引き離しての意)、ミレトスを船出(たぶん借り切りの船)して、パタラでフェニキア行きに乗船して、ティルスに上陸。ティルスで荷揚げのため、弟子たちを見つけ出し7日間留まる。
ティルスは大きな市だったから、弟子たちを見いだすのは大変だったかもしれない。
ティルスの弟子たちが、「霊によってパウロにエルサレムへは進んで行かないように」と言ったのは、霊が「行かないようにと言っている」のではなくて、霊が患難が待ってることを告げるので行って欲しくなかった、ということだろう。でないと、パウロは霊に逆らうことになっちゃう。
ここでも、滞在時のことではなく、旅立ち時の見送りにスポットが当たっていて、別れが強調されてる。ルカたち同行者の胸中は穏やかではなかったのだろうな。
7~14節。ティルスからの船旅を終えてプトレマイオスで、兄弟たちに会い1泊。翌日、陸路でカエサレアへ行き、福音宣明者フィリポの家に滞在。ユダヤから来た預言者アガボ(11:28で大飢饉を預言した人)が、パウロの捕縛を預言する。
カエサレアは、初めて異邦人のコルネリオが改宗した場所。ここにパウロが来るのは少なくとも3度目。最初はエルサレムから逃れて、2度目は第二回宣教旅行の終わりに。
フィリポは、ステファノの殉教時に散らされたヘレニストの一人。サマリア、ガザでエチオピアの宦官に宣べ伝え、カエサレアに定住して家族を持ったのだろう。4人の娘たちが未婚で預言していたと記されているのは、それが特筆すべき事柄だったからだろう。フィリポも神からの特別の恩恵(組織風に言うと、特別の過分のご親切w)を受けていた。それはフィリポが自分で勝ち取ったものではなく、神の聖霊がフィリポに働いたから。パウロも同じ。すべては神の選びの結果。だからみんな、自分で自分の首を絞めちゃダメだよ~~。
ここでもアガボ(大飢饉の預言が成就したことで重んじられていたであろう)が、今回は目に見える形で、パウロの捕縛を預言する。しかも、ユダヤ人に縛られ異邦人に渡される、と具体的に。同行者たちもさすがに焦る。でもパウロは意志を変えない。
霊はなんで多くの弟子を通して患難が待つことだけ告げて、第二回宣教旅行でアジアでの宣教を許さなかったように、パウロの行く手を阻まなかったのだろう?
パウロは今までも、どこに行っても患難続きだったから、エルサレムで待っている患難にも立ち向かう心構えが出来てたのかな。そんなパウロの生き様を、同行してる弟子たちにも見てもらいたかったとか。
そもそも、パウロはなんでそんなにエルサレムに行きたがったのか?
救援金だけなら、同行してる弟子たちに届けてもらえばいい。なんなら、エルサレムから取りに来てもらったっていいだろうに。
最後の過ぎ越しを祝うためにエルサレムに上ったイエスみたい。あの時もイエスは起きることを予告してた。この時エルサレムはペンテコステだっけ。そう考えると、パウロには(神には)何か意図があったのかもしれないなぁ。ローマへの書簡でパウロは、自分がのろわれてでも同族を助けたいと言ってるし。エルサレムエルサレム、預言者たちを殺し自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ・・・かぁ・・・う~んよく分かんないや。
でももしかしたら、神はパウロを通して、エルサレム会衆が変われるチャンスを与えようとしていたのかもしれないなぁ。33年のペンテコステから20年以上経ってるのに、いまだユダヤ教の律法やら割礼やらに囚われて変われないでいるエルサレム会衆に。でも彼らは変わらなかった。それで最終的に、70年に滅ぼされちゃったってことかなぁ・・・
15~40節。エルサレムへ立つ。カエサレアの弟子たちも同行し、ムナソンの家に案内(途中の宿かエルサレムでの滞在場所か?)。エルサレムに入ると喜んで迎えられる。
翌日、ヤコブの所へ行くと年長者たちが集まっている。ヤコブしか名が書かれてないのは、他の使徒たちがエルサレムにいなかったからかな。
パウロと同行者たちは、救援金を渡し、異邦人たちの間での神のみ業を語る。パウロの話を聞いて、彼らは神に栄光を帰する。でもね、彼らがパウロに言ったことは、「幾万(数が多い)といるユダヤ人信者は律法に熱心だ。しかしあなたについては、異邦人の中にいるユダヤ人にモーセ(律法)に背くことを教えていると聞いている。だから、誓願を立てた4人の者たちと神殿に行って、清めと費用の世話を見るように。そうすればあなたが律法を守っていることが分かるし、異邦人信者にはすでに守るべき律法(4つ)の事は伝えてある」ということなんだよね。
なんだかな。数自慢してるし。選民自慢に律法自慢してるし。異邦人はいいけど、ユダヤ人は律法を守らなきゃいけないみたいな。パウロはこの旅行中に、コリントやローマへの書簡で、ユダヤ人も異邦人も関係ないことを力説してるし、偶像に犠牲として捧げられたものは良心で決めるように書いてる。そのことがエルサレムに伝わっていたのか・・・
とにかく、彼らの言い方がなんかイヤだ。救援金は喜んで受け取ったんだろうけど。それに費用を世話するっていうのは、パウロにとって結構大変だったと思う。それをする人は尊敬されたらしいけど。まさか、騒動になるとは思っていなかった、と思いたいけど、裏で糸引いてたんじゃないのかな、とも勘ぐりたくなるよ・・・・・だって、この言い方って脅しみたい。パウロが断ったらたぶん決別だよね。いや決別どころか、背教者扱いされて結局捕縛かも。パウロはなんとか彼らを正しい道に導きたいから従った。律法を守ろうが守るまいが、パウロにとっては重要じゃないから。で、無事に清めの期間が終わりになったところで、アジアから来たユダヤ人に騒動を起こさせた・・・
なんてね。
パウロが言われた通り神殿に行き、清めの期間の7日が過ぎた時、アジアから来たユダヤ人たち(アジアでもパウロを迫害していた者たちだろう)が騒動を起こし、パウロは捕縛される。軍司令官に話す許可をもらって、パウロは群衆にヘブライ語(アラム語)で語り始める。
ルカは起きたことを淡々と書いてる。この騒動やパウロの捕縛に対して、エルサレムの年長者たちがどういう行動をとったかについては、全く何も記してない。だから良い方に考えることもできるし、悪い方に考えることもできる。どちらにしても教訓を引き出せるってことなのかもしれない。
ルカはこの騒動がいかに大きかったか、そしてパウロがこれをユダヤ人の群衆に語れる機会としたことに焦点をあわせて書いている。それ(エルサレムのユダヤ人たちに語ること)がパウロの、エルサレム行きの願いだったのだろうから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます