要介護5からの復活・菰野町周辺の四季

事故で脊髄の3.4.5番損傷。寝たきり状態から歩けるまでに復活。趣味の写真もまた始められるようになりました。

信楽

2020-02-25 11:55:39 | 日記


一昨日の土曜日、
「出没! アド街ック天国」を観ていたら
滋賀県の信楽に出没。

NHKの朝ドラ「スカーレット」に乗っかったのかな⁉
それにしても信楽もずいぶんメジャーになったみたいです。

私が初めて信楽を訪れたのは1974年頃。
記憶違いでなければ
TVのCMで千葉真一氏が初代カリーナで
信楽を舞台に「日本の秘境を行くシリーズ」なんていうのを
この時代にやっていました。

当時の私は鈴鹿市の住人で、
信楽へ行くには国道1号線で水口まで行って、
そこからいくつかの峠を越えて行くので
あながちオーバーなCMでは無かったのかも知れません。

信楽へ行く目的はコーヒーを飲むため、でした。
もちろん、行ったついでに
陶器を見たり買ったりはしていましたが。

当時の国鉄信楽線(現・信楽高原鉄道)の勅旨駅の近くに
「古壺」という喫茶店がありました。
鈴鹿から2時間ほどかけて行ってコーヒーを飲み、
信楽の街中を散策して
帰り道にもう一度コーヒーを飲んで帰る。
月に一度ほどの楽しみでした。

1969年、18歳のときに上京。
住み込みで新聞配達をしながら予備校に通っていました。
全学連の一番荒れていた時代で
早稲田大学の大熊講堂近くにあった
早稲田予備校に通っていたのですが
キャンパスの前にはアジを書いた看板だらけ。

今となっては言い訳でしかありませんが
そんな大学生を見ているうちに
いつしか予備校から足が遠のいて
自堕落な都会生活に染まってしまい
大学どころではなくなっていました。

上京して4年目、実家の鈴鹿に戻って
本田技研工業鈴鹿製作所に就職。
初代シビックの立ち上げで忙しく
中途採用やら、埼玉の白子工場からの転勤者で対応していました。

シビックの組み立てラインでの仕事でしたが、
そこでの白子工場から来た先輩に
連れて行ってもらったのが、件の信楽の「古壺」。

その先輩も私もコーヒー好きで、
普段は豆を自分で挽いて淹れていたのですが
「古壺」でコーヒーを一口飲んで完全にノックダウン。
一度でファンになってしまったものです。

1981年結婚。
回数は減りましたがカミさんと二人で
年に数回はコーヒーを飲みに。
その頃のカミさんはコーヒーが苦手で
バナナジュースが定番でした。
昼時ですとシンプルなバタートースト。
このパンも絶品でした。

結婚してからも「古壺」へは
行きと帰りに二度寄るスタイルは同じ。

興が乗るとマスターはマジックを披露してくれるのですが
これがまた素人離れしていました。
出入口すぐの左側、カウンターの端にレジがあるのですが、
いつも開けっ放し。
お客が勝手に勘定をしていくシステムでした。
「大丈夫なのですか?」
一度聞いたことがありましたが、
「めったに間違っていたことはないよ」。

やがて私に長女が誕生。
1985年、娘が2歳になった頃に連れて行った覚えがあるので
その時分までは確かに営業していたのですが……。

「出没! アド街ック天国」をカミさんと観ていて
独身の頃、新婚時代、子どもの小さかった頃と
懐かしく思い出しました。


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