要介護5からの復活・菰野町周辺の四季

事故で脊髄の3.4.5番損傷。寝たきり状態から歩けるまでに復活。趣味の写真もまた始められるようになりました。

全介護

2020-01-12 08:25:25 | 日記


2011/10/26、小山田記念温泉病院へ転院。
そのときの状態は「全介護」。
視力、聴力、意思伝達などは問題ないので
本当の意味での「全介護」ではないのかもしれませんが。

でも、首から下の神経が途切れていて
援助者無しではどうにもならないので
病院では「全介護」扱いでした。

具体的には、食事は普通は食堂でしますが、
「全介護」扱いの人はナースステーション。
回復期病棟60名ほどの入院患者のうち、
10名前後が「全介護」扱い。

ほとんどが脳梗塞、脳溢血といった脳疾患関係ですが、
中には認知症の進んだ人も。

食事時間のナースステーションは異様な雰囲気でした。
隣の席のおじいさんは食事の前に何やらブツブツと。
何となく雰囲気がお坊さん風。
つぶやいていたのは般若心経で
やはり住職さんとのことでした。

違うおばあさんは食事の始まる前に大きな声で、
「田中角栄がどうの、中曾根康弘がこうの……」と演説。
自分の身内のようにガナっています。
もちろん、誰も相手にしないのですが、
たまたま私の隣に来たときについ返事をしてしまいました。
次の日から私のそばに来て、どこで名前を憶えたのか
「関口さん、関口さん……」と話しかけてくるので
しばらくの間、往生しました。

他にも個性的な人が何人かいて
世話をする看護師さん介護士さんの大変なこと。

で、私ですが五体のうちで動くのは
右腕が10㎝ほど上下できるだけ。
たったそれだけなのに入院して何日もしないうちに
自分一人で食事をする羽目に。

                    to be continued



転院

2020-01-10 09:21:27 | 日記


医療センターから小山田記念温泉病院へ転院の日。
9/7に入院してから外の空気を吸うのは二度目。
カミさんが愛犬を連れてきたときに
駐車場まで出たのが医療センターでの
唯一の外出でした。

これ以上望めないような日本晴れ。
車椅子からカミさんの車の助手席に移乗するのに一苦労。
「先方の病院には移乗するのに三四人必要ですから、
と連絡しておきました」。
とは言ってくださったのですが。

15分ほどで小山田記念温泉病院へ到着。
ところが、玄関先で待っていたのは
担当の看護師さんが一人だけ。
カミさんと二人で車椅子に移乗させようとしますが、
女性二人の力ではどうにもなりません。
結局、もう一人看護師さんに手伝ってもらって
ようやく車椅子に移乗できました。

エレベーターで5階の「回復期リハビリテーション病棟」へ。

ドクター、ナース、PT、OT。
私の担当チーム4名の名前。

体を全く動かすことができないので
ベッドはすぐに電動ベッドに変えてくれました。
音声でのナースコールの機器は無いようで、
OTさんとPTさんで早速何とかすべく相談。

唯一少しだけ動かせるようになった右腕が触れるところに
ナースコールのボタンを取り付けて何とか解決。

いよいよ翌日からリハビリの開始です。
転院前に医療センターのOTさんから、
「小山田のリハビリは厳しいから頑張って!」
と励まされてはいたのですが……。



注意一秒怪我一生(番外)

2020-01-09 08:51:16 | 日記


医療センターでの2ヶ月弱の入院生活。
頭にダメージの無かったのは幸なのか不幸なのか。
ひたすら天井を見るしかない毎日で
夜になるとそんなことばかり考えていました。
医師の言う通りならこの先寝たきりになる公算が大で
自分ではアクティブなことは何一つできないことになります。
生きることをやめることすらできません。

毎朝8時。
その日の担当看護師さんが来ます。
医療センターでは完全な三交代制で、
8時から16時。16時から24時。24時から8時が勤務時間。
もちろん引き継ぎなどがあるので
重複する時間があるのでしょうが。

救急病棟は割合ハードな職場ということもあるのか、
若い看護師さんがほとんどです。
看護師さん……看護婦さんの方がしっくりきますね。

で、毎朝8時に来る看護師さんがとても楽しみなのです。
美人ですと「やったー」と頭の中で快哉。
それなりの人でもそれほどがっかりはしません。
バイタルのチェック、点滴の交換、導尿カテーテルのチェック。
首に巻かれた固いカラーを日に一度外して
ガーゼの交換をしてもらうのが一番の楽しみ。
外された瞬間の開放感の嬉しいこと!

9時前後になると介護士さんが二人でやってきて、
紙おむつを交換しながら体を拭き清めてくれます。

三度の食事の世話も介護士さんの仕事。
医療センターにいる間、重湯からおかゆに代わりましたが
普通のご飯になることはありませんでした。
初めのころは自分のベッドでしたが、
やがて車椅子で食堂に。
介護士さん一人に患者が三四人。
ひたすら待っていて介護士さんが来ると
口を開けて食べさせてもらう。
気の利いた人ですとおかずとおかゆを
バランスよく食べさせてくれますが、そうでない人も。

そして夜9時に消灯すると
薄ぼんやりとした天井を眺めながら
鬱々とした時間になります。

夜になったからといってスッキリと眠れるはずもなく、
睡眠薬を呑んでうつらうつらしていると、
看護師さんが褥瘡防止の枕を3時間おきに位置替えに来ます。
するとまた目が覚めて……。

やがて朝が来て、看護師さんが
「おはようございます。今日担当の○○です」。

軽い躁状態の昼と、
ともすれば絶望感に打ちひしがれそうになる夜。
そんなことの繰り返しが医療センターでの入院生活でした。

相棒

2020-01-08 05:43:10 | 日記


病院での話が続いたので、
ちょっと話題を変えて。



相棒のワンコです。
Mダックスの♂で今年の4/30で満14歳。
ヒト換算で74歳くらいとか。

大病を二度患って入院。
ヘルニアのときは自足歩行は難しいとのことでしたが
奇跡的に回復。

ジジイなので一日の大半は寝ていますが
すこぶる元気です。

自宅療養中で日々留守番の私の相棒です。


注意一秒怪我一生(その2)

2020-01-06 09:46:06 | 日記


意識が戻ったのは午後になってから。
一体何時間意識のない状態だったのだろう。
自分の中では全身麻酔してから
意識が回復するまでほんの一瞬で、
もちろん夢など見ていないし
このまま死んでいても
それすら分からなかったであろうことです。

手術は成功したのですが、
神経が元に戻ることはありません。
とりあえず絶対安静から解放されて
早速翌日からリハビリに入るための
PT(理学療法士)さんとOT(作業療法士)さんの紹介、
リハビリの進め方などの説明がありました。

点滴だけだった食事も口からの食事になり、
最初は重湯からスタート。
しかし全く食欲はなく、
食べないと元気にならないからと
無理に食べさせられてもすぐにもどしてしまう始末。
入院前72㎏あった体重は54㎏にまで減少。

この時期、一番苦しかったのは原因不明の痛み。
首から下の神経はないはずなのに
体の内側からこみ上げてくる痛み。
痛み止めを飲んでも、
強めの座薬を入れてもらっても効果なし。
結局睡眠薬で無理やり眠ることしかできませんでした。
この痛みは不思議なことに夜だけに発症。
でもいつしか気が付くと痛みはなくなっていました。

リハビリは最初のうちはベッドの上でマッサージをする程度。
重湯がおかゆに代わり、
食事がベッドから食堂へ移動するようになったのに合わせて
リハビリも専用のトレーニングルームへ。
このころに大変だったのは車椅子への移乗。
PTさんOTさんは手慣れたもので
一人で移乗させてくれましたが、
食事や検査で車椅子に移乗するのに
看護師さんだと4人がかり。
寝ている体の下に大きなバスタオルを敷いて
その四隅で持ち上げるのです。
車椅子もリクライニング付きの頭の上まであるものでした。

9月初めの残暑の厳しい日に入院してからひと月半。
10月も中旬を過ぎたころには治療をすることがなくなり、
そうなると退院を促されます。

相変わらずの寝たきりで、動くのは右腕がほんの少し。
退院というよりリハビリ専門病院への転院ですね。
家の近くの菰野厚生病院と少し遠くなりますが
小山田記念温泉病院への転院を希望。

どちらも満床で一週間ほど待たされて
小山田記念温泉病院へ転院したのは
10月も終わろうかという秋晴れの日でした。

                                                                  to be continued