前編はこちら
前編で紹介した「新名神・交通体系等対策特別委員会」の資料ですが、後半部の「1 十三高槻線エリアのまちづくり>1-1 主な経過」の章に、未開通区間のこれまでの経緯が掲載されています。
こちらによれば、2017年に前島街づくり推進協議会が発足し、2019年2月に十三高槻線および牧野高槻線(未開通区間の途中から分岐して淀川を渡り枚方市牧野に至る)の都市計画変更がなされ、その後高槻市と同協議会の間で意見交換会や勉強会を開催した後、大阪府が2024年3月に現地測量に着手し、2024年10月に道路予備設計に着手したとのことです。
2019年2月の都市計画変更の内容ですが、
https://www.city.takatsuki.osaka.jp/uploaded/attachment/10362.pdf
もともとは新名神の高槻ICから安満遺跡公園(もと京大農場)の東側を通って十三高槻線と立体交差し淀川を渡る計画だった牧野高槻線のうち未着工の北側約2.6kmを廃止し、十三高槻線と牧野高槻線の交点を平面三差路に変更するものでした。その原因は、地元の猛烈な反対です。高槻東道路(府道79号伏見柳谷高槻線のバイパス道路)はこの計画廃止区間の代替路に相当するもので、都市計画道路としての決定を経ずに事業が行われたようです・・・わが街高槻ガイド参照
そして、都市計画変更直後の時点でも猛烈な反対が続いていました。
https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/35970/r1-4-220huminikentohunokenkai.pdf
現地での作業が着手された後も、前島公民館の2階には文字が躍っていますし、前島街づくり推進協議会の立て看板(ストリートビューの過去画像を見る限り、2019年3月に北側区間が開通した際に設置された模様)もそのままです。
北側区間はほとんどが「4車線分の構造物を築造した上で2車線分のみを使用」ですが、一部分(産廃業者のヤード)で本来北行車線となる部分が未買収となっており、2車線道路が東側にシフトしています。