今朝散歩は少しばかり、期待をした。
晴れ、そして地面は眞白な雪に埋もれ、
ゆきが喜ぶ。。。かも知れないと。。。
。。。しかし、期待に反し、悲惨なモノだった。
雪の無い方、雪の無い方へと歩みを進め
どうし様も無い場所では
跛行し乍ら尻尾を下げ、嫌々歩く。。。
分譲予定地の広場前では、立ち往生。。。
前回、ほんの数ヶ月前、1年も経って居なかった時の事だろうか、
雪の日には、分譲地へ入りたがったが
ダメなんだよ、と制した記憶が有る。
柿畑の絨毯の様な雪の上を走りたがった。。。
それも、そこ入れないんだぞ、と。
以前の様、雪を堪能し楽しむ事は、全く無かった。
。。。無くなって居た。。。
まるで老人が、足場の悪い凍りかけた道路を
パーキンソン末期の様な歩幅で転ばぬ様に
小刻みに進む状態。
寂しく悲しく、涙が出た。
8時を過ぎた時間故、沢山の小学生が怪訝そうに
一瞥をし、擦れ違う。
出来なくなった事への執着ではない。
。。。否、厳密にはそういった思いも有るのかも
知れないが。。。
一番悲しい事、それは走り回れる内、
何故もっと走り回って貰わなかったか、雪があれだけ
大好きだったにも拘らず、何故
何度も何時間も遊ばなかったか。。。
猛省、と取り返しの付かぬ後悔。
出来る時に出来る事を施さなかった、その
苦しい程の懺悔の気持ち。。。
ペット、愛する仔が亡くなり、悲しみのどん底に
居る際、恐らく周りはやるだけの事はやったじゃない
と慰める場合も有るのだろう。
ゆきが亡くなり、自分の性格からは
周りへは何事も無かったかの様、振る舞い、
元気な自分を装う。
寧ろ冷たいヒトと言った印象さえ与えるタイプだろう。
良いのだ、冷酷人間と思われる方が
気が楽かも知れない。実際そうなのだから。
我が仔を失くし、様々なペットロスの話を聞いた。
多頭の中の死、一頭だけの子の死、何代目かの子の死。。。
亡くなり直ぐに、違う子を迎えた場合の
前の子の死、一頭だけの子の死でも次は
迎えずに耐える飼い主。。。
同じ死でも千差万別、その飼い主を取り巻く環境、
性格、生前のその子との関わり、付き合い方
。。。そして年月。。。
全て、全てが相違する。。。
或方は、大型の子が亡くなる病気では
なかったが、オペ適応になった。
元気の無くなったその子に元気を取り戻して貰おうと
小型の子を迎えた。大型の子は入院しオペ。
しかし二度と帰る事は無かったそうだが
2頭目のその小型の幼犬に手が掛かり
一番ペットロスピークの時期をあっという間に
過ごせた、と教えてくれた飼い主さん。結局、
大型の先住犬とその新たな子は会う事は
無かったそうだ。その飼い主さんは今では、トイプーが
2頭になって居る。
別の方、確か先住はラブだったか、亡くなった。
その後、家族は一切その子の話が出来なくなった以前に
イヌの話はタブーになったそうだ。
数ヶ月しどうし様も無くなり、フラットを迎える。
すると逆に、先住犬の話が自然に出来る様になり
それまでは観る事も憚られた、イヌのテレビも
難無く自然な流れの中、観る事が可能になったと聞いた。
4頭目を送った、という飼い主さんは
悲しい、勿論奈落の底へ突き落とされる如く、
砂を噛む様な思いは変わらぬも、
それでも生が有れば、必ず死が訪れる、と
何度と無く繰り返される摂理の中で
自然に、穏やかにその死を受け入れてみえた。
多頭の場合には、その仔の死を悲しんで
ばかりは居られない、悲しんで居ては他の子に
申し訳無い、元気で居なければ、といった気持ちが
強く働く事も多いと耳にする。
数年前、獣医が言った。
立ち直れない様に見えるのって、最初に飼ったイヌが
死んだ場合が多いのよね---と。。。
あぁ、それ自分だ、とまだまだゆきの死というモノが
遥か彼方であろう頃、漠然と感じた記憶が有る。
我が命である、ゆきの死が見え隠れする現在、
どう足掻けば解決するのだろうか。
飼い主が先に逝ってしまった際のゆきの行き場。。。
それを必死で考える。ゆきを先に見送ってこそ
飼い主の役目が終わる、そうなのだ、そうでなければ
いけないのだ、と。
若くして亡くす場合、事故等で亡くす場合、病気知らずの高齢で亡くす場合、
高齢であれ若犬であれ、数週、数ヶ月の闘病期間を経、
亡くす場合。。。
高齢であれ、若犬であれ、年単位での闘病、
看護、介助を要し亡くす場合。。。
ニンゲンの持ち合わせた心理からすれば
後述のケースが重症化する気が何と無く。。。
して居る。
そう、ニンゲンの持つ「執着、固執、固着」という概念に因り
手を掛け、心も何もかも捧げた時期が長ければ
長い程、比例し、対象への執着は強くなる。
良く言われる、ニンゲン同士異性間の
心理状態と共通する、あれだ。
目一杯尽くすよりも、散々尽くされた方が相手は
益々離れられなくなる、という、あれ。。。
これだけやったのだから、等という見返りでは
ないのだろうが、ニンゲンの不可思議な深層が
露呈する場面の様に感じる。
ペットロス、等口で言う程甘いモノでは
無いのだろう。
しかし永久にイヌを迎え続ける等、不可能だ。
何時かは、イヌから離れなければいけない。
数え切れない程の楽しい時間を
与えてくれた仔へ、嬉しく楽しかった蜜月の分、
その旅立ちは
真っ暗闇の中で唯々慟哭に埋もれ、血を吐く様な
思いをし、体を壊し、廃人同然となる。
。。。それで良い。。。
自分は。。。廃人になって良い。。。
それこそがこの稀代、比類の無い「ゆき」と共に在った証。。。
多分、自分は死ぬだろうな。否、自殺等ではなく、
何と無く。。。自分の人生もゆきの犬生が終わる際には
一緒に終焉を迎える様に思う。
。。。それで良い。。。
それが幸せ。。。
究極の幸せ。。。
---雨が苦手になり、大好きだった雪でさえも
嫌いになったゆき、2013年14才の話---