気がつくと12月なかば、2017年が暮れようとしています。
今年はブログが書けない1年でした。実は理由があります。忙しい・・というだけじゃないのです。電気の小売事業にチャレンジしたため、いろいろな契約に縛られたり、関係会社の裏事情やら、さらには電気のお客さんの情報やら、迂闊に情報公開するわけにいかないことだらけで、これまでのように伸び伸びとブログ発信ができなくなりました。でもそれでは、私のやっていることとその意義を皆さんに知ってもらえないというジレンマの中でもがいた1年だったかなと思います。
そこで1年を振り返って、竹村英明の2017年ダイジェスト版をお届けしようと思います。
1、 電力小売会社「グリーンピープルズパワー」設立
何と言っても、今年の一大チャレンジはこれです。一般的には、電力小売会社は資金とお客を初めから持っていないとできないと考えられています。金も既存顧客も持たない私がチャレンジするのは無謀とも言えるものです。
なぜそんな大それたチャレンジをしたのか。一つには、再生可能エネルギーの電気を届けたいという思いです。もう一つは、電力小売の仕組みがブラックボックスで、中に突っ込んで見ないとわからないという理由です。あまり金儲けを目指していないというのが特徴です。
そうは言っても勝算がなければ、チャレンジはしません。思い切らせてくれたのは、これまでの市民運動のつながりで、「竹村の電気」を買ってくれる人が1000人以上は確保できるという確信、そして発電所づくりで資金協力してくださったみなさんの支援があるという確信です。事業計画ではユーザ数1000、契約量10MWで黒字化できます。そのための初期投資費用は、現時点の計算で2000万円と出ました。黒字化は3年後の予定です。スタートは「取次店」で、正式な小売事業者登録はできません。しかしできる限り早く正式登録できる状態に持っていきたいと思います。
電気の営業は「電気のお悩み相談会」という、選挙の「ドブ板」(各地域での少人数座談会)みたいものを展開しました。3月から毎月4件以上で、年間では42件になりました。相談会で直接お会いしてお話しした方の契約率は50%以上かと思います。
7月の供給開始から、契約にいたったのは90件。まだ少ないですが、来年はより能動的な営業展開を行う予定です。「電気の相談会」は継続し、あなたの街にお呼びがかかれば、竹村が無償で(交通費・講師代無料)飛んでいきますのでお声がけください。また「従量電灯C契約」のお店、中小事業所などは、確実に東電よりも安く電気を供給できます。
グリーンピープルズパワーはこちら
https://www.greenpeople.co.jp
<電気の相談会>
2、 二つ目の発電会社「増富パワー」設立と撤退
「増富パワー」は、発電会社イージーパワー初の500kW規模の発電所となる予定でした。高圧案件とはパワコン出力で50kW以上の発電所です。高圧連系になるのでキューピクルなどの変圧装置が必要です。連系とは送電線と発電所をつなぐことで、 50kW未満は低圧連系と呼びます。
高圧連系は今、全国各地で実質的な連系拒否にあっており、この発電所もそうでした。今年3月までの法制度の切り替えまでに連系の許可が取れず、24円/kWhでとっていた設備認定は失効しました。
一方で、北杜市は太陽光発電設置數が日本でも一、二を争うほどになっています。その数は本当にあちこちにあふれ、反対運動も広がってきました。連系拒否でもたついている間に、周りの林地も開発され、現場は大きな発電所開発のようになってきました。当社の発電所も反対運動の対象のようになり、思い切って、この発電所はあきらめ土地を売却することにしました。地元と対立するような発電所は作りたくないと思います。大きな損失を残すことになりますが、良い経験にもなりました。
3、 市民電力連絡会がNPO法人に
2015年に設立し、市民電力連続講座などで、再生可能エネルギーの地域事業の拡大に貢献してきた市民電力連絡会が、今年1月NPO法人になりました。NPO法人として最初、設立時から数えて三度目となる記念シンポジウムを、2月に開催。WWFジャパンの小西雅子さんをお招きし、COP21(パリ協定)について、その意義と効果についてお聞きしました。
4月からの連続講座では、FIT制度改正について名古屋大学の高村ゆかりさん、ドイツのFIT精度について市民エネルギーとっとりの手塚智子さん、DIO(市民の手作り発電所)についてたまエンパワーの山川勇一郎さん、ソーラーシェアリングについて千葉エコ・エネルギーの馬上丈司さん、省エネと地域おこしについてエコプランふくいの吉川守秋さん、宝塚すみれ発電の挑戦について同代表の井上やす子さんをお招きし、お話をお聞きしました。
講座の内容は全て、ホームページからご覧いただけます。
https://peoplespowernetwork.jimdo.com/kouza/
市民電力連絡会では今年、「市民電力台帳」もまとめました。再生可能エネルギーの電気はFIT制度で買取価格が決められますが、太陽光発電はメガソーラーなどの大規模発電所の価格を基準となり、割高な小規模発電所は不利という予測はありました。しかし小規模のデータ集積がほとんどなく、それを証明するものがなかったのです。市民電力連絡会は小規模(低圧連系の)発電所のネットワークであり、比較可能なデータが集まると考えたからです。予想通り、FIT制度施工後には一気に設置数が増えた小規模発電所数が、翌年、さらに次の年と、目に見えて減少していることがわかりました。
市民電力台帳のページ
https://peoplespowerstation-report2017.jimdo.com
4、 千葉県匝瑳市のソーラーシェアリング発電所が運転開始
発電事業のイージーパワーの初のソーラーシェアリング発電所が千葉県匝瑳市で2月に運転開始しました。1号機、2号機あわせて、パワコン出力は99kWで、パネル出力112kWです。
ただしこの発電所では、とくに1号機で大量の不良パネルが使われていることが判明しました。SMAのパワコンを使い、発電状況をリアルタイムで監視できる仕組みだったので、異常はすぐに察知できました。原因はパネルメーカーによる出荷時チェックにミスがあったということがわかり、発電量の損失は補填されています。パネルも全取り替えになります。
でも、ソーラーシェアリング自体は素晴らしいものです。農業とエネルギー事業の融合で、農業の持続性確保、食糧問題の解決、そしてエネルギーの供給と地球温暖化問題の解決。これを全国に広げることで、一挙に4つの問題、さらに貧困や自治体格差の問題も解決できるかもしれません。スゴイのです。
<匝瑳ソーラーシェアリング写真>
5、 福島の原発事故被災地を訪問
4月には、市民電力連絡会の企画で、原発事故被災地ツアーを実施しました。「てんぷらバス」で常磐自動車道からいわき市を抜け富岡ICへ。建設中の富岡メガソーラーを見ながら、小高の「ぷらっとほーむ」へ。昼食ののち、NPO法人野馬土の市民発電所へ。ここは津波の大被害を受け、その後の原発事故で立入禁止区域となり、生存者を助けることもできなかった「無念」の舞台。野馬土は使えなくなった土地を市民発電所にしようと取り組んでいます。
ところがそこに、東芝、日立、JR東日本が、風量と太陽光の巨大な再生可能エネルギー基地を作るという話を持ち込んできました。被災者に土地を提供せよと。市民側は悩んだ末に、一部を市民発電所に提供するという条件で協力することになったそうです。海側に超高圧送電線をつくり、東京オリンピックに再エネ電気を送るのだとか。
結局、原発を推進してきた企業が再エネの上前をはねる構図かと暗澹たる気持ちになります。しかし、福島の被災者の皆さんは懸命に、生きるために再エネ地域事業に取り組んでいました。えこえね南相馬、南相馬農地再生協議会、川俣のKTSE、福島農民連、飯舘電力と力強い再生、再建への取り組みを2日間にわたって見せていただきました。復興特区としての仕組みも生かして、自力再生をはかっているのです。
最初の放射能雲が直撃し、高濃度の放射能汚染地区となった飯舘村でも、汚れた表土を剥がし、上下の土を入れ替えるという方法で、農地の表面を綺麗にして農業に取り組むという実験も行われていました。そうした農地の上にソーラーパネル、下には牧草で、再び牛を飼う。どこまで放射能のレベルを下げられるか、実験ですが、再び元の暮らしを取り戻そうという強い意志を感じました。
背景には、先祖代々の土地への固執というよりは、被災者に代替地を提供したりするのではなく、汚染地に帰還せよというだけという「政府の無策」があると思います。
<飯舘電力の発電所>
6、 朝日新聞の連載「てんでんこ」に登場
メディアには、いろいろ出ましたが、今年の連休明けにはじまった朝日新聞の「てんでんこ」にキーパーソンとして登場しました。1997年の温暖化防止条約京都会議(COP3)にグリーンピースジャパンのキャンペーナーとして、「ソーラーキッチン」を持ち込んだところから話がはじまります。若々しい私の写真に驚いた人もいらっしゃるでしょう。
ソーラーキッチンはコンテナトラックを改造し、コンテナの中にキッチンを、屋根の上などに2kWの発電設備をつけ、蓄電池に貯めて夜でもキッチンで電気が使えるという「独立型システム」。キッチンでコーヒーや軽食を振る舞い、たった2kWで、家庭で一番電気を使う台所の電気をまかなえることを立証したものです。清水寺でソーラー野点など行い、マスコミ紙面を埋め尽くしました。
ただし「てんでんこ」は私の話ではなく、その1997年から今日までの再生可能エネルギーの存在感を、いろいろな事件を紹介しながら示していくという企画です。1997年から2017年までの20年間に再生可能エネルギーの存在感は格段に違ってきました。
私はその間、1998年には参議院の福島瑞穂さんの秘書となり、自然エネルギー促進議員連盟を立ち上げ、実質的な事務局を担いました。FIT法を作ろうという試みで、250人以上の国会議員が参加、法律制定の可能性は大きかったのですが、あと一歩で経産省のRPS法に潰されました。そこで地方から政策を変えようと飯田市の太陽光発電事業を自ら志願しました。それは「市民出資」と「地域エネルギー事業」という、その後の再生可能エネルギーを支えるコンセプトを生み出しました。そして2011年の東日本大震災と福島原発事故が起こりました。
そのとき「つながりぬくもりプロジェクト」という、被災地に太陽光の灯りや太陽熱のお湯を提供するという取り組みを事務局長として担いました。被災地の避難所などに設置した、それらの設備は7年経った今もかなり使われていました。その確認調査に、朝日新聞の記者さんが同行したことが「てんでんこ」に結実したのだろうと思います。
<ソーラーキッチン写真>
7、 省エネ事業へのチャレンジと挫折
今年、事業として取り組もうとしたものに「省エネ事業」があります。実は飯田市での事業で、一度取り組んでいます。経験ありということで、某生協系の老人施設からの照明LED化に取り組んだのですが、見事に挫折しました。
実はイージーパワーの同じビルの同じ階のお隣の部屋にLED照明を自社生産している会社があります。ほぼ原価ですから、安く供給できるであろうと踏んだのですが、私が出した見積もりは、某文具大手O社が出した見積もりの倍以上だったようです。お隣の会社によると、O社は最近中国からLED照明を大量輸入していて、それを捌かねばならないという情報。設置作業をする人件費が出せるとは思えない価格で、いわば在庫整理の投げ売り価格ではないかと。資金が潤沢な大手企業と、こんな競争はできないので、さっさと撤退することにしました。
8、 山梨県北杜市の大泉発電所に遠隔監視を設置
昨年から発電開始した大泉発電所は、昨年の夏にパワコンのブレーカーが落ちて数ヶ月発見できなかった。発電量の良い時期の大切な電気をみすみす失ってしまった。パワコンは気温上昇や過電流などいろいろな原因で、ブレーカーが落ちることがある。それを速やかに把握するためには、遠隔監視が不可欠と認識させられました。そこで遠隔監視装置「みえるーぷ」を設置しました。
開通したのは、9月29日ですが、それから毎日「今日の発電量」がメールで届くようになりました。「売電収入」がカッコ書きでついていて、多い時には1日に2万円以上の売電収入があります。まさに晴れた日には「チャリンチャリン」な感じです。
大泉発電所 11月の収支
発電量 16,735kWh
売電収入 558,045円
9、 東京都議選と衆議院の解散総選挙
私は「緑茶会」という政治団体の代表でもあります。正式名称は「脱原発政治連盟」で、2014年の3月に設立しました。民主党から自公政権への政権交代があり、政治の流れがいろいろな面で逆風に変わりました。でも自民党の得票率は常に2割程度で、投票率の低下が自民党を比較第一党に押し上げてしまっているのが実態です。小選挙区制度は、当選者が一人しかいません。各野党がそれぞれ候補者を出すと、自民党に有利になってしまうのです。だから各野党が候補者を一本化すれば良いのですが、なかなかできません。それなら有権者側が勝手に一人に絞る運動をしようということで生まれました。
そこで、総選挙など大きな選挙があるときには、必ず推薦(一人に絞る)を出してきました。今年の総選挙では、直前の都議選で「都民ファースト」の大勝利があり、小池知事を中心とする「希望の党」が圧勝する気配でした。しかし緑茶会として推薦したのは、民進党時代から原発ゼロに取り組んでいた人、あとは共産党と社民党。その後の小池さんの「排除」発言があり、立憲民主党が誕生。流れが劇的に変わり、緑茶会の推薦した候補者の大部分が当選となりました。国会の中に大きな「中心」ができたなーと感じます。
10、 福島で地域・市民共同発電所全国フォーラム
今年後半の一大イベントは、福島での「地域・市民共同発電所全国フォーラム」(以下「全国フォーラム」)です。全国フォーラムは、福島原発事故以前から再生可能エネルギーの普及に取り組んできた全国ネットワークです。1年おきくらいに全国集会をやるのですが、毎回300人くらいの人が集まります。
今年のテーマは「エネルギーで地域が豊かになる」。地域再生可能エネルギー事業が地域の雇用をつくり、同時に行政の力をつけ、農業や漁業も豊かにするということ。私が担当したのは、地域新電力の分科会。「内製化」という難しいテーマを投げかけました。「内製化」とは電力小売にとって不可欠の需給管理を、外部委託するのではなく自分で(社内で)やるということ。それをやらないと、今の日本の仕組みの中で、再生可能エネルギー重視の電気を届けることは難しいという認識です。
内製化を実践している4社にパネリストとしてご登壇いただき、意義と課題を話していただきました。どの会社も強調されたのは、やってみると簡単!ということ。まだ内製化していない福島地元の会社にも参加していただきましたが、その会社からは、今後の方向性が見えて「わが社のためにやっていただいたように思った」と評価していただきました。
この全国フォーラムの後には、エクスカーションとして土湯温泉のバイナリー発電を見に行きました。初めて行きましたが、土湯は大きな温泉街でした。福島原発事故で大打撃を受け、お客さんが激減した中で、なんとか客の呼べる企画をということで、温泉熱バイナリー発電にチャレンジされたということです。本当に福島のチャレンジ精神には驚かされます。
<土湯バイナリ発電所>
以上、10個のダイジェストをお届けしました。来年には、GPP(グリーンピープルズパワー)でさらに本格的に営業に取り組む予定です。「無謀な夢」を「みんなの希望」に変えるために、さらに一層のチャレンジをします。資金集めも必要になりますので、また竹村からの要請が届くものと思います。ぜひ、利息のつかない定期預金を多額?にお持ちの方はご協力ください。
来年は広島県の三原にも発電所をつくります。ちょっと大きな東京ソーラーというプロジェクトも企画中です。文字通り、東京を大発電所にする計画。年金をいただく歳になっても、おかげさまで、まだまだ元気です。ご支援、ご協力をくださっている皆さんに感謝!です。
今年はブログが書けない1年でした。実は理由があります。忙しい・・というだけじゃないのです。電気の小売事業にチャレンジしたため、いろいろな契約に縛られたり、関係会社の裏事情やら、さらには電気のお客さんの情報やら、迂闊に情報公開するわけにいかないことだらけで、これまでのように伸び伸びとブログ発信ができなくなりました。でもそれでは、私のやっていることとその意義を皆さんに知ってもらえないというジレンマの中でもがいた1年だったかなと思います。
そこで1年を振り返って、竹村英明の2017年ダイジェスト版をお届けしようと思います。
1、 電力小売会社「グリーンピープルズパワー」設立
何と言っても、今年の一大チャレンジはこれです。一般的には、電力小売会社は資金とお客を初めから持っていないとできないと考えられています。金も既存顧客も持たない私がチャレンジするのは無謀とも言えるものです。
なぜそんな大それたチャレンジをしたのか。一つには、再生可能エネルギーの電気を届けたいという思いです。もう一つは、電力小売の仕組みがブラックボックスで、中に突っ込んで見ないとわからないという理由です。あまり金儲けを目指していないというのが特徴です。
そうは言っても勝算がなければ、チャレンジはしません。思い切らせてくれたのは、これまでの市民運動のつながりで、「竹村の電気」を買ってくれる人が1000人以上は確保できるという確信、そして発電所づくりで資金協力してくださったみなさんの支援があるという確信です。事業計画ではユーザ数1000、契約量10MWで黒字化できます。そのための初期投資費用は、現時点の計算で2000万円と出ました。黒字化は3年後の予定です。スタートは「取次店」で、正式な小売事業者登録はできません。しかしできる限り早く正式登録できる状態に持っていきたいと思います。
電気の営業は「電気のお悩み相談会」という、選挙の「ドブ板」(各地域での少人数座談会)みたいものを展開しました。3月から毎月4件以上で、年間では42件になりました。相談会で直接お会いしてお話しした方の契約率は50%以上かと思います。
7月の供給開始から、契約にいたったのは90件。まだ少ないですが、来年はより能動的な営業展開を行う予定です。「電気の相談会」は継続し、あなたの街にお呼びがかかれば、竹村が無償で(交通費・講師代無料)飛んでいきますのでお声がけください。また「従量電灯C契約」のお店、中小事業所などは、確実に東電よりも安く電気を供給できます。
グリーンピープルズパワーはこちら
https://www.greenpeople.co.jp
<電気の相談会>
2、 二つ目の発電会社「増富パワー」設立と撤退
「増富パワー」は、発電会社イージーパワー初の500kW規模の発電所となる予定でした。高圧案件とはパワコン出力で50kW以上の発電所です。高圧連系になるのでキューピクルなどの変圧装置が必要です。連系とは送電線と発電所をつなぐことで、 50kW未満は低圧連系と呼びます。
高圧連系は今、全国各地で実質的な連系拒否にあっており、この発電所もそうでした。今年3月までの法制度の切り替えまでに連系の許可が取れず、24円/kWhでとっていた設備認定は失効しました。
一方で、北杜市は太陽光発電設置數が日本でも一、二を争うほどになっています。その数は本当にあちこちにあふれ、反対運動も広がってきました。連系拒否でもたついている間に、周りの林地も開発され、現場は大きな発電所開発のようになってきました。当社の発電所も反対運動の対象のようになり、思い切って、この発電所はあきらめ土地を売却することにしました。地元と対立するような発電所は作りたくないと思います。大きな損失を残すことになりますが、良い経験にもなりました。
3、 市民電力連絡会がNPO法人に
2015年に設立し、市民電力連続講座などで、再生可能エネルギーの地域事業の拡大に貢献してきた市民電力連絡会が、今年1月NPO法人になりました。NPO法人として最初、設立時から数えて三度目となる記念シンポジウムを、2月に開催。WWFジャパンの小西雅子さんをお招きし、COP21(パリ協定)について、その意義と効果についてお聞きしました。
4月からの連続講座では、FIT制度改正について名古屋大学の高村ゆかりさん、ドイツのFIT精度について市民エネルギーとっとりの手塚智子さん、DIO(市民の手作り発電所)についてたまエンパワーの山川勇一郎さん、ソーラーシェアリングについて千葉エコ・エネルギーの馬上丈司さん、省エネと地域おこしについてエコプランふくいの吉川守秋さん、宝塚すみれ発電の挑戦について同代表の井上やす子さんをお招きし、お話をお聞きしました。
講座の内容は全て、ホームページからご覧いただけます。
https://peoplespowernetwork.jimdo.com/kouza/
市民電力連絡会では今年、「市民電力台帳」もまとめました。再生可能エネルギーの電気はFIT制度で買取価格が決められますが、太陽光発電はメガソーラーなどの大規模発電所の価格を基準となり、割高な小規模発電所は不利という予測はありました。しかし小規模のデータ集積がほとんどなく、それを証明するものがなかったのです。市民電力連絡会は小規模(低圧連系の)発電所のネットワークであり、比較可能なデータが集まると考えたからです。予想通り、FIT制度施工後には一気に設置数が増えた小規模発電所数が、翌年、さらに次の年と、目に見えて減少していることがわかりました。
市民電力台帳のページ
https://peoplespowerstation-report2017.jimdo.com
4、 千葉県匝瑳市のソーラーシェアリング発電所が運転開始
発電事業のイージーパワーの初のソーラーシェアリング発電所が千葉県匝瑳市で2月に運転開始しました。1号機、2号機あわせて、パワコン出力は99kWで、パネル出力112kWです。
ただしこの発電所では、とくに1号機で大量の不良パネルが使われていることが判明しました。SMAのパワコンを使い、発電状況をリアルタイムで監視できる仕組みだったので、異常はすぐに察知できました。原因はパネルメーカーによる出荷時チェックにミスがあったということがわかり、発電量の損失は補填されています。パネルも全取り替えになります。
でも、ソーラーシェアリング自体は素晴らしいものです。農業とエネルギー事業の融合で、農業の持続性確保、食糧問題の解決、そしてエネルギーの供給と地球温暖化問題の解決。これを全国に広げることで、一挙に4つの問題、さらに貧困や自治体格差の問題も解決できるかもしれません。スゴイのです。
<匝瑳ソーラーシェアリング写真>
5、 福島の原発事故被災地を訪問
4月には、市民電力連絡会の企画で、原発事故被災地ツアーを実施しました。「てんぷらバス」で常磐自動車道からいわき市を抜け富岡ICへ。建設中の富岡メガソーラーを見ながら、小高の「ぷらっとほーむ」へ。昼食ののち、NPO法人野馬土の市民発電所へ。ここは津波の大被害を受け、その後の原発事故で立入禁止区域となり、生存者を助けることもできなかった「無念」の舞台。野馬土は使えなくなった土地を市民発電所にしようと取り組んでいます。
ところがそこに、東芝、日立、JR東日本が、風量と太陽光の巨大な再生可能エネルギー基地を作るという話を持ち込んできました。被災者に土地を提供せよと。市民側は悩んだ末に、一部を市民発電所に提供するという条件で協力することになったそうです。海側に超高圧送電線をつくり、東京オリンピックに再エネ電気を送るのだとか。
結局、原発を推進してきた企業が再エネの上前をはねる構図かと暗澹たる気持ちになります。しかし、福島の被災者の皆さんは懸命に、生きるために再エネ地域事業に取り組んでいました。えこえね南相馬、南相馬農地再生協議会、川俣のKTSE、福島農民連、飯舘電力と力強い再生、再建への取り組みを2日間にわたって見せていただきました。復興特区としての仕組みも生かして、自力再生をはかっているのです。
最初の放射能雲が直撃し、高濃度の放射能汚染地区となった飯舘村でも、汚れた表土を剥がし、上下の土を入れ替えるという方法で、農地の表面を綺麗にして農業に取り組むという実験も行われていました。そうした農地の上にソーラーパネル、下には牧草で、再び牛を飼う。どこまで放射能のレベルを下げられるか、実験ですが、再び元の暮らしを取り戻そうという強い意志を感じました。
背景には、先祖代々の土地への固執というよりは、被災者に代替地を提供したりするのではなく、汚染地に帰還せよというだけという「政府の無策」があると思います。
<飯舘電力の発電所>
6、 朝日新聞の連載「てんでんこ」に登場
メディアには、いろいろ出ましたが、今年の連休明けにはじまった朝日新聞の「てんでんこ」にキーパーソンとして登場しました。1997年の温暖化防止条約京都会議(COP3)にグリーンピースジャパンのキャンペーナーとして、「ソーラーキッチン」を持ち込んだところから話がはじまります。若々しい私の写真に驚いた人もいらっしゃるでしょう。
ソーラーキッチンはコンテナトラックを改造し、コンテナの中にキッチンを、屋根の上などに2kWの発電設備をつけ、蓄電池に貯めて夜でもキッチンで電気が使えるという「独立型システム」。キッチンでコーヒーや軽食を振る舞い、たった2kWで、家庭で一番電気を使う台所の電気をまかなえることを立証したものです。清水寺でソーラー野点など行い、マスコミ紙面を埋め尽くしました。
ただし「てんでんこ」は私の話ではなく、その1997年から今日までの再生可能エネルギーの存在感を、いろいろな事件を紹介しながら示していくという企画です。1997年から2017年までの20年間に再生可能エネルギーの存在感は格段に違ってきました。
私はその間、1998年には参議院の福島瑞穂さんの秘書となり、自然エネルギー促進議員連盟を立ち上げ、実質的な事務局を担いました。FIT法を作ろうという試みで、250人以上の国会議員が参加、法律制定の可能性は大きかったのですが、あと一歩で経産省のRPS法に潰されました。そこで地方から政策を変えようと飯田市の太陽光発電事業を自ら志願しました。それは「市民出資」と「地域エネルギー事業」という、その後の再生可能エネルギーを支えるコンセプトを生み出しました。そして2011年の東日本大震災と福島原発事故が起こりました。
そのとき「つながりぬくもりプロジェクト」という、被災地に太陽光の灯りや太陽熱のお湯を提供するという取り組みを事務局長として担いました。被災地の避難所などに設置した、それらの設備は7年経った今もかなり使われていました。その確認調査に、朝日新聞の記者さんが同行したことが「てんでんこ」に結実したのだろうと思います。
<ソーラーキッチン写真>
7、 省エネ事業へのチャレンジと挫折
今年、事業として取り組もうとしたものに「省エネ事業」があります。実は飯田市での事業で、一度取り組んでいます。経験ありということで、某生協系の老人施設からの照明LED化に取り組んだのですが、見事に挫折しました。
実はイージーパワーの同じビルの同じ階のお隣の部屋にLED照明を自社生産している会社があります。ほぼ原価ですから、安く供給できるであろうと踏んだのですが、私が出した見積もりは、某文具大手O社が出した見積もりの倍以上だったようです。お隣の会社によると、O社は最近中国からLED照明を大量輸入していて、それを捌かねばならないという情報。設置作業をする人件費が出せるとは思えない価格で、いわば在庫整理の投げ売り価格ではないかと。資金が潤沢な大手企業と、こんな競争はできないので、さっさと撤退することにしました。
8、 山梨県北杜市の大泉発電所に遠隔監視を設置
昨年から発電開始した大泉発電所は、昨年の夏にパワコンのブレーカーが落ちて数ヶ月発見できなかった。発電量の良い時期の大切な電気をみすみす失ってしまった。パワコンは気温上昇や過電流などいろいろな原因で、ブレーカーが落ちることがある。それを速やかに把握するためには、遠隔監視が不可欠と認識させられました。そこで遠隔監視装置「みえるーぷ」を設置しました。
開通したのは、9月29日ですが、それから毎日「今日の発電量」がメールで届くようになりました。「売電収入」がカッコ書きでついていて、多い時には1日に2万円以上の売電収入があります。まさに晴れた日には「チャリンチャリン」な感じです。
大泉発電所 11月の収支
発電量 16,735kWh
売電収入 558,045円
9、 東京都議選と衆議院の解散総選挙
私は「緑茶会」という政治団体の代表でもあります。正式名称は「脱原発政治連盟」で、2014年の3月に設立しました。民主党から自公政権への政権交代があり、政治の流れがいろいろな面で逆風に変わりました。でも自民党の得票率は常に2割程度で、投票率の低下が自民党を比較第一党に押し上げてしまっているのが実態です。小選挙区制度は、当選者が一人しかいません。各野党がそれぞれ候補者を出すと、自民党に有利になってしまうのです。だから各野党が候補者を一本化すれば良いのですが、なかなかできません。それなら有権者側が勝手に一人に絞る運動をしようということで生まれました。
そこで、総選挙など大きな選挙があるときには、必ず推薦(一人に絞る)を出してきました。今年の総選挙では、直前の都議選で「都民ファースト」の大勝利があり、小池知事を中心とする「希望の党」が圧勝する気配でした。しかし緑茶会として推薦したのは、民進党時代から原発ゼロに取り組んでいた人、あとは共産党と社民党。その後の小池さんの「排除」発言があり、立憲民主党が誕生。流れが劇的に変わり、緑茶会の推薦した候補者の大部分が当選となりました。国会の中に大きな「中心」ができたなーと感じます。
10、 福島で地域・市民共同発電所全国フォーラム
今年後半の一大イベントは、福島での「地域・市民共同発電所全国フォーラム」(以下「全国フォーラム」)です。全国フォーラムは、福島原発事故以前から再生可能エネルギーの普及に取り組んできた全国ネットワークです。1年おきくらいに全国集会をやるのですが、毎回300人くらいの人が集まります。
今年のテーマは「エネルギーで地域が豊かになる」。地域再生可能エネルギー事業が地域の雇用をつくり、同時に行政の力をつけ、農業や漁業も豊かにするということ。私が担当したのは、地域新電力の分科会。「内製化」という難しいテーマを投げかけました。「内製化」とは電力小売にとって不可欠の需給管理を、外部委託するのではなく自分で(社内で)やるということ。それをやらないと、今の日本の仕組みの中で、再生可能エネルギー重視の電気を届けることは難しいという認識です。
内製化を実践している4社にパネリストとしてご登壇いただき、意義と課題を話していただきました。どの会社も強調されたのは、やってみると簡単!ということ。まだ内製化していない福島地元の会社にも参加していただきましたが、その会社からは、今後の方向性が見えて「わが社のためにやっていただいたように思った」と評価していただきました。
この全国フォーラムの後には、エクスカーションとして土湯温泉のバイナリー発電を見に行きました。初めて行きましたが、土湯は大きな温泉街でした。福島原発事故で大打撃を受け、お客さんが激減した中で、なんとか客の呼べる企画をということで、温泉熱バイナリー発電にチャレンジされたということです。本当に福島のチャレンジ精神には驚かされます。
<土湯バイナリ発電所>
以上、10個のダイジェストをお届けしました。来年には、GPP(グリーンピープルズパワー)でさらに本格的に営業に取り組む予定です。「無謀な夢」を「みんなの希望」に変えるために、さらに一層のチャレンジをします。資金集めも必要になりますので、また竹村からの要請が届くものと思います。ぜひ、利息のつかない定期預金を多額?にお持ちの方はご協力ください。
来年は広島県の三原にも発電所をつくります。ちょっと大きな東京ソーラーというプロジェクトも企画中です。文字通り、東京を大発電所にする計画。年金をいただく歳になっても、おかげさまで、まだまだ元気です。ご支援、ご協力をくださっている皆さんに感謝!です。
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