磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

リンゴのヒミツ

2011年10月23日 18時19分00秒 | ビジネス・シーン

スティーブ・ジョブズが引っ張ってきたアップル。
同社の製品開発方針に『使い勝手とデザイン』があり、その基本を
成す考え方のひとつが素材の美しさです。

そのため自然界に存在する材料しか使わない。すべての製品を金属化。
つまりプラスチックは使わないというポリシーで、いち早くチタンの
利用を検討し始めました。

ただチタンは加工が非常に難しく、これを加工してもらえる先を探して
いたアップルは、新潟にある東陽理化学研究所に行き着きました。

そこで当時社長を務められていた北合さん。この時から、同社というか、
同氏とアップルとのお付き合いが始まった。

この「本合さんが講師に来るから、ぜひ一緒に参加しなさい」と沖縄
教育出版の川畑社長に誘われて、沖縄経営品質研究会に参加させて頂き
ました。

 「『イノベーション』は『革新』などと訳されますが、
  なかなかピッタリの日本語はありません。
  私が考える『イノベーション』は『挑戦する心』だと
  思います」

ということからスタートして、アップルとの出会い、その後の同社との
ビジネス、そしてそれを超えた個人対個人のお付き合いなど、秘話も
交えて語って下さいました。

最もうならされたのは、このくだりです。

 「通信会社、日本で言えば、NTT、AU、ソフトバンク、
  アメリカではATTといった強大な企業が支配していた
  通信業界。大手の機器メーカーといえども、完全に通信
  会社の下請として、機器を提供するに過ぎなかった時代に、
  ジョブズが復帰したまだ急成長を始める前の1990年代
  末のアップルが、

   『いつかは機器メーカーであるアップル主導の
    ビジネスモデルを確立するんだ』

  という当時信じられないような大きな夢を持って、その
  第一弾として、将来の携帯電話ユーザーになる若者の心を
  つかもうとiPodを開発した」

このジョブズのビジネス構想力でした。すさまじいエネルギーが要った
ものと思います。

経営者には、こういった、

 今、自社が戦っている土俵から大きく跳躍した
 新たな土俵を見出す力

が求められているんですね。頑張らねば。


このジョブズ。1997年のカンバックから今年亡くなるまでに、
どれくらいの給与をアップルからもらっていたと思いますか?

驚いちゃいけませんよ。毎年1ドルなんです。たった1ドルですよ。
今なら、年収75円ってことです。
信じられますか?

だから亡くなるまでの14年間で、合計14ドル。約1000円ですね。

その代わり、

 「自分が必ず業績を上げるから」

という自負の下、ストックオプション、つまり成長する前の株価で、
毎年アップルの株式を購入できる権利を要求したそうです。
何という自信でしょう。

さらに立派なのは、こういう報酬制度は自分ひとりだそうです。
副社長以下には、決して強要しない。本合さんによると、アップルの
当時の副社長は年収2億円だったそうです。

この潔さ、自信の現われ。

同じ年代のマイクロソフトのビル・ゲイツが多額の報酬をもらい、
多額の寄附をすることによって、アメリカのエスタブリッシュメント
層から賞賛されるのに対して、ジョブズは若者から圧倒的に支持される。

そんなこともうなづける気がしました。



      

研究会終了後は、本合さんも参加しての懇親会でした。
ここでは、元気な沖縄の中小企業経営者の方々と知り合うことができ
ました。Facebook友だちも増えました。 手前の方でグラスを
掲げているメンバーは顔本友だちです。


これで終わりかと思ったら、川畑社長がさらに気を遣って下さり、
本合さんと数人でもう一席設けて下さいました。


川畑社長のおかげで、実に充実した沖縄ビジネス滞在になり、その
きっかけを提供してくれたacbさんには、充実した沖縄プライベート
滞在にもしてもらいました。

改めてお二人に、深く感謝します。
本当にありがとうございました。 




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