磯輪日記

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トーメンでの初の海外出張

2023年06月24日 18時16分04秒 | プロフィール

 

大学を卒業して、トーメン(その後、豊田通商に吸収合併されました)の汎用機械部に就職。

ちょうどその頃、私の配属になった課で、イギリスのサイモン・バロン社の飼料機械の

代理店権を取り、私がその担当に任命されました。

 

その時、国内販売、メンテナンスで提携したのが、明治機械さんでした。

早速、機械を勉強するために、同社で技術を担当することになった足利工場のNさんと

一緒に、サイモン・バロンのあるイギリスのグロスターへ出張しました。

これが、私にとって、トーメンに入っての初の海外出張でした。

 

    

技術のプロだけど英語はまったく話せないNさん(当時38歳)と、英語は話せたけど

機械のことは何も分からない、25歳の私。 まるで弥次さん喜多さんの珍道中でした。

 

このイギリスでの2週間の研修後、

 

    

 

当時、イギリスからトーメンに常駐していたセールス・エンジニアのキースと三人で、

力を合わせて、

 

北海道の苫小牧に1号機を、そして青森の八戸では大きなプラントを受注することができ

ました。 懐かしい、サイモン・バロンのペレット・プレス。

 

そんなNさんが、1985年早々、大阪に転勤することになりました。

 

そこで、転勤前に、三軒茶屋のわが家にNさんをお招きしました。

 

 

当時、わが家では、お招きしたお客様に、

 

    

 

ツノ坊の手料理をご馳走するお代の代りに、このノートに、ひと言、記帳してもらい、

かつ動画も撮影するという独特のシステム(笑)を採用していました。

 

Nさんのメッセージが、これです。

 

 

Nさんの言う通り、「その辺りも、見通して」、「異常とも思える手段を使って」、ツノ坊を

「獲得」しました (笑)

 

Nさんが転勤になった4か月後、私もトーメンを退職して、磯輪鉄工所に入社したため、

Nさんとは、この日(1985年1月4日)が最後になってしまいました。

 

 


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