磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

合わせて98年だ!

2013年05月15日 22時03分33秒 | ビジネス・シーン

ISOWAの技術に長らく貢献して下さったMさんとIさんが退職の日を迎え、
引退セレモニーを開きました。

改めてお二人の経歴を振り返ってみました。

Mさんが昭和36(1961)年、Iさんは昭和42(1967)年にそれぞれ
ISOWAに入社ですから、二人合わせて、勤続98年です
すごいですね~


Mさんが入社した時は、工場は現在の春日井市に移転していましたが、Mさんは
名古屋市内だった旧の工場の一角(私が幼年期に住んでいた自宅の1階部分)で
新入社員のキャリアをスタートしたそうです。
この頃は、まだ社員数も30人くらいで、技術はMさんを含めて5名でした。

私の父がアメリカへ渡り、技術提携して、昭和45年に印刷機と製函機が一体化
されたフレキソフォルダグルアを商品化しましたが、その時からフォルダグルアの
スペシャリストとして活躍して下さいました。


それから6年遅れて入社したIさん。その頃は、Iさんの記憶によれば、社員数は
70人くらいだったようです。

 「部品メーカーでなく、完成品メーカーに勤めたかったので、
  ISOWAに入社できてうれしかった」

Mさんは技術一筋でしたが、Iさんは、加工、組立、購買、工務などを経験後、
技術に配属になり、プリンタスロッタという機種をメインに担当して下さいました。





一昨日の定時後、Mさんが私の席に来て下さり、ちょっとお話しました。

Mさんはゴルフが好きですが、下手でした。
私もISOWAに入社した頃、会社のコンペで何度かご一緒しました。
私はMさんが大好きでした。だっていつも私と猛打賞を争う仲間だったからです。

そんなMさんが、

 「でもISOWAは変わりましたね~」

と切り出しました。Mさんはどう変わったと感じているのだろうか? 少々不安な
気持ちを持ちつつ、先を聞いていたら、

 「昔は、設計と製造が頻繁に打ち合わせるというようなことは
  ありませんでしたものね。何か壁があるっていう感じでした
  から。
  でも今は、すぐに集まって打合せするようになりましたからね」

うれしかったというより、ホッとしたというのが正直な気持ちでした。
会社を変えることに取り組んで来た私ですから、MさんやIさんの年代の先輩方
にはいろいろ無理難題をお願いしてきたのに、そんな風に言って下さって、
本当に救われました。

でも最近思うことは、会社にあった負債を減らしてきたつもりだったけど、実は
ISOWAの資産を活用し、ちょっと増やしたことで、相対的に負債の比率が
下がったというのが正しいような気がします。

ただまだまだ。
もっと、もっと風土改革を推進しなきゃいけません。


Iさんが、

 「ISOWAのサービスカーがよく自宅の付近を通ります。
  これからも見かけたら、心の中で応援してますから」

と最後に声を掛けてくれました。


二人にいつまでも安心して応援してもらえるよう、残った我々頑張りますので、
ずっと見守っていて下さい。

合計98年、本当にありがとうございました。




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2 コメント

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ありがとうございました (水野憲司)
2013-05-16 08:48:47
たくさんの皆さんに盛大に送って頂き大変有難う御座いました。
今朝も出社と同じ時間に起きてしまいましたので新聞を読んだ後このブログをゆっくり読ませて頂きました。
本当に長い間皆様にお世話になり有難う御座いました。
これからは時々ブログを読ませて頂きながらISOWAの発展を楽しみにしています。
  ISOWA ガンバレ  
 本当に長い間有難うございました。
返信する
頑張ります!! (磯輪)
2013-05-16 23:19:11
 水野さん

52年間、ありがとうございました。
お世話になった父の分も合わせてお礼言います。

ISOWAビトOBのみなさんとISOWAをつなぐ
ことができれば『磯輪日記』も本望です。

もっと、もっと、いい会社にします!
これからは外からISOWAを応援して下さい。

心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。

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