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エミリオが「長崎へ行きたい!」と言ったもうひとつの理由。
それは、
「カトリック教徒にとっての日本の聖地へ原爆を落としたことが
許せない。
その本当の姿を知りたい」
というものでした。
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まずはグランウンド ゼロ、原爆投下爆心地へ。
「なぜあんなにたくさんのペットボトルが供えられているのか?」
と聞くエミリオに、
「原爆の被災者たちは、みんな、
『喉が渇いた。水をください』
と言いつつ死んでいったからだよ」
と教えたら、涙ぐんでいました。。。
「できるだけ静かな環境の中で見学したい」というエミリオの希望だったので、
開館と同時にに原爆資料館入りました。
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あの時から時計は止まったままでした。
そして原爆祈念碑へ。
原爆投下について、深く、深く感じ入っていたエミリオでした。
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自らも原爆に被爆しながら、被爆者の治療に献身的に当たったとして原爆
資料館でも紹介されていた永井隆という医師。
資料館見学後、N社のS社長がわざわざ車でこの前を通ってくれた小さな、
小さな二畳一間の建物が永井先生の病室兼書斎“如己堂(にょこどう)”。
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帰宅後、ネットで検索したら、こんな姿をしているんですね。
“己の如く隣人を愛せよ”としてこう本人が名付けたそうです。
こんなことをS社長がエミリオに話したら、
「はい、永井先生の書いた本を読んだことがあります」
と答えるんです! エミリオ、凄過ぎ!
永井先生も、コルベ神父を診察したことがあり、被爆後苦しんでいた時、
コルベ神父の教会の水を飲んで持ち直したこともあったそうです。
そうそう、もうひとつ面白い話がありました。
S社長が、
「最近、テレビで フランシスコ・ザビエルの末裔が
神父として日本に住んでいることが紹介されていましたよ」
さすがにそのことはエミリオは知らなかったので、S社長がその続きを
話してくれました。それによると、
彼は、少年時代に、フランシスコ・ザビエルの書いた本を読み、
そこでザビエルが高く評価していた日本人にあこがれ、
「どうしても日本に行きたい!」
と思うようになりました。
で、日本に行くための一番いい方法は何かと考え、神父になる
決断をし、勉強に励み、とうとう日本に来ることができたそうです。
そして来日してから、あることを発見しました。
それは、自分がザビエルの子孫であることです。
彼は、日本に来るまで、そのことを知らなかった。
この話をS社長がしたら、エミリオが、
「そのザビエルが書いた本は、数冊読みました」
おお、エミリオ!!
段ボールの機械売るより、学者になった方がいいんじゃない! 笑
こんなにすばらしい奴と一緒に仕事ができるなんて、本当に幸せです。
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