
新聞に掲載された広告に、思わず目が行きました。
「『壬生義士伝』『一路』の浅田次郎 最高感動作」。
私の大好きな『壬生義士伝』を上回るのか!
居ても立っても居られず、即、Amazonクリック!
あらすじは、以下の本のカバーに書かれた紹介文を参照してください。

結論としては、
読み始めから面白い! 深い!
でも『壬生義士伝』は超えていない。
もちろん、新聞のコピー分にも、「壬生義士伝を超える」とは書いてありませんから。
江戸から津軽の二人の道中で出会う事情を抱えた人たちの問題を、武士道と人間道を
ギリギリのところで止揚させた形で救っていく玄蕃。涙無くして読めないヒューマン
ドラマです。
両作品に共通するのは、武士とは生きにくいもの という浅田次郎さんの見方です。
ただ本作品の方が、それがより強烈に伝わってきました。
そもそも戦う人が武士であるのに、戦が無くなっても、武士は何のために存続する
のか? 代々の家を、身分を護る、そして法度、形式を頑なに守る。太平の世に
武士は必要なのか?
旅が進むにつれ、武士として、自らの信じる道を突き詰めた結果が、恥を晒しても、
一族郎党、さらに地位も名誉を捨てても、生き続けることを選択した理由が徐々に
明らかになります。
主人公 青山玄蕃は 誰よりも本物の武士でした。
ページをめくる度に、二人の旅の終わりが一歩、一歩近づいてくる。
「旅が、本が、終わって欲しくない」
しかしとうとう終わりはやってきてしまいました。
そして旅の果てで二人の別れの直前、玄蕃が「最後にひとこと」として乙次郎に
言いました。
「おのれに近き者から目をかけるはあやまりぞ。
武士ならば、男ならば、おのれのことは二の次ぞ。
まして大身の旗本ならば、妻子のこととて二の次ぞ」
これには困りました。 だって『壬生義士伝』では、
「武士のつとめは民草の暮らしを安んずることなのす。
まずもって養うべき民草とは、おのれの妻と子だと
思うのす。
孔子様は仁と申され義と言われるが、人の道はまず
もって、妻子への仁と義より始まるのではござらぬか」
まずもって養うべき民草とは、おのれの妻と子だと
思うのす。
孔子様は仁と申され義と言われるが、人の道はまず
もって、妻子への仁と義より始まるのではござらぬか」
ISOWAの理念に通じる『壬生義士伝』の主人公吉村貫一郎の言葉とは相反する
青山玄蕃の言葉。
『貫一郎』派の私としては、どうしても、もっと違った結末を願っていました。
1860年 井伊直弼の暗殺事件「桜田門外の事件」が起きている。
そういえばトーメン時代 1991年
映画「動天」を制作 桜田門外の変 を扱った。チケット売らされたなぁ~。主演 北王子欣也。黒木瞳(新人)島田陽子 江守徹
内藤剛志 他 主題歌 谷村新司
この小説のテーマの一つである「妥協のない倫理観」について延べます。主人公 青山玄蕃の蝦夷に島流しになった罪は(冤罪であるが)姦通罪 現代でいう不倫となる訳だが、頭では解かっているが、やめられない,止まらない
かっぱえびせんか?(笑)
不倫は,感情の優先であり、時として理性を上回ることがある。人の行動は理性があるからこそ、感情の虜に支配される。まさに人間としての証明である。スコットランドの哲学者ヒュームは「理性は感情のどれいである。」と言ってる。
心得ねばならない当然の道徳を礼とするならば、私利私欲によって礼を失ったので法が最低限必要になった。礼が法を優先するののが理想的。今日はここまで まだ続きます、次は亀吉をなぜ助けられない、玄蕃さんよ?
亀吉を磔にした構成は納得できない、まして磔の 詳細な記述は必要あるかえ、とどめの槍の抜け方まで書く必要あるかえ、作品の評価を下げると思います読んでいて嫌な気分になりました。
敵討ちの件も言いたいことあります。許可証には、「仇討免状」と説明してるくらいだから、憎しみ7年間捜してやっと出会えた敵と変な和解みたい格好で収めたことが納得できない、他の説明では敵討ちとして、仇討、敵討 意味合い違うでしょうよ、それも亀吉を犠牲にして、二人の命を救う選択おかしいぜ、武士の社会で仇討するのだから、命のやり取り有るのは当たりまえじゃない、内蔵助はいつまでたっても家に帰れないじゃないの?玄蕃さんよ 貴方は武士、武士道否定してるの判っているけど、亀吉の件、仇討 和解の件は判断ミスと思います。
玄蕃さんよ、あんたは武士道、武士そのもの存在否定するのは勝手じゃん、青山の家を潰して家族(奥様、息子さん、お嬢さん)奉公人を路頭に迷わせるんだぜ~それも冤罪で罪を被って、子供は生きていくうえで、罪人の子として指をさされるのよ、何を血迷ったのか 義(道徳)を貫くため流刑を受け入れったって、ばかかぁ~
そんな家族を巻き込まず、一人でやってくれよ、今回訴訟を出した大出対馬守と毅然として戦うことでしょうよ、これが今回のテーマででもある「妥協のない倫理観』と想うよ。今回ここまで 次回は悪いと知りながら、行動を止められない 脳科学から分析
関係ないけど映画、ドラマにするときの配役
青山玄蕃(内野聖聖)
石川乙次郎(目黒蓮)
石川 きぬ(芦田愛菜)
こんな感じじゃ 如何?
> 歴史小説を読むときは、年表、貨幣換算表、
> 時刻読み替え、を手元に置いて
すごい! ちょうどまた別の歴史小説を
読み始めたので、早速実行します。
特に貨幣換算は重要ですね。
また亀吉のことはショックでした。
ああいう形になるとは、玄蕃が牢に現れた時、
亀吉も違う結果を夢見たことでしょう。
亀吉は「寺請証文」も年齢詐称して、丁稚に
出たのかもしれませんね。
でも救って欲しかった。
ありがとう、最初20ページくらいは、なにやら訳わかんなく、最後まで読み切れるか心配しましたけど、最後のほうはページめくるの
もったいない感じで、わざとゆっくり読む次第でした。全体的には
結構面白かったです。乙次郎が
僕というのには、親しみ覚えました。この小説は 若い方が自分探しのため読むことお勧めします。
私は、皆から探されないように気を付けて生活します。(⌒∇⌒)(笑)
さて小説の中で、東照寺(下P70 )が出てきますが、私のマンションから100Mのいちにあります。びっくりしました。 亀吉が
処刑所に行くとき、街並みが切れる際に「亀吉は何を思うか城下を顧みて頭を下げた」ところです。
ここから刑場まで3.5KMです。
びっくりしました。臨済宗の由緒あるお寺なので、改めて亀吉の極楽浄土 お祈りしてきました。
それともう一つ 刑場から手前200M位に仙台川にかかる「暗角橋 くらすみのはし」があります。小説には出てきませんが 罪人はここで 家族と別れ目隠しされて刑場に向かったそうです。
ここからです、トーメンの最後の勤務地で「イベントホール仙台 ワッセ」敷地の東側を流れる
仙台川に 掛ってた 橋だそうです。昭和38年まであったそうですが、木造で朽ち果てたそうです。
これも初めて知ってびっくりでした。歴史小説はこのような、別の発見あるので、楽しいです。
でも、作家の浅田さん 良く調べてますね感心しました。勤務地の近くに処刑場あったのは知ってましたが、再認識しました。
ここから作品に戻り、磯ちゃんも
困惑してましたが、
玄蕃さん 最後の最後に何ちゅう
こと言うのよ、「おのれに近き者のから目をかけるはあやまりぞ。武士ならば、男ならば己の事は二の次ぞ」 自分は武士道、武士の存在を否定しておきながら、なんだって武士なら「おのれの 近き者から目をかける、、、」ってゆうのじゃ、どの口がそうゆわすのじゃ、可笑しくないかい ハチャメチャだぜ、論理的整合性がないよ~。おいらの知り合いの社長さんも困ってたよ。
玄蕃さん 僕は(乙次郎の真似)
おみゃぁさん の 言うことなんか ききやセンゾー飴でも ねぶってろ~。 終わり
> 最後のほうはページめくるの
もったいない感じで、わざとゆっくり読む次第でした。
私もそうでした (笑)
終わってしまうのが、寂しくって。
知らなかった地元仙台の歴史と触れ合えた
ことも良かったですね。
私も驚きでした。
歴史小説の読み方、アドバイスありがとう
ございました!