磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

おばさん、待ってるよ

2010年12月26日 19時54分15秒 | MY FAMILY

親戚でもないのに「おばさん」と呼ぶ女性が私には二人いました。

ひとりは、大学時代の下宿のおばさん、山田たけさん。

そしてもうひとりが、酒井さん。
酒井さんとの関係はここを見て下さい


父が亡くなった当日、このことを酒井さんに伝えなきゃと大急ぎで
電話したら、酒井さんの娘さんが、

 「9月に倒れて、リハビリ中なんです」

びっくりしました。一刻も早くお見舞いに行きたかったんですが、
どうにも時間が取れず、お別れしない会、四十九日が終わった今日、
やっと出掛けることができました。


教えてもらった知多のリハビリ施設に到着すると、おばさんの娘さん、
えみちゃんが出迎えてくれました。
おばさんだけじゃなく、えみちゃんも私が子どもの頃は、同じ敷地で
生活していたので、私とは幼なじみでもあるのです。

えみちゃんに案内されて、私が車を停めている間に、先にツノ坊が
エントランスを入ると、

 「知子さん」

と声を掛けてくれる人がいました。おばさんです。

私も大急ぎで中へ入ると、そこに車椅子に乗ったおばさんがいました。
染めることができないので髪は白くなり、ちょっと痩せて、声が小い
けど、思った以上に元気そうなおばさんです。

とても広く、開放的で明るいロビー。中庭もあり、大きな木にみかんが
たくさん生っていました。


お父さんのこと、ご近所のこの1年半の変化、子どもたちのこと、
もちろんおばさんの体調、リハビリの様子など、いろいろ話せました。

父の密葬の通夜でのあいさつで、

 「母の闘病中、そして亡き後、父の日常生活を支えてくれた人」

としてツノ坊とおばさんのことを紹介しました。

それほど、おばさんは我々家族の一員同然でした。

もちろん、ひとみも光も赤ちゃんの頃から母親のように育ててもらい
ました。

そのおばさんが脳梗塞で倒れ、今リハビリしている。

父の急逝と同じくらい私たちにとってつらい出来事でした。


お別れする時、ツノ坊がおばさんの手を取って、涙をこぼしながら、

 「おばさん、リハビリサボらず、早く元気になってね」

私も、

 「また元気になって、必ずウチに遊びに来てよ」

そしてそれにうなづいてくれたおばさん。


本当に待ってるからね。そしてまた会いに来るからね。

頑張ってね、おばさん。


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