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みなさんご存知のとおり、我が家の姓は『磯輪』です。
その『磯輪』という姓の由来については、私が十代の頃、祖父からと一緒に夕食を取って
いた時、
「むかし、むかし、神様が丸木舟で今の三重県のとある海岸に流れ着いたと
いう伝えがあり、以来その地では、船大工が大勢生まれた。
うちのご先祖様も船大工だった。苗字を名乗ることを許された時、
『舟は、磯の車輪だから、磯輪と名乗ろう』
となったのだ」
と教えてもらったことがありました。
その後、まだ子どもが小さかった頃、三重県の志摩地方にキャンプに行った時、キャンプ場で
チェックインしようと、住所、氏名を記入していたら、
「おお、あんたも イソワさんか!
ここら辺りにはイソワはたくさんいるぞ。この人もイソワだよ」
と言われたことがあり、祖父の話は本当だったんだ! と驚きました。
だから、私は、磯輪家は三重県志摩の出身だと思っていました。
今回、Sさんに紹介してもらって訪問したレストランのひとつ、
プチ・レストラン宮本で食事を終え、お支払いをしていたら、お店の女将さんから、
「どちらからいらっしゃったんですか?」
と尋ねられました。で、
「名古屋からです」
すると女将さん、
「この辺りはイソワさんが多いので、志摩からいらっしゃったんだと
思ってました」
「名古屋にもイソワはいますので、よろしくお願いします。
また来ます」
「今度はお店の自慢のカレーを食べてください」
こんな会話でお別れしました。
しかし、その後、どうしてもわが家のルーツが気になって、古い電話帳をネットで検索して、
志摩市の『磯輪』探しをしてみました。
ところがいくら探しても、『磯輪』は一軒も見当たりませんでした。
ただ『磯和』は志摩半島の先端近くの越賀(こしか)という町には700人の『磯和』さんが
住んでいることが分かりました。これ、全国一です。
ということは、ここら辺りにいる『イソワ』さんは『磯輪』さんではなく『磯和』さんの
ようです。
じゃあ『磯輪』は?
全国的にも非常に少ない姓であることは間違いなく、三重県にも若干名存在するようですが、
結婚40周年を機に、以前より謎が深まってしまいました・・・
以上で、結婚40周年記念旅行のシリーズ完結です。
追伸
冒頭の写真は、二見興玉神社への参道の途中にある 賓日館です。
磯野なら日曜夕方にお馴染みですが・・・。
そうですか、私が、omsmさんにとって、
初の磯輪でしたか!
昔のように子どもがたくさんいる時代であれば、
同じ姓の人も増えていったでしょうが、
この少子化の時代、生まれても、それ以上に
亡くなる人が多いから、ただでさえ少ない磯輪姓も、これから先はさらに減っていく
でしょうね。寂しいけど、絶滅危惧種かもしれません。