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2か月ほど前、大好きだった如水会の大先輩 布袋食糧の福田先輩がお亡くなりに
なったという知らせが届き、すごくショックを受けました。
私が、名古屋に戻り、如水会の名古屋支部に参加するようになった頃から、
お目に掛かるといつも、包み込むような笑顔で「磯輪君」といつもやさしく
声を掛けて下さっていた福田先輩。
一度、
「磯輪くんの会社を見させてよ」
とW先輩と二人でお越しになったこともありました。
7年前の如水会名古屋支部の110周年のパーティーの席で、福田先輩から
声を掛けられたことが『磯輪日記』に残っています。
F「磯輪君、いくつになったの?」
I「55歳です。私が名古屋の如水会に入ったのはもう25年前のことです」
F「そうか、あの頃は磯輪君、一番若かったもんね~」
I「そうです。福田先輩たちにいろいろ教えてもらいました」
F「一橋を卒業して、名古屋に戻ったり、定着して、商売をしている
後輩がたくさんいる。だからね、磯輪君も自分の経営スタイルを
作ったんだから、今度はそれを次の世代の後輩に伝えていくことを
してやってよ。
そうやって代々伝えていくのが、こういう同窓の良さだから」
その福田先輩のお別れの会に、昨日、参列しました。
会場に入った途端、
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やさしく微笑みかける福田先輩の遺影が目に飛び込んできました。
(会場で頂いたしおりの写真をお借りしました)
「あ~、いつもの福田先輩だ・・・」
福田先輩の気品、やさしさがよ~く伝わる、とてもすばらしい遺影です。
今にも声を掛けてくれそうな姿。
ますますお亡くなりになったことが信じられません。
3名が弔辞を述べられました。
その中のひとりは、やはり同窓のアタックスの丸山さんでした。
いずれの方も、福田先輩の人となりを褒め称えているし、会場で私の
周りに座っている方たちからも、
「そうだよね」
「本当にその通りの方だった」
という声が聞こえて来ました。
たとえ我々のような後輩に対しても、けっして偉ぶることなく、謙虚な方
だったことは万人が認めるところなんですね。
現在同社の社長を務めるお嬢様が謝辞の中でこんなエピソードを聞かせて
くれました。
奥様の誕生日をご家族でお祝いする食事会を終え、
「楽しかった、楽しかった」
と帰宅され、車庫に止めた車で、ご家族に、
「先に家に上がっていて。
後から行きます」
しばらくしても車から出て来ないので、様子を見に
行ったら、車の中でそのまま亡くなっていた。
他人に迷惑を掛けることが嫌いだったお父さんらしい
最後でした。
う~ん・・・ 80歳か・・・
せめてもう一度、お目に掛かって、お話したかったです。
寂しくなります。
心から、本当に心から、福田先輩のご冥福を祈っています。
30年以上にわたって、ご指導、ご厚誼、ありがとうございました。
私も先日、大好きな先輩の御訃報を受けました。戦時下の大学で学生生活を過ごされた方でした。如水会での講演会は必ず一番前に座られ、熱心に聴講されておられました。「生涯勉強ですから」というのが口癖でした。
現役時代はご立派なお肩書を持たれた方なのに、本当に偉ぶられず私にも大変丁寧に接していただきました。「すべて落ち着いてから各所に知らせるように」というご遺言で、ご逝去のお知らせは10日ほどたってから、ほんのつい先日届いたばかりです。心情的にこのお話と重なるところがあり、書かせていただき失礼いたしました。
福田先輩にはお目にかかったことはございませんが、磯輪先輩の文章から感じられる大先輩の生きざま、学ぶべきところを心に刻みませて頂きました。ありがとうございました。