磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

大好きでした

2017年11月25日 19時05分00秒 | プロフィール

2か月ほど前、大好きだった如水会の大先輩 布袋食糧の福田先輩がお亡くなりに
なったという知らせが届き、すごくショックを受けました。

私が、名古屋に戻り、如水会の名古屋支部に参加するようになった頃から、
お目に掛かるといつも、包み込むような笑顔で「磯輪君」といつもやさしく
声を掛けて下さっていた福田先輩。


一度、

 「磯輪くんの会社を見させてよ」

とW先輩と二人でお越しになったこともありました。


7年前の如水会名古屋支部の110周年のパーティーの席で、福田先輩から
声を掛けられたことが『磯輪日記』に残っています。


 F「磯輪君、いくつになったの?」

 I「55歳です。私が名古屋の如水会に入ったのはもう25年前のことです」

 F「そうか、あの頃は磯輪君、一番若かったもんね~」

 I「そうです。福田先輩たちにいろいろ教えてもらいました」

 F「一橋を卒業して、名古屋に戻ったり、定着して、商売をしている
   後輩がたくさんいる。だからね、磯輪君も自分の経営スタイルを
   作ったんだから、今度はそれを次の世代の後輩に伝えていくことを
   してやってよ。
   そうやって代々伝えていくのが、こういう同窓の良さだから」


その福田先輩のお別れの会に、昨日、参列しました。

会場に入った途端、

          

やさしく微笑みかける福田先輩の遺影が目に飛び込んできました。
(会場で頂いたしおりの写真をお借りしました)

 「あ~、いつもの福田先輩だ・・・」

福田先輩の気品、やさしさがよ~く伝わる、とてもすばらしい遺影です。
今にも声を掛けてくれそうな姿。
ますますお亡くなりになったことが信じられません。


3名が弔辞を述べられました。
その中のひとりは、やはり同窓のアタックスの丸山さんでした。

いずれの方も、福田先輩の人となりを褒め称えているし、会場で私の
周りに座っている方たちからも、

 「そうだよね」

 「本当にその通りの方だった」

という声が聞こえて来ました。

たとえ我々のような後輩に対しても、けっして偉ぶることなく、謙虚な方
だったことは万人が認めるところなんですね。


現在同社の社長を務めるお嬢様が謝辞の中でこんなエピソードを聞かせて
くれました。

  奥様の誕生日をご家族でお祝いする食事会を終え、

   「楽しかった、楽しかった」

  と帰宅され、車庫に止めた車で、ご家族に、

   「先に家に上がっていて。
    後から行きます」

  しばらくしても車から出て来ないので、様子を見に
  行ったら、車の中でそのまま亡くなっていた。

  他人に迷惑を掛けることが嫌いだったお父さんらしい
  最後でした。

う~ん・・・ 80歳か・・・

せめてもう一度、お目に掛かって、お話したかったです。
寂しくなります。


心から、本当に心から、福田先輩のご冥福を祈っています。

30年以上にわたって、ご指導、ご厚誼、ありがとうございました。



   

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1 コメント

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Unknown (nomura )
2017-11-25 19:52:53
心からご冥福をお祈り申し上げます。お年からしてまだお早いような感じを受けます。さびしいことです。
私も先日、大好きな先輩の御訃報を受けました。戦時下の大学で学生生活を過ごされた方でした。如水会での講演会は必ず一番前に座られ、熱心に聴講されておられました。「生涯勉強ですから」というのが口癖でした。
現役時代はご立派なお肩書を持たれた方なのに、本当に偉ぶられず私にも大変丁寧に接していただきました。「すべて落ち着いてから各所に知らせるように」というご遺言で、ご逝去のお知らせは10日ほどたってから、ほんのつい先日届いたばかりです。心情的にこのお話と重なるところがあり、書かせていただき失礼いたしました。
福田先輩にはお目にかかったことはございませんが、磯輪先輩の文章から感じられる大先輩の生きざま、学ぶべきところを心に刻みませて頂きました。ありがとうございました。
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