磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

永遠の若大将

2013年12月13日 21時39分02秒 | ビジネス・シーン

ISOWAの子会社のISOWAフーパースイフト(略称『IH』)の
國本さんが67歳の誕生日を前にISOWAを卒業することになりました。

國本さんは四国の高松出身で、1964年にISOWAに入社しました。
ということはISOWAビト50年生での卒業ですね。

私が小学生の頃は、わが家の隣にISOWAの独身寮があり、國本さんも
ここで数年過ごしていて、子どもの頃、よく遊んでもらいました。

夏休みには、キャンプに連れて行ってもらったこともありました。

だから私の母との思い出もいくつも持っているんです。


1972年、ISOWAがアメリカのコパーズ社と合弁でIH社を
設立し、國本さんはここへ籍を移し、IH社がアメリカの
バトラー社から導入した技術で生産することになったコルゲータ用の
紙継装置(スプライサ)を一貫して担当してくれました。

國本さんへの内外のお客様からの信頼はとても厚く、海外のお客様
からも指名でサービス、点検の依頼が入りました。

亡くなった私の父も「スプライサと言えば國本君」というくらい
絶大な信頼を寄せていました。

これまでも節目の年齢に到達する度に、無理を聞いてもらい
今日まで勤務して下さいました。

國本さん、本当にありがとうございました。


今日、お礼の言葉を掛けに國本さんの席に出向いた時、こんな話を
してくれました。

 「『社員の力を結集して経営したい』とどの経営者も
  言うけど、ほとんどの会社はそうできない。
  それをISOWAが実現しているってことは、
  本当にすばらしい。
  この様な素晴らしい会社の一員として関われたことが
  私の自慢です。
  
  自分がこのようにすばらしいISOWA人生を送れた
  のも、すばらしい仲間がいたからこそ。みんなに感謝
  しています。そう思えるのも、今、この年齢になった
  からなのかもしれない。

  だからいくつになっても、夢は持ち続けたい。

  もし何かお手伝いできることがあれば、いつでも声
  掛けて下さい。」

何か今後の目標はあるんですか? と尋ねたら、

 「実は60歳になった時に、小さな船を買って、近場で
  練習してきました。引退後は、その船を駆って九州の
  あちこちの港を巡ります」

すばらしい!! 

もう少し腕を磨いたら、自前の船でアメリカのお客様へのサービスに
行ってもらえるかも。

くれぐれも遭難することのない範囲で、目標実現して下さい。
そして達成時には、ぜひ記念写真入りで報告下さいね。


49年と3ヶ月、本当にお世話になり、ありがとうございました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿