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中学・高校の同級生のYを見送った日の夜、大学の同級生のFくんがと会いました。
数日前に、東京のFくんから、
「金曜日、名古屋泊りなのですが、
インフルのためになくなりました。
とお誘いのメールが届きました。
名古屋ということで、私のことを思い出してくれ、わざわざ誘ってくれる。
こんなありがたいことはありません。少々予定をやり繰りして、無事、Fくんを名古屋で
歓迎する席を設けることができました。
我々の同級生となると、もうほとんどが現役を引退しています。
一部、私のような人間はまだ働いています。 Fくんも未だ現役です。
ところがFくんのすごいところは、自分の力で「ウチの経営を助けて欲しい」とオファーを
引き出していることです。 それだけ彼に経営手腕があるということです。
おまけに自分で立ち上げたNPOの代表も兼務しています。
あれは多分25年くらい前、40代の頃のことだと思います。 同期での集まりで、Fくんが、
「第二の人生を豊かにしようというけど、みんな、第二の人生が来てから
考え始める。そんなことで豊かな第二の人生は送れない。
だからボクは、今から第二の人生の準備をスタートすることにした」
と宣言したことをよく覚えています。
それくらい何ごとも計画的に行動する男なんです。
住友商事時代に7社(?)、住商を辞めてからも同じ数くらいの会社を再建してきて、
今度が最後の挑戦だそうです。
そんなFくんが、先日あったゼミの同期会(私は参加できなかった)で、
「自分としてよくやったと自慢できる話を語り合おう!」
と提案したけど、賛同を得られず、実現しなかったというので、その話を聞かせてもらいました。
その話とは、
東海道新幹線の岐阜羽島駅と米原駅の間に位置している巨大な構造物ソーラーアーク。
2002年に三洋電機が開設した太陽光発電施設です。
Fくんは、これに深く関わっていたこと、そしてそれが近々取り壊しになるかもしれないことを
詳しく話してくれましたが、とてもいい話でした。
運よく取り壊しにならなければ、今後は、ソーラーアークを見るたびに、Fくんのことを
思い出すでしょう。
そのFくん、
「磯輪のポーター賞だって、磯輪の自慢話だよな」
と言って、ポーター賞の受賞が社員にどう受け止められているかなど質問を受けました。
ポーター賞が受賞で終わらず、その後もプロジェクトNなどでしっかり繋がろうとしている
ことを知り、
「ISOWAではポーター賞はゴールじゃなく、スタートだね」
と言ってもらえて、とてもうれしかった。
お互い、これからも自慢できる話を創っていこう!
声掛けてくれて、ありがとう、Fくん! またね。
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