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今年も、受験生のお子さんを持つ方に九州の大宰府天満宮のお守りを
プレゼントしていました。
すると少し前のことですが、わが社のNくんからこんなうれしい
メールが届きました。
> 先日は「お守り」をいただきありがとうございました。
> 下の娘も無事、私立入試、公立の推薦共に無事合格する
> ことが出来ました。早速ご利益があったようです。
> 公立の推薦は枠が20名しかなく、挑戦するつもりで、
> 駄目なら3月の一般入試で勝負するつもりでした。
> まさか合格するとは、本人もとても喜んでいました。
> 合格を見に行った日は家族みんなでお祝いしました。
> お守り本当にありがとうございました。
さすが受験の神様の本家本元。霊験あらたかですね。
このメールを受け取った後、Nくんに「よかったね~!」って
声を掛けたら、本当に晴れ晴れとした顔をしていました。
笑顔って本当にいいですね。
「応援してるよ」って気持ちだけでも伝えられたらうれしいけど、
こうやって「合格しましたッ!」て報告もらうと、なおさら。
我がことのようにうれしいです。
受験だから、結果として合格か不合格のいずれかになっちゃいます。
でも不合格だったからといって、世の末って考えない方がいいと
思うんだな。
努力した結果であれば、合格、不合格に限らず、きっと彼、彼女に
とって一番いい途を神様が指し示してくれているんですよ。
中味の無い学歴はすぐに剥げるけど、努力して身に付けた学力は
決して裏切りません。
今朝、ある人からすばらしい言葉を教えてもらいました。
「そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり、
我々が人生の答えを出さなければならないのです。」
ヴィクトール・エミール・フランクルの『夜と霧』という本からの
引用だそうです。
その人曰く、
「働くということもこれと同じだと思います。
ISOWAで働くことの意味を誰かに問うのではなく、
ISOWAで生きることの意味は自分で創る。」
我々が人生について問われるのは、受験や就活の時期だけでなく、
生きている間ずっと問い続けられる。
そしてそれは誰かが答えてくれるんじゃなく、生きている間ずっと
自分で答えを創り続けなきゃいけない。
受験の結果に関わらず、自分の人生だから、その意味は自分で
創りましょう。
もちろん私も。
高校合格おめでとう!
第一希望に合格できて、本当に良かったね。
お父さんも、とってもうれしそうだった。
4月からの高校生活、思いっきり楽しんでね。
応援してます。
お母さんにもよろしく伝えて。
ありがとう。