よんたまな日々

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「木曜組曲」 恩田陸

2005年04月20日 | 読書
今回の感想はネタバレなしで書けたと思います。
導入部の構成がしっかりしているので、そこだけ書くだけで、小説の雰囲気が十分伝わると思います。

○あらすじ
天才的な耽美派小説作家重松時子が死去してから4年が過ぎた。5人の女性が毎年木曜日に時子の暮らしていた館に集まり、時子をしのぶパーティを開いている。この5人は、時子の死の瞬間に正に居合わせた人々である。
4年目のパーティーに、時子の死を知る人間から送られた花束がきっかけとなって、5人がそれぞれの事情を語ることで、次々と知られざる時子の死の真相が暴かれる。

登場人物は、この5人の女性のみ。時子も含めた6人のプロファイルを紹介すると
時子  うぐいす館の主。耽美派小説の天才作家。4年前に服毒自殺を図ったとされている。
えい子 ベテラン編集者。かつては、時子の担当者であり、うぐいす館で時子と暮らしていた。今もうぐいす館に一人暮らしている。木曜日のパーティーの発案者。
静子  時子の異母姉妹。出版プロダクションを経営している。
絵里子 時子の母の妹の娘。大学講師のかたわら、ノンフィクションライターをしている。
尚美  時子の弟の娘。主婦だが、細やかな女性心理の描写で知られる売れっ子サスペンス小説作家である。
つかさ 尚美の異母姉妹。歯科技工士で、純文学作家。冷たくモダンな作風。

と、いずれも、時子と血のつながりがあり、文芸関連の仕事をしている人達。彼女達は、未だに時子という天才に支配されていると感じている。その5人がパーティーの中で4年前の事件を振り返る。

典型的なコージー・ミステリーです。場所はうぐいす館を一歩も出ず、登場人物も原則この5人だけ。しかも、えい子が作る素晴らしいパーティー料理と酒が付いてます。さらに、時子が服毒自殺しているというのも、コージーミステリーらしいですね。
エルキュール・ポワロシリーズのアガサ・クリスティも、毒に関する知識の豊富さで有名だそうでで、コージー・ミステリーといえば毒殺らしいですが、この本を読むと、なぜ、コージーミステリーで毒が使われるのか、納得できます。
そこが居心地いい空間であれば、あるほど、その中に毒をしのばせるという行為の陰険さが効いてきますね。

ところで、この小説は映画化されているそうです。Webで、キャスト紹介しているページを見つけたので、イメージしやすいように配役を紹介しておきます。
なお、引用元のページはこちらです。
時子  浅丘るり子 
えい子 加藤登紀子
静子  原田美枝子
絵里子 鈴木京香
尚美  富田靖子
つかさ 西田尚美
書いてみて、原作のイメージと結構違うなと思いました。レンタルショップで借りてこようかな。

コージー・ミステリーの基本をきちんと守りながら、ミステリーの意外性でも、展開のドラマチックさでも、きちんと魅せるところは素晴らしいです。制限が厳しいほど芸達者さが冴えますね。素晴らしいミステリーだと思います。


これ以上書いても、ネタバレにしかならないので、気に入ったフレーズを拾っていくことにします。


えい子が尚美の持ってきた「しろたえ」のケーキを受け取りながら、
嬉しい。ほらね、つかさちゃん。女の子のおみやげはこうでなくちゃ。あの子なんかジンのボトルを持ってきたんだから

というシーン。実は、ここに痺れて、僕の今年のホワイトデーのプレゼントは「しろたえ」に決まりました。


静子が自分が時子を自殺に追い込んだという凄惨な話をした後で、
「--証拠がないわね」
尚美がポツリと呟いた。

この後、尚美が、静子の話を裏付ける証拠が消えていることを具体的に述べ立てるのですが、それに対して、
「あら」
なぜかむきになる尚美を、静子が面白そうな目で見た。
「昨日のお返しかしら?確かに、これもまたあたしの妄想なのかもしれないわよね。なにしろ、あたしたちは夢見がちな人間揃いなんだから」

この後、証拠とされる文章についての会話があって、
「そりゃあね。あたしたちはモノ書きだからさ。何をするにも結局書くことでしか気持ちを昇華させることができないのよね」
「やれやれ、ほんとに因果な商売だ」
「編集者のあなたもね」

最後の言葉は、証拠とされる文章を発表したいと考えたえい子に向けられたものです。
今でも、文学作品の虚実について、研究者(あるいは素人愛好家)の間では、諸説もてはやされたり、あるいはプライバシーの侵害だという裁判が起きたりしますが、そういう書くことと、それを発表することの業の深さに対する作家達の自嘲的な覚悟がうかがえて面白いと思いました。



次はつかさの見合い話で、男を振った原因が、得意料理はトマトと茄子のスパゲッティと答えたからという部分。
「あたし、女でも得意メニューがビーフストロガノフですとかきっぱり答えてる奴は、『お前、それ以外作ってないだろう』と思うね。だからさあ、トマトと茄子云々って言う奴は、それしかできないにもかかわらず、自分は料理が得意だという幻想に陥りやすい」
「つかさは家事を分担したいの?」
「別に。たぶん、あたし、自分の流儀でないと我慢できないから、台所とか、ゴミ出しとか、相手には手出しさせないと思うわ」
「じゃあ、そいつでもいいじゃないの」
「嫌よ。自分は女性の手助けをする進んだ男であると思っている、その心根が嫌なの」


善意の男の鈍感さに対する苛立ちというのは、角田光代の別の本にもあったので、そっちでちょっと書こうと思っているのですが、見合いで振られまくった料理好きがウリの男にとっては、相当どきりとする文章でありました。

他にも細部にわたっていい箇所がいっぱいあります。パーティが一週間のうちで最もなんでもない日の木曜日に開かれるというのも、作品の雰囲気を高めているし。
実はこの人の「6番目の小夜子」も読んだのですが、そっちはあまりぴんとこなかったのに、このコージーミステリーの王道を行く小説は本当に面白かったです。
まぁ、僕はアガサ・クリスティは「そして誰もいなくなった」が一番好きな人なので。

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