その4では、H君の人となりについて、福住のアパートでの暮らしについて、さらに深く説明しました。
福住のアパートでの同棲生活、とても楽しかったのですが、大家のおばあさんのイライラと、30平米での二人暮らしの手狭さから、引っ越しを決意しました。
引っ越しに当たって、当時は事実婚に対する大家さんの理解、あまりなく、身を固めようと決心しました。
この表現は、余り正確ではなく、寧ろ、私が、たまが転がり込んで来た直後から、「結婚したい」と言っており、たまが、「歳も歳だし、可哀想だから、結婚してあげる」という感じでした。
向こうの両親にも半同棲生活することは、伝えていたそうです。あちらの両親が、私が35歳のおっさんで、たまがまだ適齢期の26歳であるので、年上の変なおっさんに騙されていないか心配していて、「一年くらい同棲して変な男じゃないか見極めたら?」と言っていたそうで、両親公認の同棲という不思議な関係になっておりました。
福住のアパートで一年以上一緒に暮らし、まあ大丈夫だろうということで、引っ越しのタイミングで、籍を入れました。
その前に両親へのご挨拶に行こうとしたら、たまが深川の喫茶店に両親を呼び、そこで挨拶することになりました。たまが、なるべくホームで対応できるように配慮してくれました。
緊張して一生懸命口上を考えていたのですが、たまの両親はすっかり私のことをよく知っていて、ほとんど喋らないまま、あっと言う間に挨拶が終わりました。最後にたま父が、「まあ、これから仲良く楽しくやってください。」と言ったのが、とても印象的でした。
籍も入れ、挨拶も終わり、後は新居を見つけるだけとなってからが、実は大変でした。当時の深川-門前仲町は、昔からの街で、大規模開発が入らず、ファミリータイプの賃貸マンションの出物がほとんどなく、不動産屋で望みの部屋が全く見つかりませんでした。この僅か2年後には、大江戸線開通と東雲エリアの大規模開発が行われ、江東区はニューファミリーが大量に流入しました。その後、江東区では小学校が子供を受け入れられないというニュースが報道されるくらいになるのですが、我々はアーリーアダプター過ぎた模様で、2000年頃の深川では、新居探しに数ヶ月かかりました。
ほとんど選択の余地なく引っ越した先ですが、極めて快適でした。60平米の2LDKでした。築20年と言ってましたが、お風呂も十分広く、追い焚き付き。エントランスはオートロック。前より駅近になりましたが、会社にも徒歩圏内。近くには、スーパー赤札堂があり、広い道路から一本入っているので、静かです。窓からは、首都高が見下ろせるので、渋滞状況を見て取れるのも気に入ってました。車乗らないので、関係ないですけどね。
大家はなく、管理会社が全て窓口になってくれました。これも、福住のちょっと近すぎ大家のおばあちゃんよりは、ビジネスライクでやりやすかったです。
たまをうちの家族に紹介に連れて帰ったはずなのですが、その時のエピソードは全く忘れました。たまの親しい友人の一人が、うちの妹の友人でもあったらしく、妹から両親に、たまの人となりについては、十分インプットあったようで、私との喧嘩の事情もあり、「嫁さん」として期待されてなかったので、きっととてもあっさりしたものだったのでしょう。
それよりも、うちの母が先方の両親に挨拶したいと言い出したことに驚きました。
二人の結婚なので、向こうの両親は関係ないやんと思いましたが、最近の小室圭と眞子様の話を聞いていると、うちの母の言い分は正しかった気がします。
調整して、うちの母にたま実家のある調布まで出てきてもらいました。うちの母は、これまで書いてきたように、非常に保守的伝統的で良家の子女代表みたいなところがあるのですが、たま母は山形の保守的な村を出て東京の師範学校に入学した人。バリキャリ先駆者みたいな人で、私にとっては我が母以上に話が合いましたが、我が母と価値観が合わないのではないかと心配しておりました。ただ、伊達に教師歴は長くない。非常にうまく我が母を丸め込んでくれました。
たま母が心配したのは、たまが全く嫁さん向きではないこと。一方我が母の心配は息子の嫁の出身の家が、(敢えて偏見に満ちた言い方で表現すれば)「下層階級の家ではなく、我が家の嫁に相応しい家柄の家かどうか。」
母さん、大丈夫ですよ、我が家よりずっと教養に溢れた日常会話をしている家庭ですから。
逆に我が母と散々喧嘩をしておいて、「長男の嫁さん問題」が解決できていて良かった。たま母の懸念も、我が母の懸念も解消したよい挨拶の場になりました。
さて、ここまでで、無事、二人の新居での暮らしがスタートし、平和な日々が続く筈だったのですが、たま母から、余命短い山形のおばあちゃんにたまの花嫁姿を見せたいとのリクエストがあり、結婚式どうするか問題が浮上します。が、その話は次回。
お口直しに秋桜をどうぞ。
>最近の小室圭と眞子様の話を聞いていると、うちの母の言い分は正しかった気がします。
ここでコーヒーを吹くところでした
実はそこは、家柄とやらに拘る我が母の悪口が入る箇所で、具体的な悪口まで考えていたのですが、いざ書き始めてみると、ちっとも悪口を書く気がしなくなっていて、筆を止めて考えて、咄嗟の判断で入った文章です。小室さんのお母さんについては、病院の待合室で見る民放バラエティ番組か、新聞の雑誌広告の見出し程度の知識しかなく、語る資格ないのですが、天皇家にあるまじき家柄の人に惚れてしまったのだなと苦々しく思っていたのが、本当にポロリと出た文章です。
まさか、そこに突っ込んで下さるとは。お局様の炯眼恐れ入ります。
これからも応援とコメント、よろしくお願いします。