小さい頃はおばあちゃん子でした。
両親が商売やっていて、遊んでもらえない時に、隠居して離れの部屋で写経や俳句して過ごしているおばあちゃんの部屋によく遊びに行ってました。
ばあちゃんの部屋は本がぎっしり積んであって、わからないながらに、句集や歳時記を読んでおりました。
本好き娘が、絵本だけでなく、チラシや文庫本も開いて読みたがる姿に、幼い頃の自分を重ねてしまいます。
小学校低学年で、ばあちゃんに連れてもらった京都の都おどりは、楽しくて、今でも良く覚えています。
このおばあちゃん、大きくなって気付いたのですが、両親とはかなり緊張関係にありました。当たり前で、父が祖父から継いだ店がまだ借金経営で苦しい時に、自分の相続遺産をきっちり貰って、そのお金で、当時はお金持ちの豪遊だった洋行を俳句仲間としたり、自費出版で俳句本を出し、俳句仲間に配ったりして、単なる嫁姑問題以上の反目があった様子。
本人は優雅に朝から紅茶とトーストで洒落た朝食を店が開いた後の忙しい時間に食べていたり、どこ吹く風だったみたいでした。
うちの奥さんにこの困ったおばあちゃんの話をしたところ、
「私は好きよ。そのおばあちゃん。文学はそういう人に支えられるもの。」
との回答に嬉しくなりました。
父の法事で親戚一同集まっている時に、このおばあちゃんの悪口大会になりました。うちの奥さんが何か言わないかと心配してしまったのですが、そこは当たり前にTPOを心得て対応していました。心配した私が失礼でした。
大人の良識でおばあちゃん嫌いにならずに済んだうちの奥さんに改めて惚れ直しました。(最後は惚気かよ〉自分)
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