よんたまな日々

サッカーとゲームと本とおいしい食べ物

加湿器を買う話から初めての海外旅行、関東のからっ風

2021年12月01日 | 日々徒然

土曜日、朝から歯医者。治りは順調なので、次は二週間後。
帰って来たら、お昼食べて、入れ違いに家内が美容院に出て行きました。
ママが帰って来るまで、娘に接待双六。双六で絶対勝たせる手段なんて思いつかないんだけど、と思いながら、やっていたら、娘が抱っこしていたキティちゃんぬいぐるみも参戦させると宣言。

周回遅れで参戦したキティちゃんのゲットしたトレジャーカードと娘のゲットしたトレジャーカードを同じトレイに入れて行きます。
この双六、先にゴールした方が勝ちではなく、ゴールするまでにゲットしたトレジャーカードの枚数で勝負が着きます。
もちろん、二人で合算する方が圧倒的に有利。ダブルスコアで娘の圧勝です。
大喜びの娘。このズルルールで3回やって、3回とも圧勝でした。思わぬ接待双六になった。

さて、この土曜日に前倒しで家内の誕生日パーティーをやることになっており、近所の名店にケーキを買いに行くことになっておりました。
さんざん双六をやって疲れたので、ケーキ買いに行こうと娘を誘うと、「ママと一緒に行く。」との返事。ママに「娘と買いに行って。」とメールすると、ママから、「帰宅が七時頃になるので、先に行って」との返事。
娘に「じゃあ、パパ、一人で行くから。」と言って、外出準備していると、マスク、靴下、ジャンパー、手袋を持って階下に降りて来る。
「一緒に行くの?」と聞くと「うん!」と頷く。時計を見ると18時。既にかなり遅い時間なので、本当は一人で行きたいところだが、娘を一人で家に置いておくのも実は心配。連れて行くことにした。こうなるなら、ママのメールを待たずに、無理矢理娘を引っ張って行けばよかった。失敗。
とにかく娘を連れて出かけるが、四歳の足は遅いし、街角に転がる色々なアイテムにいちいち立ち止まって遊ぶ。
上機嫌に付いて来てくれるのは嬉しいが、自宅から300m程のケーキ屋の遠いこと。すっかり街は真っ暗だし、ちょっと辛かった。

ショートケーキを買って、同じ店でクリスマスケーキを予約して、帰途に着く。
誕生日企画のもう一つの趣向として、新しく買った餃子専用鍋で、餃子パーティーをやるつもり、娘の面倒を見ながら、餃子鍋の油ならしなどもしていました。

「帰りに餃子買うよ」と娘に言ったら、「やった!王将?」と聞くので、「違うよ。スーパーで。」と答えると、途端に歩みが遅くなり、「王将の餃子がいい。」と拗ね始める。嫌がる手を無理に引っ張って、近所のスーパーに入り、冷凍餃子を買った。

グズリ続ける娘の手を引いて、帰宅すると19時を回っており、ママは先に帰っていました。
ご近所300m四方の旅で一時間。疲れた。

ママの誕生日プレゼントの加湿器も届いていました。
既設の寝室の加湿器の容量が少なく真夜中に水が切れて、起きて追加するので、大容量モデルに乗り換えたのです。

新しい餃子鍋で焼いたところ、餃子は見事な焼き上がり。娘は食べませんでしたが、ママと二人で美味しくいただきました。
娘ちゃん用にキチンといつもの冷凍ミートボールも準備し、髪を綺麗にセットしたママはジントニック、娘とパパはノンアルで乾杯。とても遅くなりましたが、楽しい夕飯でした。


プレゼントの加湿器も家族で開封の儀をやり、寝室に設置。夜中中頑張って稼働してくれます。

そして、食後のケーキも堪能。なんで写真撮るのを綺麗に忘れている>俺。

娘が加湿器について色々質問し、大雑把に砂漠を森に変えるような機械と理解した模様。湿度とか潤いって難しいよね。

それからずっとサボさんの「砂漠においでよ」を熱唱する娘。
パパがふと思い出した初めての海外旅行のエピソードは、曲紹介の後で。

MELLで「砂漠の雪」


パパの初めての海外旅行は、アメリカはカリフォルニアサンノゼ、もしくはシリコンバレーへの出張。入社二年目にして、憧れのITの聖地での展示会への参加です。(当時は、ITという言葉はありませんでしたが)。

シリコンバレーは、砂漠の中にできた人工都市。半導体の生産に、埃がつかない乾いた気候が向いているとのことで、この地に半導体メーカーが集まり、そこから作られる高性能な計算機を目当てにソフトウェア会社も集まったというもの。

ここのホテルに泊まり、海外では生水を飲んじゃダメという教えを守り、真夜中に喉が渇いて目が覚めた時に、製氷室から氷をコップに入れて取ってきて、溶けたら飲もうと、部屋の机の上に置いておいたら、朝目が覚めたら、コップの水が乾いて、コップが空になっていたというエピソードを娘に話した。
ちなみに、翌日の夜も喉が渇いたので、今度は、製氷室で汲んできた氷にポットのお湯を注いで、飲水を作って飲みました。
当時、サンノゼにはコンビニも自動販売機もなく、ホテルの設備で飲み物を入手するしかありませんでした。

この初めての海外旅行、語るに足るエピソードはいっぱいあるのですが、当時の職場が如何にブラックだったかを語るエピソードを一つだけ。

この出張の目的は、最新のネットワーク技術の展示会で、複数メーカーの製品でネットワークを組み、相互接続可能なことを世界に向けてアピールすること。今でこそ、どのメーカーの製品を使ってもお互いに通信できるのは当たり前ですが、当時はメーカーが違えばお互いに繋がらないのが当たり前で、マルチベンダーでネットワークを組み、お互いに通信できること自体が画期的でした。
展示会の一週間以上前から、相互接続試験を行って、全ての試験に合格したメーカーだけが本番の相互接続デモに参加できます。うちの製品はある試験で不合格になり、作り直しが必要なのがわかったのが、展示会の前の週の金曜日の朝。

我々は、全員金曜日に日本を出発し、月曜日まで、現地観光を楽しんだ上で、月曜日からの展示会準備に取り掛かる予定でした。ところが、金曜日に相互接続に失敗したので、誰かがモジュールの修正版が出来るまで待ってから渡米しないといけない。誰が出発を遅らせるかをジャンケンで決めたら、私が一人負けで、一人だけ月曜日出発となった。
実際にモジュールの作り直しをするのは研究部門の人なので、残った私が自力で問題解決するのではないので、そういう意味で気楽だったらけど、できたモジュールを持って現地に届けるという責任重大な役割を担ってしまった。
金曜日にアメリカに出発する先輩方を見送って、土日出勤し、研究部門の人の開発したモジュールを試験する業務を担当した。
モジュールは無事月曜日の朝に完成し、月曜日も普通に一日働いて、月曜日の夜の便でアメリカに移動した。
ところが時差の不思議で、8時間ほどぐっすり寝て、アメリカ西海岸に到着し、空港から外に出ると、まだ月曜日の朝だった。
モジュールを持ってタクシーを飛ばし、会場に入って、無事現地のエンジニアに渡すことができ、再試験を行って無事合格。本番デモに参加することができた。
月曜日、火曜日とほぼ寝ないで働き、水曜日から始まる展示会に向けた準備完了。水曜日は、展示会初日だったが、この日一日だけ、日本人エンジニアは全員ホテルで爆睡した。そして、木曜日、金曜日と展示会の説明員をやったり、他社の展示を見学したりして過ごし、土曜日の朝の便でアメリカを出発、時差の関係で、日本に戻って来たら、もう日曜日の夕方だった。

結果、振り返ると、渡米前の月曜日から渡米する月曜日まで八日間連続で働き、更にアメリカでもう一度月曜日、火曜日と連続勤務、ここまでで10日間連続勤務。一日休暇を挟んで、木曜日、金曜日と働き、移動も含めて、一日休暇後に、また、月曜日から五日間働くことになった
合計、19日間で勤務17日、休みは2日間となり、振休が着いたのは2日。
あれ、すごく損したと30年間思っていたのに、キチンと文章に書くと余り損していない。
一方、金曜日に出発した先輩方は、金曜日の朝には到着し、優雅にアメリカで三連休を過ごした後、二日間の完徹仕事。1日休んで、また二日間働き、日本に帰って来たので、私ほどには消耗してなかった。

私は初めての海外出張なのに、アメリカではホテルと展示会場にいただけで、後は往路復路だけ、全く遊びなしの出張だったので、不満を持っていました。
先輩方からは、二日間の振休使って、一人で観光旅行して来てもいいよと言われたのですが、早く自宅の布団でゆっくり寝たい気分でした。
なお、月曜日火曜日の厳しい仕事のせいで、時差ぼけに苦しんでいる時間は全くありませんでした。一般に西から東に移動した時が時間が巻き戻るので時差ぼけ厳しく、東から西への移動は時差ぼけ楽だそうです。



西岡恭蔵の「モロッコ」


とにかく、砂漠気候も辛かったです。
当時まだドライアイの症状は出てなかったですが、目も肌もカサカサして、喉が渇いて、体調的に合いませんでした。
小学生の頃、風邪の発熱で保健室で寝ていた時に、ストーブとその上の薬缶のおかげで、暖かく湿った環境になっていてすごく楽だったのを思い出した。
また、新入社員研修で日本大好き英語教師に教わったのだけど、その人が、「日本の文化も、治安も、便利な街も国民性も大好きだけど、唯一厳しいのが、ウェットでホットな気候だ。皮膚トラブルになりがち。」と言ってたのが印象的だった。
逆に私は、昔、南の島の水上コテージで、魚を釣って、飯食って寝て過ごしていたのではないかと思うくらい、暑くて湿度の高い気候が好き。
今夜も雨音を聴きながら楽しくブログ書いております。

次の曲は、愛娘が「マンマ」の次に発した言葉がこの曲の「common baby!」だったりします。
DA PUMP で「U.S.A」。


東京転勤になった冬に痛感したのが、関東のからっ風の厳しさ。
関西では髭を剃ったら、放ったらかしでも、何ともならなかったのに、関東だと粉を吹いて白くなるので、冬になると保湿剤を真面目に使うようになりました。
横浜の独身寮に入った時に寮監から、「部屋が乾燥するので、濡れタオルを干しておくといい」と言われましたが、翌朝には身体を拭いたバスタオルもカラカラになる乾燥っぷり。諦めて加湿器を初めて買ったのもこの頃です。

家内ももちろん加湿器派で、東京で暮らしていた頃は、割と本格的な加湿器を使っておりました。
大阪に帰って来て、乾燥が大分ましな冬を迎え、加湿能力かなり控えめ、音も静かなサンヨーの気化式加湿器に乗り換えて、気に入っていたのですが、家内から部屋がちっとも潤わないとの物言いが付きまして、今は象印のポット型の強力な加湿器を愛用しています。

最後の歌。
いつものビスキャッツで「ジュリアに傷心」。別の方のカバーを紹介したことありますね。好きな曲です。


そしてnaReloのカバーで、大澤誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」


今日はオチなしです。
まだ週半ば、皆さん、もう少しです!ガンバ、ガンバ!

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