よんたまな日々

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「黄色い目の魚」と「時をかける少女」

2007年08月27日 | 読書
「黄色い目の魚」は佐藤多佳子の小説です。
怒りでしか、自分の気持ちを表現できない少女が、唯一尊敬する画家の叔父との共同生活や、独特の絵のセンスを持ちながら、自分ではそのことに気が付いてないサッカー好きの同級生との学校での様々なイベントの中で、自分の気持ちと向かい合って行く姿を描いたという感じですか?
ティーンエージャーの頃の、自分ではどうしょうもない、衝動的な何かがあったこを思い出せる、でも、その表現がすごくイマドキというか、言語化されないものをあえて乱暴な言葉(「むかつく」とか「きれる」とか?)と身体的なメッセージで表現してしまって、それが何か既成の枠に入っているような、入っていないような。
そういう微妙な何かをこういう文脈で描いてしまうことに対して、最近の高校生って大変だねぇって程度にしか思わない、自分はおじさんになったんだなぁと思った小説でした。
言語化できない苛立ちみたいなものについて、小説という言語でおじさんにもわかるように表現してくれた、その説得力みたいなところは面白いし楽しめるんだけれでも、高校生の自分はこうではなかったし、今の自分にはもうすっかり失くした感覚なので、今更そういうことを伝えられてもなぁというのが、正直な感想。

一方の「時をかける少女」は、筒井康隆原作の同名小説、そして大林宣彦の伝説的な作品をオマージュとして描かれたアニメ映画です。
筒井康隆も読んだし、大林宣彦の伝説的名作は、高校生の頃に見て、わからなくて、あの結城まさみがべた褒めしたと聞いて、最近また見直したけど、やはり眠くてしょうがなかったというものです。
大林宣彦作品では、原田知世が演じたヒロインが非常に可愛いと熱狂的なファンが付いたらしいですが、こちらのヒロインは、すごく男性のイメージする可愛い高校生、もしくはそれを受け入れて演じている昔の女性という感じがします。
他方、アニメ版「時をかける少女」は、最初からヒロインにスポットが当たっています。こちらはショートカットで、ミニスカートで、シャツをスカートからはみ出させて着ている、その着こなしや、携帯の使い方、自転車の二人乗りの仕方なんかが、こちらもイマドキで、微妙にクールな言動が、まだ「黄色い目の魚」よりは現実性を感じさせますが、「おじさんが高校生の頃にはねぇ」と思わず説教したくなるような女の子です。

そのイマドキの女の子が、ひょんなことからタイムリーパーの能力を手に入れ、最初は自分の欲望のままに使うのだけど、次々と思わぬ副作用が発生し、どんどん修正を重ねていく中で、そのタイムリーパーの能力の背後にある存在に気が付くという話です。
いや、他の二作と同じように、こちらも一応切ない恋愛話にきちんとなっているのですが、これもなんか自分の物語じゃなくて、最近の女子高生の話みたいな感じでしか受け取れないところに、やはりおじさんとしての自分を感じました。

どちらも、なかなかの力作で面白いのですが、
・現在の僕には当事者感覚を喚起されない。
・高校生の頃の僕というキャラクターを設定して、そのキャラクター視点で物語を見ようにも、あまりにも時代背景が違い過ぎる。
という二つの壁があり、評価しきれません。
ぜひ、現代の高校生たちに見てもらって、これらの作品にどの程度の説得力があるのかぜひ評価してもらいたいところなんですが、高校生の頃の自分って、そんなに自分のことがわかってなかったからなぁ、イマドキの高校生が見て、そういう理解力を有するのだろうかみたいな疑問も湧いてくるのです。

周囲の人達の評価を聞いていると全般的に高いし、見ている間、読んでいる間は楽しめたので、まあそれでいいかみたいな感じで。


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1 コメント

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Unknown (藍色)
2009-08-18 05:01:02
こんばんは。
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