武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

153. 運転免許証 Carta de condução

2018-06-01 | 独言(ひとりごと)

 ポルトガルの運転免許証が今年の12月で切れる。それを更新しようかどうか、迷っている。

 その一方、日本の運転免許証はポルトガルに住み始めてからも、その都度更新をしている。更新時期に日本には居ないから事前更新と言うことになって、いつも1年分は短縮されて損をしている(5年のところが4年程になってしまう)がそれは仕方がない。

 日本の免許証があるのでそれで国際免許証を取得すれば、ポルトガルでもヨーロッパ中でもどこででも運転は出来る。

 昨年は国際免許証を貰って来て、ポルトガルでは3つの免許証を常時持ち歩いていたことになるが、一度も提示を求められたこともなければ、フォルダから出したこともなかった。そして国際免許証は少々嵩張る。

 ポルトガルに住み始めて28年になるが、免許証の提示を求められたのは2~3度あるか無しかだったろうと思う。

 きょう、5月28日のニュースで、ポルトガルの運転免許証も点数制度になり、最初の持ち点は12。刑事事件で即取り消し。飲酒運転だと6点減点だそうである。早速、スピードガンを使っての交通取り締まりの様子を伝えていた。

 ポルトガルの免許証はポルトガルに住み始めて暫く経った頃に日本の免許証から切り替えて作ってもらったもので、最初は有効期限が10年であった。その次も10年であったと思う。その次に更新をした時には「次の有効期限は2年ですよ」と言われた。何故だか聞かなかった。そして今年12月に期限を迎える。

 スウェーデンに住んでいた時にも日本の免許証から切り替えてスウェーデンの免許証を持っていた。その頃も期限は10年であったと思う。それより少し前までは免許証の期限は無期限で18歳くらいの写真のままで70歳の老人が使っている。などと聞いたことがある。スウェーデンの免許証から国際免許証を申請したこともある。それでヨーロッパ各国を運転した。

 ポルトガルの免許証を更新するには先ずACP(日本のJAFの様な機関)に年会費を支払って会員にならなければならない。ACPから紹介される医師の診断を受けるが、それ以外はACPが全て代行をしてくれてやがて交付と言うことになる。料金も掛るし、何度も出掛けなければならないので面倒だ。自分でするにはちょっと無理なほど複雑で、なお更面倒である。

 もしもの事故の時、故障の時と思ってずっとACP (Automóvel club de Portugal) の会員になっていたのだが昨年から会費を払っていない。

 だから再度ACPの会員になって、ポルトガルの免許証を持つよりも日本の免許証から国際免許証を申請して毎年持ってくる方が楽なのかも知れないと思い始めている。只、ポルトガルの免許証ならそのままでヨーロッパ中どこででも使えるから国際免許証は必要がない。

 日本の免許証も今年12月に期限を迎える。MUZは9月である。だから2人とも今回2018年の日本滞在中に事前更新をする必要があった。今年の日本滞在はいつもより幾分短く、それに大阪でのグループ展ばかりであったので大阪滞在が長く、宮崎は短かった。僕もMUZも運転免許証は宮崎県の発行である。

 ポルトガルに戻る直前の宮崎滞在は6日間しかなかった。その内の1日は運転免許証の事前更新と国際免許証の申請の日に充てていた。

 例年通りならその日の内に出来るのを知っているから、ぎりぎりでも構わない。それで天気予報などをみてポルトガルに戻る3日前の午後から宮崎運転免許センターの受付に行くことにした。

 電話で免許センターに問い合わせると「事前更新なら午後は13時からですが、国際免許証も一緒にやりますので少し早い目に来て下さい。」とのことで、自宅から自転車を走らせ、13時からの受付時間の30分前に到着して待合室で待っていた。

 13時の5分前に呼び出されて、免許証、スーパーの駐車場に設置されてあった自動で撮る証明写真、パスポート、出国を証明する航空券など、必要書類を提出した。

 5分もしない内に再び係の人に呼び出されて「あなたがたの場合、高齢者講習が必要です」と言われた。70歳を過ぎると先ずは高齢者講習を最寄りの自動車学校で受けなければならないというのがこの程決まったそうである。その半年前に告知が自宅に郵送されるとの事だが、僕の場合もMUZの場合も半年よりも以前になるから未だ来てはいない。

 MUZは今年から、僕は昨年から宮崎市の宮崎交通バスの高齢者パスが送られて来ていて、自分たちも高齢者の仲間入りになってしまったことは認識していたのだが、いろいろと優遇されているところもあれば不利なところもあるものだ。

 「日数が限られていますが、どうすれば良いですか?」と尋ねると、「高齢者講習に詳しい係の部屋に行きなさい。」と言われ2階の小さな部屋に通された。

 「とにかく高齢者講習が必要になりましたから、どこかで受けてから更新手続きになります。」と言いながら、定年退職直前といった警察官が2人がかりで頭を捻らせてくれていた。そしてあちこちの自動車学校に電話をかけ始めた。高齢者講習というものは毎日はやっていないとみえて、この2日の内で宮崎市内や近辺でやっているところは皆無の様であった。それにしても親切な警察官のお二人であった。

 思えば僕が牽引免許と大型特殊免許を取ったのがこの宮崎運転免許試験場であった。

 普通免許は大阪の鳳自動車学校で18歳の時に取得した。その頃の普通免許は自動二輪も含まれていたので、僕は大型バイクにも乗ることが出来る。宮崎では750cc(ナナハン)に乗っていたこともある。

 その後、都城自動車学校で大型自動車の免許を取得した。その勢いを駆って宮崎の試験場に牽引と大型特殊を取得しにナナハンで通ったのである。実は大型も牽引も大型特殊も必要ではなかったのだ。何となく時間は自由に使えたし、受験代は多寡が知れているし、もし受かれば儲けもん。という考えで通った。試験場にはそういった類の男たちが何人かいて、情報交換などをしていた。

 最初は牽引を受験した。初日は惨憺たるものであった。途中でもう駄目と判っていたが、その時の試験官は「もう駄目だけれど、練習のつもりで、コースの最後まで運転をしてみなさい。」と言いながらコツなどを教えてもくれた、優しい試験官であった。そして牽引はまぐれだとは思うが3回目で見事合格をした。

 そして大型特殊である。まぐれは2度も続いて、これも同様3回目で合格した。これはいけると思い。次には大型2種に挑戦したが、そうそうまぐれがある筈もなく、それは3回目も不合格であった。その頃から仕事が少し忙しくなりかけていたので大型2種の4回目は断念と言うことになった。

 牽引というのはトレーラーのことである。30トンもあるトレーラートラックを運転するにはこれが必要で、その他には大型のヨットなどを乗用車で牽引するにも必要な免許である。これはバックでの車庫入れが難問で普通車の様に一気にハンドルを切るのではなく、徐々に押し込むという感じがコツといえる。

 大型特殊というのはブルドーザーやショベルカーなどのことで、これは後輪のタイヤに方向転換機能が付いているので、前進はバックの要領で後退は前進の要領で運転することがコツと言えるのかもしれない。大型2種は市バスや観光バスなど料金を取るバスのこと。

 大型も牽引も大型特殊も取得してからは残念ながら1度も運転をしたことがない。4トンまでのトラックなら普通車免許で運転が出来る。

 宮崎運転試験場の場所はその当時と同じだが、その頃の面影はすっかりなくなりリフォームされているが、でも懐かしい宮崎運転試験場である。

 その時の試験官の優しさは今、目の前で僕たちのために一生懸命に電話をかけ続けてくれている警察官に受け継がれているのだろう。

 警察官の1人は「宮崎市内にはないようだからもしかしたら延岡あたりにやるところがあるかも知れないですが、延岡でも良いですか?」というので「はあ」としか答えようがなかったが、「いや延岡より、もしあれば都城の方面が良いです。」と言うと「いや都城は宮崎市より更に厳しい」との返答であった。

 都城なら高齢者パスを使えば宮崎交通バスに乗り片道100円で行くことが出来るが、延岡まではその制度は使えない。

 が、果たして延岡市に1件だけ明日に高齢者講習をやるというところがあった。それは旭興自動車学校という名前で何でも南延岡にあるらしい。

 受験代も必要だし、交通費もバカにはならない。MUZはこの数十年、ペーパードライバーで全く運転はしていない。運転にも自信がない。考えた挙句、この際、免許が無くても構わないかなと思い、高齢者講習には行かないことにした。

 延岡市まではJR普通乗車券だけで、片道1,600円、更に特急料金は900円、更に特急指定席なら1,400円。特急自由席片道合計=2,500円。指定席なら=3,000円。往復で1番安い鈍行=3,200円から1番高い特急指定席=6,000円と言うことになる。

 明日は幸いにも午後からと言うことであった。急いで行くことはない。『乗り鉄』気分になり鈍行で行くのも悪くはない。

 時刻表を見てみると講習が始まる1時間半前に到着する乗り換えなしの鈍行がある。近くまで行ってから先ずはお昼を食べてと思って一人で出掛けた。

 その日はあいにくの雨の天気予報が出ていた。南宮崎駅までは自転車で行ったが、殆ど降らなかった。

 たまには列車の旅も良いものである。2両編成でワンマン列車というものらしく駅によっては、ドアの開閉は最前部だけになり運転手が切符の回収などもする。人の乗り降り、車内アナウンス、途中の駅々の様子、かつては走りなれた国道と並行して走り、それを走るクルマ、車窓を流れる風景、時折望める日向灘などを楽しんでいると、あっという間に南延岡駅に着いてしまった。

 駅の改札で旭興自動車学校への行き方を尋ねた。駅前の道を真っ直ぐ15分だそうである。

 南延岡駅を出てすぐのところにトンカツのチェーン店があったので、お昼はここでも良いな。と思いながら旭興自動車学校を目指した。先ずは何処にあるかを確認してからのお昼が望ましい。トンカツ店まで引き返してくる時間もある。

 駅から10分程歩いたところで旭興自動車学校という大きな看板が見えた。その筋向いに全国チェーンのファミレスがあったのでそこで昼食ということにした。丁度お昼時だが殆どが子供同伴の家族連ればかりで、騒々しくもあった。そしてビジネスマン風の人やお一人様は僕以外にはいなかった。安かったが旨くもなかった。

 30分前にファミレスを出て旭興自動車学校に向かった。受付にその旨を言うと「ソファーに座って暫くお待ちください」とのことで、下らないテレビを観ながら待っていた。もう一人高齢の女性が座っておられたが、同じ高齢者講習を受ける人なのかも知れないな、などと思っていた。その内新聞が置いてあるのに気が付いて新聞を読み始めた。

 懐かしい宮崎日日新聞である。宮崎に住んでいた時にはこの新聞をとっていたし、宮崎県では大手全国紙新聞ではなくこの新聞をとっている人が多かった。絵を描き始めてからは良く取材もしてもらったし、本社文化部にも何度も行ったことがある。記者やカメラマンにも知り合いが居る。

 そんな新聞を読んでいると、13時の5分前に教官らしき人から「高齢者講習の方はこちらの教室にお入りください」と呼ばれた。

 受講者は総勢6名である。教官は2人。交通に関するありきたりの講習があり、目の検査である。受講者の僕以外はお互いが顔見知りらしく、少し前に認知症テストというのを済ませてきている人たちであった。つまり75歳以上の方たちばかりで、75歳になれば更に認知症テストというのも必要になるらしい。それを終えての高齢者講習で、そんな中に僕が割り込んで入らせて貰った格好なのだろう。

 アンケート用紙への記入などが終わったら、運転実技講習である。

 受講者は男性4名。女性2名であったが2台のクルマに分かれて3名づつ、僕は女性2人と一緒のクルマに乗っての実技ということになった。何れも何十年も運転をしてきた人たちばかりであろう。

 僕が最初である。初っ端にウインカーを出さなければならない時にワイパーを動かしてしまった。試験官は僕が外国に住んでいるのが判っているから「外国は反対じゃからね~」などと言う。試験場の外回りから車庫入れを済ませ、又外回りからエス字カーブである。案外と狭いエス字だが一応難なくこなすことができた。後部座席に乗っていた一人の女性は「やはり男の人は運転がお上手ね~」などとお世辞を言ってくれる。

 お世辞を言った女性も初っ端にウインカーを間違えてしまった。教官は「武本さんの真似をせんでもええっちゃが」と宮崎弁である。「それとも外車に乗っとりやっとな?」「はい、フォルクスワーゲンです。」「皆、お金持ちじゃな~。」などと言って和ませる。

 三人目の女性はエス字カーブで脱輪してしまって「きゃ~、落ちた~」と奇声を発した。最初から待合室で居た人だ。教官は「気にせんでもええ。そのまま走って。でも崖だったら皆、死んどったわな~。ハハハ。」

 そんな雰囲気で無事高齢者講習を終え、終了証書を手にした。

 高齢者講習や認知症講習というのは、最近になって高齢者が運転する事故が増加しているからなのだろう。ハンドルの切り損ないで崖から落ちた。という話はあまり聞かないが、高速道路の逆走や歩行者の列に突っ込む。という悲惨な事故も時々は耳にする。

 今朝のニュースでも『90歳女性、4人はねる=歩行者1人が死亡―神奈川・茅ケ崎・2018年5月28日午前11時ごろ、神奈川県茅ケ崎市の国道1号で、同市の女性(90)が運転する乗用車が歩行者4人をはねた。県警茅ケ崎署によると、はねられた4人のうち女性1人が死亡した。残る3人のけがの程度は不明という。同署によると、運転手の女性もけがをしたほか、事故を目撃した2人も気分の悪さを訴えて病院に搬送された。乗用車は赤信号の横断歩道に突っ込んだという情報もあり、同署が事故時の状況を調べている。』と言うものだ。

 高齢者講習はきっちり時間通り終わったので、予定をしていた鈍行列車には急げば間に合う。少し細かい雨が降り始めていたが、リュックから折りたたみ傘を出すほどでもない。

 帰りの列車は途中通学の学生たちで結構一杯になった。でも降りたり乗ったり、であまり長距離ではない。向かいの席に大きなトランクを横に置いた中国人の老夫婦と若夫婦といった感じの家族連れ旅行者が僕より先から座っていたが、たまにお互いに喋りあっているくらいで、海岸線を走っていても風景を見るでもなし、ず~とスマホをいじくっていた。一体何の旅行なのだろうと思って僕は見ていた。列車の中でのスマホなら事故には繋がらないが、クルマを運転しながらのスマホもよく見かける。

 夕方、明るいうちに家に帰りついたが、これで終わったわけではない。明日は事前更新と国際免許である。

 次の日も雨の予報が出ていた。午後からは激しく降るとの予報である。自転車は無理かもしれないと思って、試験場行きのバスの時刻も調べておいた。

 朝起きると今にも降りそうであったが、未だ降ってはいなかった。バスで行くよりも往きが降らなければ自転車の方が便利に違いない。帰りはぬれねずみになろうが、風呂に入ればそれで済む。

 自転車に乗り、午前中の受付に申し込むことにした。途中、霧雨程度は落ちてきたが試験場までは急いでおおよそ20分の道のり殆ど濡れずに済んだ。

 高齢者講習の修了証書など必要書類を提出して、免許証用の写真を撮影するだけであった。高齢者講習は既に受けているから普通の講習は必要がなかった。そしてすんなりと更新免許証と国際免許証を手にすることが出来た。

 ポルトガルに戻る前日であった。ぎりぎりセーフである。

 3年後の次回はどうすれば良いのだろう?という疑問が生まれた。今回は初めてのことで、急遽講習を受けるための手伝いを警察官の方のお骨折りで何とか間に合ったが、次回はそうは行かないだろう。免許証を受け取る時に少しそのことを聞いてみた。そうするとまた先日に通された高齢者講習に詳しい小部屋に案内された。先日とは別の人であるがやはり定年退職間近といった感じの警察官が対応してくれた。

 「今回は初めてのことで知らなかったものだから、こちらの警察官の方々が一生懸命になって高齢者講習の場所を探して申し込みまでして頂きましたが、次回はそうもゆかないでしょう?」というと、その警察官は、いかにも警察官らしく柔道家といった体格で、相撲の元大関琴風(今の尾車親方)と似た容貌に、大きな頭を捻って考えあぐねた末に、満面の笑顔を見せて「次回も一生懸命電話を掛けて何とかしますよ~」と言ってくれた。

 明日ポルトガルに戻るためにやり残したことはないだろうか?などと思いながら自転車を走らせたが、雨は未だ落ちてはこなかった。

 そして今、僕のポケットの中には少々嵩張る国際免許証が入ってその存在感を誇示している。ポルトガルの免許証は更新しないでおこうか、などとも思っている。VIT

 

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