ポルトガルに移り住んでまもなく23年(2012年8月現在)になる。
最初はセトゥーバルの下町アロンシェス・ジュンクエイロ通りの古い建物ドナ・ヴィアの家の3階、北側の部屋に2年ばかり居た。
その後、この丘の上のマンションに移り住んだのだが、それも20年を越えたことになる。
4階建てで一つの階に左右2軒、全部で8軒が一つの入り口から出入りする。郵便受けは玄関ホール内にあり、郵便配達人は8軒全てのベルを押して何れかの家庭から開けて貰う。部屋の玄関脇にインターホンがあり、そのボタンを押すと下の玄関ホールが開く仕掛けだ。エレベーターはない。玄関ホールにはポルトガルのアズレージョが施され、階段は桃色大理石で出来ている。と書けば余程の高級マンションかなと思われるかも知れないが、至って普通、むしろ中の下くらいの所得者住宅であろう。
裏側の半地下に元駐車場があるが、それを酒屋が全部買い取って改装し倉庫として使用している。酒屋といってもビールやワインは扱わず、高級ウィスキーやブランデー専門で時折トラックが出入りしていたが、最近は倉庫も他へ移転したのかトラックの出入りはない。
各家庭には先ず玄関ホールがあり、北側にベッドルームが3つあって、南側に居間と台所があり、東に風呂場、玄関ホールの側にトイレがある。
ベランダは2畳ほどの小さいのが南と北にある。日本の様に洗濯物でベランダが占領されることはない。他のフラットも全く同じ広さだが、ベランダをアルミサッシで塞いで温室風にしていたり、二部屋をぶち抜いて広く取り部屋数を少なくしているところもある。我が家はその北側の2部屋をアトリエとして使用している。
20年も経つといろいろと出入りもあった。我が家のお向かい4階の左は3家族目であるが、その他は最初からのところも多い。
日本式に言うと1階の右側にマリアさんのご夫妻がずっと替わらずに住んでおられる。ご主人はヘビースモーカーでかなり足も弱りお歳を召されたが、マリアさんはクルマを古いシトロエンからホンダ・ジャズの新車に乗り換えて相変わらずお若い。
その向いはロドリゴさん。最初はご夫妻が住んでおられて、その後、娘夫妻が一緒に住みだして、可愛らしいまるで天使の様な女の子がやがてつぎつぎに二人生れた。暫くは狭いところに6人が住んでいたことになる。数年後に若いご夫婦は近くにマンションを買ったらしく引っ越して行かれた。その後はロドリゴさんご夫妻もアレンテージョに農場を買ったとかで、行ったり来たりの生活がしばらく続いたが最近はめっきり姿が見えなくなった。それこそ半年に1度くらい顔を見るくらいで、アレンテージョの生活が余程快適なのか、めったにこの建物には帰って来なくなっている。1階の左は殆ど1年を通して空き家同然ということだ。
2階のポーリンさんご夫妻はご高齢だったけれど、最初にご主人が亡くなられて、暫くは奥さんが1人暮らしだった。その後、老人ホームに入っておられたが、数年前に亡くなられた。そこは近くに住む娘とパリに住む息子の持ち物になって売りに出されたがなかなか売れないらしく、しばらくはブラジル人の宗教家の家族が借りて住んだりしていたが、今は又、空き家で売りに出されている。
2階の左はマダレナおばさんが今は猫と一緒に1人で住んでおられる。移り住んで来た当初はご主人のメルローさんと娘のアナモニカも一緒だったがアナモニカは彼氏が出来て結婚し、近所のマンションに引っ越して行った。すぐに可愛いい男の赤ん坊も生れて、時々はマダレナおばさんに見せに来る様だ。アナモニカ自身も最初は無職で嘆いていたが、やがて遠く離れたヴィアナ・デ・アレンテージョの税務署に職が決まり、せっせと辛抱して通っていた様だが、今はセトゥーバルの税務署勤務で、僕たちが税金を払いに行くと、奥の席から出てきて手伝ってくれる。奥の席と言う事は少しは出世しているのだろう。貫禄も付いてきている。
3階の右側、つまり我が家のすぐ下の階にはフルナンドさんが居るが、最初から南アフリカと行ったり来たりで年の三分の一くらいしか住んでいなかった。大学教授で定年退職し、南アフリカでの勤務も終り、行くことはなくなった様だが、元々リスボンにも家があり、先日から不動産屋の張り紙がしてあって、売りに出されている。でも今も時々は立ち寄る様で、来れば声が大きいので階段じゅうに響き渡りすぐに判る。その下のポーリンさんの部屋も売りに出されているから8軒の内2軒に張り紙があることになる。
3階の左はカフェを経営しているトニーさんの家だが、トニーさんは既に居ない。トニーさんの奥さんは数年前から足を悪くして階段の昇り降りが大変そうだ。当初はまだ子供だった孫娘がずっと一緒に住んでいるが、ポルトガル人女性の変貌ぶりには目を見張る思いだ。子供の頃の面影は全く消えて、向こうから挨拶をされても「あれっ、誰だろう」などと思ってしまうことがある。適齢期のはずだが未だ独身の様だ。
4階、つまり我が家の向いは昨年からウクライナからのご夫婦と一人娘の3人が住んでいる。ご主人は大きな人で、奥さんのオルガは美人で愛嬌が良い。娘はまだ高校生だが身長はオルガより高い。以前の住民に比べればもの静かな暮らしぶりで、早朝には3人とも仕事と学校に出かける様だがドアの開け閉め階段の昇り降りなど殆ど物音がしない。土日は家にいるがそれも静かだ。MUZに言わせると洗濯物の干し方もポルトガル人と日本人もそれぞれ違うが、ウクライナ人も独特だそうだ。
4階の向かいは初めはコエーリョさんのご家族で子供が2人居た。子供も大きくなって狭くなったと言って同じセトゥーバルの新しい大きなマンションに引っ越して行かれた。
その後に入ったオートールさんご夫婦は生まれたての赤ちゃん連れで引っ越してきたが、その赤ちゃんも見る間に大きくなってやがてMUZの身長を追い越し、僕の身長までも追い越してしまった。又、コンドミニオ(管理組合)の会合の時など僕たちに英語で通訳もかって出てくれた。そのオートールのご家族も狭くなったと言って町の反対側に新しく建った広いところに引っ越して行ってしまった。
管理人は8軒が1年ずつ交代ですることになっていたが、我が家は日本に帰る期間も長いので出来ないし、フルナンドさんもそうだ。ポーリンさんもいないし、ロドリゴさんもいない。仕方なく4軒で代わる代わりやってくれていたが、その内、オートールさんが管理費を免除という条件で一手に引き受けてくれた、が引っ越して行ってしまった。
その後、2年前からは、ポーリンさんの娘の提案で管理会社に任せることにした。
管理会社の仕事は皆から管理費を集めること。(管理費は酒屋も2軒分を支出している。)共有部分の電気代の支払い。階段や入り口ホールなどの清掃費の支払い。共有部分の故障修理などだ。そして年に1回、その収支報告。それは毎年、1月のある日、玄関ホールに皆が寄り集められて行われる。
ところが今年はつい先日2回目が行われた。収支報告に続いて、建物を塗り替えようという提案だ。
前回の塗り替えは未だポーリンさんがご健在な頃で、ポーリンさんの提案だったが、すぐに実行された。あれから10年以上も経っている。今回は建物の外壁全体で16,851ユーロがかかるらしい。酒屋も加わっているから、1軒につき1,685ユーロの支出だ。毎月の管理費の余剰金では賄えない。
我が家は今のところ大丈夫だが、家によっては雨が浸み込むところがあるらしく、塗り替えによってそれは防げるらしい。でも1,685ユーロはどこの家庭も痛い出費だ。
「雨が浸み込むのは南側だけだから南側だけの塗り替えにしてはどうか?」と管理会社からの提案もある。南側だけなら余剰金を加えて1軒に付き300ユーロの支出。「300ユーロなら良いだろう」と皆の意見が一致しそれに決定をした。
7月から4ヶ月に亘って月々一軒につき普段の管理費とは別に75ユーロずつを特別に支出しなければならない。そして塗り替えは10月と決定した。筈である。
そしてその管理会社に先日赴き我が家ではまとめて300ユーロを支払おうと申し出た。が「ちょっと待ってください」と遮られた。
決定したと思ったのは早とちりなのか、或いは先日には欠席をしていたフルナンド教授あたりから異議申し立てがあったのか、まだ正式決定はしていないのだそうだ。
マリアさんもオルガもマダレナおばさんもそれについては何も言わない。
それにフェリアス(ヴァカンス)の時期だ。
まあ、何か言ってくるまで閉じ籠っていることにしよう。
2012年7月24日 VIT(2012年8月号)
(この文は2012年8月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)