先日、ポルトガルテレビの映画で邦題『ジョー・ブラックをよろしく』を観た。実はこの映画を観るのも3回目。
映画『ジョー・ブラックをよろしく』も1934年の『明日なき抱擁』の焼き直しらしいが、1998年のハリウッド映画。舞台はニューヨークで、あのツインタワーがチラッと写ったりする古い映画。
Meet Joe Black
内容は、横断歩道で立ち止まった為にクルマにはねられて死んだ若者の身体にのりうつった死神が、死期真近に迫った大富豪の社長を迎えに人間界に降り立ち、死の期限までの間に人間界を見学する。といった内容で、どうってことはないファンタジー・ラブストーリー?なのだが、登場人物を実に魅力的に描いている。
若者の身体にのりうつった死神ジョー・ブラックはブラッド・ピット。大富豪の社長をアンソニー・ホプキンス。死神、ブラッド・ピットの相手役、社長の愛娘、次女(女医)はあまり馴染みがない女優だが、クレア・フォーラニというイギリス出身の女優。この3者をそれぞれ実に魅力的に描いていて、それがこの映画の見所といえば見所。
死の期限は社長の65歳の誕生日で、その誕生パーティーが終った時。それまでの間、死神は社長の友人として屋敷内をうろうろ歩き回ったり、重役会議に列席して他の重役から怪訝な顔をされたり、とかする訳だけれどもものおじもせず、ブラッド・ピットが未だ若いこともあるが、まるで何も知らない少年の如く振舞う。実際、人間界のことは何も知らない天上界から来た死神なのだ。
死神なのに、それでも次女に恋をする。お互いに惹かれあっていく。人生経験豊富なアンソニー・ホプキンス演じる社長は次女に「燃える様な恋のない人生なんてつまらない。そんなのは人生じゃない」とか何とか語る。もうここまで成功すれば会社なんてどうでもよい。愛に勝るものはないといった姿勢。先立たれた妻を愛し、2人の愛娘を愛している家族愛の富豪社長。これが素敵に描かれている。(あのハンニバルとの格差は凄い、同一俳優とはとても思えない。)
死神ブラッド・ピットも恋してしまった次女をあの世に一緒に連れて行きたい、と思うのだが、そうもいかない。
誕生パーティーが終った最後に予定通りアンソニー・ホプキンスをあの世に連れて行く訳だけれど、死神の筈の自分だけ舞い戻って来て次女と抱擁、といったところで幕。といった実にあほらしい内容。と言いたいところだが、舞い戻ってきたのは死神ではなく交通事故にあった、元の青年。死神は青年の身体は必要でなくなったため、元の青年に身体を返したのだ。愛が勝った、ということなのか。とにかくあほらしい幕切れには違いない。
なんでこんな映画のことを書いているのかと言うと、ピーナッツ・バターのことについて書きたいからだ。
死神ブラッド・ピットが大きなお屋敷内を散策する訳だけれど、台所に行き会う、女中達と執事がびっくりした様子でブラッド・ピットを見る。社長の友人だと知らされているから、良いわけだけれど、執事が瓶を手にしている。ブラッド・ピットは「それは何ですか?」と尋ねる。執事は「ピーナッツ・バターですよ。味見してみます?」「は~い」。ピーナッツ・バターを大きなスプーンで掬って手渡す。ブラッド・ピットはまるで子供が飴を舐めるように美味しそうにスプーンを舐める。執事は「もう一つ如何ですか?」「お願いしま~す」。別のスプーンに掬って手渡す。
スプーンを舐めるブラピ
ブラッド・ピットはそれを手にまた屋敷内の散策。そして屋内プールで泳いでいた次女と出会う。
実は横断歩道ではねられる前にカフェで2人は出会っていて既にお互いに惹かれあっていた。次女はそのことを当然覚えているから驚く、カフェで出会った青年がカフェで別れた直後にクルマにはねられて死んだことは知らない。あの時も別れた後、後ろ髪を引かれる思いだったので、横断歩道で立ち止まってしまったのだ。「あなた、何故こんな所に居るの?」ブラッド・ピットは死神で、そのカフェでの人物とは別だから前に出会っていることは知らない、初めて会うことになる。ピーナッツ・バターを食べ終えたスプーンのやり場に戸惑うブラッド・ピット。次女は「私が預かるわ」そんな何でもない場面が何とも新鮮だ。
インターネット社会と言うけれど、テレビの影響はまだまだ大きいらしい。『ためしてガッテン!』で例えばバナナを放映した翌日はスーパーからバナナが消える、と言うし、納豆が身体に良いとなれば、全国で品不足になるという。
昔は映画女優のヘアスタイルが流行したり、と言った現象もあったらしいが、今では映画の影響はそれ程ないのかも知れないが、僕はこの映画を観て久しぶりにピーナッツ・バターを食べてみたいと思った。いや、この映画を観てピーナッツ・バターを食べてみたいと思った人は相当居るのではないのかな?などと思っている。
僕は映画を3度観て、3度目の正直でようやく思った訳だけれど。この『ジョー・ブラックをよろしく』が映画館で上映された1998年頃、巷ではスプーンを舐めながら街を闊歩する姿が流行った、なんてことは少なくともなかったし、ピーナッツ・バターが全国的に品不足に陥ったという話も聞かない。
そもそも、今、日本のスーパーにピーナッツ・バターは置いてあるのであろうか?あまり気にして見たこともない。だいたいアメリカ人の食べ物でヨーロッパででも売られているのであろうか?と思った。
昔は日本でもピーナッツ・バターを今より食べていた様に思う。子供の頃、我家にもあった。でも味はどんなだったかを忘れてしまっている。
ピーナッツ・バターは基本的にはピーナッツを練ったというだけのもので、バターが混ざっている訳でも何でもない。油脂分はピーナッツを練ることによって出るもの。
ちなみにピーナッツはマメ科、ラッカセイ(Arachis)属で南アメリカ原産の1年草。学名はArachis hypogaea、葡名はAmendoim。
僕はピーナッツが土の中に出来る物とはMUZから教えてもらうまで知らなかったし、今でもその姿を見たことがない。製品になった物しか知らない。殻つき落花生であったり、塩味バター・ピーナッツであったり、砂糖菓子にくるまれていたり、チョコレートに入っていたり、柿の種と混ぜられていたり。
ピーナッツ・バターは先日、ポルトガルの安売りスーパー、リードゥル(LIDL)で見てみると入り口近くのジャムの並んでいるところに確かにあった。バター売り場ではなく、ジャム売り場なのだ。そしてピーナッツ・バターはバターのような容器ではなく、ジャムと同様ガラス瓶に入っている。リードゥル・ブランドであるが、早速、一瓶(500g入り)を買って帰った。
リードゥル(LIDL)ブランドのピーナッツ・バター、スペイン、ポルトガルバージョン。
案外と美味しい。朝食のパンに塗って食べてみたが、ほんのりピーナッツの甘味があるものの砂糖的な甘味はない。昔の記憶ではもっと甘かった様な気がするが。
これなら毎朝少しづつなら食べても良い。アメリカ人はセロリに塗って食べるそうだが、やってみると成程格別だ。料理に入れてもコクが出て良さそうだとも思って早速、お好み焼きに入れてみたがなかなかイケル。次はカレーにも入れてみるつもりだ。
僕は子供の頃、歌手の「ザ・ピーナッツ」が好きであった。「恋のフーガ」や「情熱の花」などよく鼻歌で唄ったものだ。落花生の殻の中にはピーナッツ豆が二つずつ入っている。実に良い名前だと子供心に感心していた。でも時には殻の中に三つの時もあるし、四つの時もある。それとは別にピーナッツ豆は胚を挟んで必ず2つに別れる。袋の中にはまるままの完全な形のピーナッツもあれば、既に半分に分かれたピーナッツもある。僕はそんな2つに分かれたピーナッツを選んで、ピーナッツ・バターを掬って食べることを思いついた。何だかイジマシイ食べ方だが、それが又旨い。「ピーナッツ・バター・バター・ピーナッツ」と呼ぶことにしよう。略して「ピーバタバタピ」。
ピーナッツ・バターを調べてみるとこれはカロリーが非常に高いらしい。
アメリカ人が異常に太っているのはピーナッツ・バターのせいかも知れないなどと思い始めている。これは危険だ。妻(MUZ)には早速、摂食禁止令を出した。僕が1人で一瓶を空けざるを得ないことになる。若きブラッド・ピットに惑わされてはならない。『ピーナッツ・バターをよろしく』ではなく、『ジョー・ブラックをよろしく』はもう16年も前の映画。今ではブラピも中年太りだそうだ。VIT
以下はピーナッツやサツマイモなどの研究をした、ジョージ・ワシントン・カーヴァー(GEORGE WASHINGTON CARVER)についての記述です。
本名:ジョージ・ワシントン・カーヴァー[1864~1943]
1864年に奴隷制度下のミズーリ州ダイヤモンド・グローブの近くで生まれた。彼は40年以上、米国アラバマ州にあるタスキーギ大学で、サツマイモやピーナッツなどを研究する農学化学者だった。1860年頃生まれ、当時奴隷だった。南北戦争の後、黒人が自由になったので、働きながら勉学し、修士課程まで教育を受け、1896年にタスキーギ大学の農学研究の研究長になった。
ジョージ・ワシントン・カーヴァー[1864~1943]
黒人奴隷出身の植物学者 (ブログ「しっぽ ふりふり」より)
アメリカのミズーリ州で南北戦争直前に奴隷の子として生まれ、やがてピーナッツや、サツマイモから化粧品・インク・コーヒーなどの生活必需・密着品を開発、その数300以上にものぼる製品を生み出した南部奴隷出身の偉大な黒人の植物学者、ジョージ・ワシントン・カーヴァー。(George Washington Carver, 1864-1943 米)
カーヴァーは幼い頃からとても純粋な心の子供だったそうで、彼の、植物に対する特殊な才能が発揮され始めたのは10歳にも満たない時からだった・と言います。
赤ん坊時の奴隷転売目的で誘拐された事件がたたり(その時、母親は行方不明のままとなっています)奴隷としての労働が出来る体力がつくまでは野原を散歩し、植物の観察を暇つぶしとしていました。
時を経て、徐々に奴隷労働に従事する頃、自分専用の僅かな土地を与えられたカーヴァーはそこに庭園をつくり、好きな植物を植え、育て始めます。(ジョージ・ワシントン・カーヴァーという名も、実は後からとって付けた名前で奴隷である彼は“物品”扱いで育ち、名も無く、“雇い主カーヴァーの奴隷”と呼ばれていた。)
いつも素晴しく生き生きとした彼の小さな庭の植物達を見て、やがて村人達が「自分の植物も元気にしてくれないか」と、カーヴァーの元へ様々な植物が持ち込まれるようになってゆきました。そして預けていた人々がカーヴァーから植物を受け取りに行くと皆、一様に病んでいた植物の回復ぶりに驚き、どうしてこんなことが出来るのか?と彼に尋ねたところ、カーヴァー少年は常時こう答えていたと言います。「お花は、みんなボクに話しかけてくれるんだ。森の小さな生き物も、大勢そうしてくれてるよ。だからなんでも、ジッと見て好きになると、ボクわかっちゃうんだ」。
そんな彼の植物を元気にする方法は、あどけなくて純粋な子供のハート・・・そのままを示しているようなやり方でした。草花に歌を歌って聞かせ、自分で調合した土に植え替えてあげ、夜は被いをして「おやすみなさい」と言葉をかけ。昼には外へ出して、“日向(ひなた)で遊ばせて”あげる。このように、まるで、友達や家族のように扱って面倒をみているだけ。ところがそれだけで植物達は、目を見張るほど回復して行ったのです。どんな植物も。
後に植物研究者として次々と、まるで魔法のように製品を限りなく生み出していった、カーヴァー。かの有名な発明王、T.A.エジソンが「私の元で働いてみないか」と、天文学的な高給額を提示しながら熱烈に申し込んだ・・・そんなエピソードも彼の稀有な才能を、華々しく飾っています。
実験室のジョージ・ワシントン・カーヴァー博士(GEORGE WASHINGTON CARVER)
日本では残念なほど名の知られていない彼ですが、植物という生き物はただ土に生え、黙って踏み潰されるだけの物体ではない、・・・ということを奴隷であるがゆえに、自分だけの名を持つ生まれでさえなかった彼が弱者の立場から身をもって教え、示してくれた。そんなふうに思います。 ブログ「しっぽ ふりふり」より