武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

115. キーウィフルーツ KIWI

2014-05-31 | 独言(ひとりごと)

 僕が子供の頃、キーウィフルーツは日本にはなかった。少なくとも僕の周辺にはなかったと言った方が良いのかもしれない。

 僕が初めてキーウィフルーツと出会ったのは、1971年ストックホルムのシンケンスダム、トンネルバーナの駅前にあったコンスンと言う名前の小さなスーパーでであった。そしてその美味しさに驚愕した。それまで果物といえば赤、白、黄色などが主流で濃いエメラルド・グリーンの果物にも感心した。冷蔵庫で冷やして縦に半分に切り、スプーンで掬って口に運ぶ時、まさに外国に住んでいる幸せを感じたものだった。

ルイサ・トディ大通り公園のジャカランダ並木(2014年5月31日撮影)

 スーパーの表示にはKIVIと書かれていて、僕はずっとキヴィという名前だと思っていた。スウェーデン語ではしばしばWとVが日本的には反対読みになる。WASAと書いてヴァーサと読んだりする。KIVIと書いてキヴィではなくキーウィだったのだ。そしてKIVIはスウェーデンの果物だとばかり思い込んでいた。

 KIVI以外にもスウェーデンのスーパーで買った果物は全てが美味しかった。りんごでもオレンジでもメロンでもスイカでもサクランボでも洋ナシでもどれもが完熟していて、まさに食べ頃が売られていた。買った客に「自分で追熟してから食べろ」などとは言わないのだ。果物業者が完熟させてから、スーパーに並べるのだろう。確かにどれもが美味しかったがどれもが高価でもあった。

 その6年後に日本に帰国した時にはキーウィフルーツは日本の市場にも出回っていた。その時、初めて名前がキーウィだと知ったし、ニュージーランドからの果物なのだとも判った。早速、買って食べてみたが残念ながらスウェーデンでの美味しさはなかった。

 園芸のことで知り合った知人の家に行くと広大な敷地の片隅にキーウィフルーツが植えられていて「放ったらかしで毎年たくさん実がなりますが、誰も食べないので厄介者です」などと言ってその方は苦笑いしておられた。

 あんなに美味しいものが、それ程簡単に実るのならと、植木市で苗を雌雄買って植えてもみたが接木の下からひこば枝が勢いよく出てうまく出来なかったので2年ほどで掘り起こしてしまった。小さい実も出来ていた様だが食べても全く旨くはなかった。

 ニュージーランドの果物と言われているが原産地は中国だそうで、ヨーロッパ人がニュージーランドに持ち込んで品種改良が進み商品化されたのだそうだ。はじめは「チャイニーズグーズベリー」という名前だったそうだが、主な輸出国であるアメリカでは当時、中国との関係が芳しくなかったため、中国という名前が付いていたのではアメリカでは売れないと判断した業者がキーウィフルーツというニュージーランドを現わす名前にしたのだとか。鳥のキーウィも直訳するとニュージーランドの鳥ということになる。

 日本でキーウィフルーツが流行り始めた頃、僕は別の植物の観察で鹿児島県の下甑島に行ったことがある。そこの宿の息子が「甑島には昔からキーウィフルーツの原種がありますよ。」と言っていたのを覚えている。中国原産なら甑島に原種があってもおかしくはない。

 人々は誰もが歴史の移り変わりを見ながら時を過している。子供の頃にはなかった物が今は当たり前に存在する。父の時代も祖父の時代も、また子供達の時代もその時代時代の移り変わりがある筈だ。

セレージャで大忙しのセトゥーバルのメルカドの果物屋さん(2014年5月31日撮影)

 僕は高校を出た18歳の時、心斎橋のフルーツパーラーでアルバイトをしていて、毎日フルーツと格闘していた。りんご、バナナそれに缶詰めの黄桃、パイナップル、ミカン、サクランボなどを扱うが、キーウィフルーツはもちろんなかった時代である。

 僕はその頃プリンを作るのが得意であった。自分なりのレシピが頭に入っていて、タマゴ何個に、砂糖がどれほど、そして牛乳が何リットルではなく、五合瓶で計っていた。その頃の牛乳は紙パック入りではなく、一合瓶か五合瓶に入っていた。カラメルもフライパンで砂糖を焦がして作っていた。

 紙パック入りの牛乳を初めて見たのはやはりストックホルムであった。その開け方をスウェーデン人から教えてもらったのも覚えている。

 中学の同級生の実家が牛乳販売店で同級生の五郎は中学に通いながら実家の配達を手伝っていた。自転車の前と後ろにたくさんの牛乳瓶を積み込んで早朝から配達をする。僕も新聞配達をしていたので、時々すれ違っては挨拶をした。背丈はそれ程高くはないのにクラスで一番の力持ちで、腕相撲で彼に敵う奴はいなかった。高校に通うようになってからは軽免許を取り、黄色い三輪のミゼットで配達をしていた。ある日、ミゼットの荷台に沢山牛乳瓶の箱を積んで急カーブを切ってしまったのだそうで、ミゼットは見事転倒し、荷台の牛乳瓶はことごとく割れてしまった。という話を聞いたこともある。朗らかな奴でそれを笑い話にしていた。

 先日、帰国した折、その五郎が住んでいた牛乳販売店があった場所を通ってみたが、牛乳販売店も五郎の姓の表札も見当たらなかった。

 今では牛乳はスーパーで紙パック入りを買うのが普通だろう。そう言えばその頃、スーパーなるものも日本にはなかった。あったのかも知れないが、少なくとも僕の周辺にはなかった。

 スーパーで初めて買物をしたのもストックホルムである。大型店、中型店、小型店があって、今のハイパー、スーパー、コンビニの原型であった様な気がする。

 ヨーグルトを初めて食べたのもストックホルムであった。1971年当時、やはりヨーグルトも日本にはなかった様に思う。コンスンで牛乳だと思って間違って買って帰って開けてみると、中味は固まっていた。てっきり腐っているのだと思って捨ててしまった。セルフサーヴィス・カフェテラスの陳列台に並んでいるのを見て、あれはヨーグルトだったのだと知った。その後僕はヨーグルト党になっていた。ブルガリアに行った時にはカフェで本場物を味わったものだ。ヨーグルトも6年後に日本に戻ってみると、市場に出回っていた。

 セトゥーバル、カルモ広場のジャカランダ(2014年5月31日撮影)

今僕は毎朝、ヨーグルトを食べる。あらかじめフルーツサラダを作っておいて、それと一緒に食べることにしている。りんご、オレンジ、バナナ、キーウィフルーツそれに缶詰めの黄桃、それを小さく刻んだものを混ぜる。キーウィフルーツは緑なので彩りも良くなるし、ビタミンも豊富だそうで混ぜることにしている。

 宮崎に住む親友が庭でいろんな果樹を作っていた。完熟日向夏などを頂いたが果物屋で買うものより数段美味かった。キーウィフルーツも作っていたがそれの試食は残念ながらしたことがない。

 その親友が休暇を利用してニュージーランドの自転車旅行に出掛けた。その詳しい話も聞かないまま、数年後に逝ってしまった。

 先日、パルメラのスーパーで鶏卵よりひと回り小さなキーウィフルーツがパック詰で売られていたので買ってみた。可愛いばかりで美味しくも何ともなかった。摘果された実かも知れない。たぶんジャム用として売られていたのだろう。フルーツサラダに混ぜて使ったのでそれでも良かった。もう一度買ってジャムを作ってみようと思ったが、次にスーパーに行った時には既に売られてはいなかった。

 例えば、キーウィフルーツのことについて書いたが、どんな些細な物にも甘い、或いは酸っぱい小さな思い出という味は詰っているものだ。

 毎朝、フルーツサラダのエメラルド・グリーンを見ながら、親友のこと、五郎のこと、スウェーデンでの美味しかったKIVIのことなど、懐かしんでいる。18歳の頃、毎日作っていた絶妙のプリンが今でも作られるだろうか?などと思いながら今更作ってみる気は起こらない。VIT

(文章と挿入写真は関係ありません。)

 

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