電化製品などいろんな物の対応年数が同時に来てしまって買い替えに忙しい。魚焼き器などは更に短く、もう既に3~4台目だ。でもどこの量販店を探しても以前に使っていた様な魚焼き器は見当たらなくて、仕方なく電気オーヴンを買ってしまった。
日本にある様なガスの魚焼き器はポルトガルには全くない。電気だ。日本のオーヴントースターとも違う。
電気魚焼き器では魚も焼くけれど、朝のパンを焼いたり、唐揚げを温め直したり、ピッザを焼いたりといろいろと使っていた。
ピッザは確かにこの新しい電気オーヴンが便利だし、旨く焼くことが出来る。朝のトーストには時間がかかってしまって、如何にも電気代がかかりそうだ。魚は全く駄目で美味しくはない。でもピッザを焼くためだけなら何だか無駄なものを買ってしまったと後悔をし始めていた。
実はオーヴンなら大型のガスオーヴンが以前からあり、大きな七面鳥でも焼くことが出来る。
魚を焼くことが出来ないのは困ったものだ。以前にはベランダに炭火コンロを出し、炭火を熾し、それで焼いていた。でも20年程前から消防署の通達でベランダでの炭火焼きは禁止になってしまったのだ。
それで仕方なく電気の魚焼き器と言うことになっていた。
最初はマリアさんが窓際で魚を焼いていたのを見て、「その器具は何処で買われましたか?」と聞いたのだ。
何とその店は以前に住んでいたアロンシェス・ジュンクエイロ通りからも近い下町のシンコ・デ・オウトブロ通りの荒物屋さんで下町に住んでいた時にもオイルヒーターを買ったし、圧力鍋も買ったお店だ。丘の上に引っ越してきてからも浴室の収納鏡棚やタオル掛けなど専門家に頼んで取り付けて貰ったのだが、一緒に品物を見定めに行ったのがこの荒物屋だった。
『シンコ・デ・オウトブロ通り』は『10月5日通り』と訳すことが出来る。どこの町に行っても、どんな田舎に行ってもシンコ・デ・オウトブロ通りと呼ばれる道がある。10月5日はポルトガルにとって最重要の祝日でポルトガルが王政から共和制に代った日なのだ。10年程前のカバコ・シルバ政権の時には王政復古の話も出ていたのだが現在はそれも立ち消えになっている様だ。
マリアさんに聞いて、すぐにその10月5日通りの荒物屋に行き、天火で煙の出ない電気魚焼き器を買ったのはもう20年も昔だ。そして窓際にそれ専用の台を作り、魚を焼き始めたのだ。鰯でも鯵でも、金目鯛でも鮭でも、黒太刀魚でも、ドーラーダでも。そして朝のパンも焼いたし、ピッザもドリアもグラタンもアップルクランチも簡単に便利に焼くことが出来た。
毎日便利に酷使するものだから何処かここか故障をしてしまう。でも安いものだから次々に買い替えたのだ。下町の荒物屋でなくても郊外型の量販店でも同じようなものが売られていたので次からは量販店で買ったのだ。下町では駐車場が遠いし、量販店なら広い駐車場があり、クルマに載せるのが便利だからだ。
でも最近はどこの量販店でも電気魚焼き器の姿を見かけなくなってしまっていた。
それで仕方なく電気オーヴンを買ったのだが、それが失敗だった。
それ以来、魚には苦労をした。オーヴンでは駄目だし、シャッパスでもうまく焼けない。フライパンでも駄目。でもどうしても焼き魚が食べたい。
レストランでは炭火焼きの焼き魚が食べられるが、お供はジャガイモとパンだ。やはり日本人だから御飯と一緒に焼き魚は食べたい。
1年も我慢してから「もしかしてあの10月5日通りの荒物屋には未だあるかも知れない」と思い立ったのだ。
思い立ったが吉日。早速、行ってみることにした。
水道橋の駐車場にクルマを停め、10分程の道のりだ。水道橋の周辺は大規模に道路工事中であったが、何とか駐車は出来た。6月にはジャカランダの並木が美しいジェジュス修道院の裏通りから中央郵便局の前を通り、左手に高校、右手に老人ホーム、税務署の角を回ると10月5日通りだ。昔からの小さな店やカフェ、銀行などもある商店街だ。この10月5日通りにバスターミナルがあるがその少し手前に目指す荒物屋がある。
実はこの荒物屋で30年も昔に買った圧力鍋の蓋のパッキンが千切れて圧力がかからないで使い物にならないのだ。我が家には圧力鍋は8リッターと6リッターの2つあるのだが、蓋の口径は同じなので両方に使える。それで1つの蓋を両方の圧力鍋に交互に使っていたのだが、出来れば2つ共使える方が便利だ。それでこの際、圧力鍋の蓋も持参し、パッキンを交換してもらうことにした。以前には圧力鍋の取っ手も交換してもらったこともある。
それとこの店で買って専門家に取り付けて貰った浴室の収納鏡棚も一部に錆が来て鏡が落ちてしまう危険がある。とMUZが言うのだ。何しろ取り付けて貰って30年だ。
それも見てみることにした。
とにかく何でもある、何でも揃っている便利な店なのだ。間口はそれ程広くはないのだが、入るとカウンターがあり、カウンターの後ろとその奥に収納棚があると見えて、自分で探し出すことは出来ないけれど、親父さんに欲しいものを言うとすぐさま見つけ出してくれると言うものだ。
狭い場所に少しは展示スペースがあり、魚焼き器が展示してあった。でもそれは天火ではなく下から焼くもので、煙が出てしまう。
僕は「このようなもので煙の出ない器具はないのですか?」と聞いてみた。
親父さんはいかにも「やった」と言わんばかりの表情を浮かべ「あんたのすぐ後ろにあるじゃないか」と言った。
振り向くと眼よりも高い所にその『電気天火魚焼き器』は鎮座なされていた。
値段を聞いてみると案外と高価だ。でもオールステンレス製だから仕方がないのだろう。
「ちょっと考えてみます。」と言った。
MUZは目ざとく浴室の収納鏡棚を見つけている。今使っているのとほぼ同じサイズだ。30年も経っても同じものが売られているのだ。それもゆっくり考えればよい。
「別件で圧力鍋蓋のパッキン交換は出来ますか?」と言いながら持参した鍋の蓋をカウンターに置いた。親父さんは大きく頷き裏側に引っ込みパッキンを持ってきた。サイズを合わせてみるとピッタリの様だ。古い切れたパッキンをドライバーでこじ外し始めた。「まるで木の様になっているな」と言いながら外していった。
そこに常連さんらしい人がやって来て、親父さんと世間話を始めた。親父さんと年恰好も同じくらいで、いかにも毎日顔を見せる昔ながらの幼馴染といった感じだ。生まれたのもこの辺りで小学校も中学校も高校も同じ。親父さんは話に受け答えはするが、顔を上げないで懸命に古いパッキンを外している。
世間話がひと通り終わったのか、常連さんは胸のポケットから50センチモ硬貨を1枚ずつ取り出しパチン、パチンと2枚をカウンターに並べた。2枚で1ユーロである。
並べてから少し間があった。
常連さんは意を決した様に「モシュカテル」と一言、発した。
親父さんは初めて顔を上げた。あんぐりと口があいている。
僕も常連さんの顔を眺めてしまった。
更に間があった。いや、長い沈黙が続いた。3者がフリーズしてしまっていた。
やがてフリーズから溶け、常連さんは何も言わず2枚の50センチモ硬貨を胸のポケットに戻し、無言で荒物屋を出て行った。
どちらかと言うとかっこいい、すらりと背が高くやせ形でクリント・イーストウッドの様な老人であった。店を出る時は何も言わなかったが店を出てから「店を間違えたな」と独りごちたに違いない。
モシュカテルとは『モシュカテル・セトゥーバル』と呼ばれ、名前の通りセトゥーバルが誇るワインの一種で、白ブドウ、マスカットを原料に、甘口でアペリティフまたはデザートワインとして小さなリキュールグラスで供され、ストックホルムのノーベル賞の晩餐会でもウエルカムワインとして使われたりもする。と言っても高級なものではなく一般的で、セトゥーバルではコーヒーと一緒に飲んだりもする。アルコール度数は17~18度で普通のテーブルワインに比べるとアルコール度数は高い。
左からJPのモシュカテル、ジョゼ・マリア・ダ・フォンセッカのモシュカテル1995年産、グラスに注いだ1997年産のモシュカテル、2000年産のモシュカテル。
マスカットを絞ってあまり発酵が進まない甘いうちに、やはり葡萄の絞り粕から造った蒸留酒のアグアデンテという強い酒で発酵を止め甘さとアルコールが馴染むまで早いものでも3年は樽で寝かせてから市場に出される。古いものでは100年物と言うのを僕は町角のショーウインドウで見たことがある。100年物はやはり高価で5万円程の値札が付いていた。
それを未だお元気だった頃のファド歌手月田秀子さんに話したら「5万円なら買っとけば良かったのに」だった。
ポルトガル全国どこのカフェでもレストランでもパステラリア(お菓子屋)でもモシュカテルは置いてあるが、まさか荒物屋にはない筈である。荒物屋だけではなく、金物屋にもないだろうし、本屋にも文房具店にも恐らくはない。でも画廊にはある。個展などのオープニングパーティには欠かせられないものだ。
圧力鍋の蓋が綺麗に出来上がったので、天火魚焼き器と浴室用収納鏡棚もまとめて購入することにした。何れもメイド・イン・ポルトガルだ。
そして水道橋の駐車場まで急ぎ足でクルマを取りに行き、10月5日通りの荒物屋前にクルマを横付けした。
親父さんは天火魚焼き器と浴室用収納鏡棚、そして圧力鍋の蓋をクルマまで運んでくれた。
その後ろ姿は何かを考えている風にも見えた。
今頃、親父さんは「モシュカテルも店に置くべきかな」と考えているのかもしれない。VIT
台所窓に専用台を置き、真新しいオールステンレス製の電気天火魚焼き器で早速鮭を焼く。後ろにサド湾とトロイア半島、そしてサン・フィリッペ城。