武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

213. 中島先生、『にっぽん』と『にほん』はどちらが正しいのですか? professor Nakajima. O que é correto, “Nippon” ou “Nihon”?

2024-07-01 | 独言(ひとりごと)

 笑福亭鶴瓶に『青木先生』という新作落語がある。母校、高校の先生を話題にした落語だ。

 生徒が授業中に、先生に愛憎を込めていわゆる大阪弁でいう『おちょくる』という行為なのだろうと思う。

 残念ながら僕は青木先生の授業は受けていない。でも僕が在校中も居られたはずだ。

武本比登志油彩と本文とは関係ありません。

 僕は笑福亭鶴瓶より5歳程年上、面識はないが、僕の方が先輩にあたる。ほぼ同世代、同じ高校、浪速高校、通称『浪高』に通っていた。青木先生は国語の先生だ。比較的マンモス高だったので国語の先生も沢山居られた。

 国語で僕が習ったのは長野先生、中島先生などが居られたが国語でも現代国語と古文などもあって、どちらがどちらか覚えていない。長野先生は3年生の時の担任で僕は個人的にもご迷惑をおかけした思い出がある。

 青木先生は戦後間もなく昭和22年の、お若い頃から浪高に居られた様だが、笑福亭鶴瓶の居た頃には70歳近いご高齢になっておられて、その事がおちょくる題材になっている訳だけれど、母校にはご高齢の先生が多く居られた。長野先生も中島先生も何処か他の学校を定年退職されてから浪高に再就職を求めて入られたのかもしれないが、そういった先生が多く居られた。

 長野先生は先生の有志を集められて俳句の同好会などもやっておられて、授業も担任も受け持っておられたのだが、学校ライフを楽しんで居られる雰囲気もあり温和な先生であった。

 中島先生もご高齢の国語の先生だが大阪府下の田舎の町で町会議員もしておられたという噂もあった。いや、噂だけではなくいつも背広の胸には町会議員の金バッチが光っていた。

 その僕たちの時代には中島先生がおちょくる対象になった。

 「中島先生、ニッポンとニホンはどちらが正しいのですか?」などと通常の授業に飽き飽きした生徒が質問をする。中島先生は得意になって「そりゃあ、ニッポンと言わなきゃあかん。ジャパンは蔑んだ言い方だ。」などと答える。ニッポンとニホンという質問の筈なのに、ニホンはどこかに飛んでしまってジャパンに置き換わっているのだ。それを延々と1時間でも得意になって話し続ける。それが面白くて次の授業でも同じ質問をするのだ。又、得意になってニッポンとジャパンの話を延々と話し続ける。その話は他のクラスにも伝播する。

 それが何回か続くと「えっ、その話はこのクラスでは前にしなかったか?」などと、町会議員がにやっと笑われようやく気が付かれる。その先生の綽名は『ウイッシュボン』であった。

 その頃、テレビでやっていた『ローハイド』のウイッシュボンに感じが似ていたからだ。ウイッシュボンは西部劇ローハイドの炊事係でカウボーイたちから慕われる叔父さんだが若いカウボーイたちからおちょくられる対象になっていた。

 ウイッシュボン先生が言われていた「ジャパンは蔑んだ言い方。」と言うのは正しくないのだと思う。

 ジャパンを検索してみると、中国語のjih pun(日本)(読みは「ジープン」)に由来し、文字通り「日の出」「日出ずる国」を意味し、日本語のNippon(日本)と同義なのだ。 この中国語は、jih(日)(「日」の意味)とpun(本)(「起源」の意味)が合わさった言葉で、もともと中国の南方の人は「ニッポン」に近い発音をしていた。

 そこから、シナの商人たちがポルトガルの船乗りに言い移しで伝えたのが、ポルトガル語のJapão(ジャパン)となり、スペイン語のJapon(ハポン)になる。 そして、フランス語のJapon(ジャポン)や英語のJapan(ジャパン)につながったという説。 ジープン或いはニッポンという発音が、違う言語の間で訛っていき、ジャパンにたどり着いたということなのだ。

 マルコ・ポーロが東方見聞録の中で日本のことをZipangu=ジパングと言い表している。彼は日本を訪れたことがないため、ジパングは全て想像と伝聞によって作られた。 彼に日本の話を伝えた人物は中国の商人だった。 かつて日本は中国との交易で、支払いに砂金を使っていたという説もある。現在はイタリア語で日本はGiappone(ジャポーネ)となる。(Wikipediaより)

 未だ日本国内で国の名前が確立されていない時代に、中国からはジープン(日出ずる国)と呼ばれていたと言うことになる。今では日本(リーベン)だが、ジャパンは決して蔑んだ国名ではないと言うことになる。

 太平洋戦争時代を描いたアメリカ映画にはよく「Jap=ジャップ」という文言が出てくるが、それは少々蔑んだ言い方なのかもしれない。「日本人野郎」と訳せるのだろうと思う。

 一方、ニッポンとニホンであるが、結果から言うとどちらでもよいのだろう。「にほん」という呼び方はせっかちな江戸っ子たちの早口によって生まれたとされ、「にっぽん」が「にほん」と簡略化されたという見方もある。

 只、単独でいう場合は「ニッポン」で、熟語で使う場合は「ニホン」が使いやすい様な気がする。「ニホンゴ=日本語」「ニホンジン=日本人」「ニホンショク=日本食」「ニホンガミ=日本髪」「ニホントウ=日本刀」「ニホンアルプス=日本アルプス」「ニホンカイ=日本海」「ニホンシュ=日本酒」「ニホンガ=日本画」「ニホンエイガ=日本映画」「ニホンケンチク=日本建築」「ニホンジカン=日本時間」「ニホンタイシカン=日本大使館」「ニホンシャ=日本車」等だが、勿論、「ニッポンシャ」といっても「ニッポンゴ」といっても差し支えないのだと思う。「日本晴れ」の場合は、「ニッポンバレ」の方が「ニホンバレ」よりいっそう晴れ渡っている感じがしないでもない。それに「ニッポンギンコウ=日本銀行」もニッポンギンコウだろうか、いや、どちらでもよい。僕には縁がない。

 日本食は和食ともいうが、日本の服、着物はニホンフクとは言わないで和服と言うし、日本の紙は和紙と言う。辞典も和英、英和などと言って英日、日英とは言わない。

 東京は「日本橋=ニホンバシ」だが大阪では「日本橋=ニッポンバシ」という。

 僕にとって大阪の日本橋は橋のイメージは全くなく、日本を代表する街というイメージも全くなくて、ただ単に猥雑な電気屋街と言うイメージだ。昔は小さな多くの電気部品専門店に混ざって古道具屋も多くあった。西岡たかしさんはそこで古い壊れたヨーロッパ製のオートハープを買われた。それをご自身で修理をされ使っておられたが、「遠い世界に」のレコーディングにも使われている。僕も古いフラットマンドリンを買ったが、使わないまま今も埃をかぶって眠っている。その古道具屋でSPレコードも買った。アインシュタインのバッハのハープシコード演奏で絹貼りの10枚組アルバムだ。たぶん、今では貴重なものだと思う。

2024年夏至の頃のセトゥーバルの日の出(我が家のベランダから6:10撮影)

 今年はオリンピックの年だそうだが、何か盛り上がりに欠ける。

 オリンピックの応援で「ニッポン、チャチャチャ。ニッポン、チャチャチャ。」は勢いがつくが「ニホン、チャチャチャ」では何とも締まらない。VIT

 

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