武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

105. 葡萄畑の紅葉

2012-11-30 | 独言(ひとりごと)

 毎年、サロン・ドートンヌが開催されるこの晩秋にパリまで100号の作品を持って行き、始まるまでの1週間をどこか違う町の見学という形で過していた。
 それはノルマンディであったり、ブルターニュであったり、イルド・フランスであったり、そしてプロヴァンスやコートダジュールにまで及んだりで、その先々の美術館などを観て楽しんでいた。

 晩秋のフランスは寒く、雨が降ったりもするが、紅葉が美しく、我々の住む南国ポルトガルでは決して味わえない景色とキーンと凍える張り詰めた空気には格別のものがあった。
 バルビゾン派や印象派の作品そのままの風景が今なお手付かずに残されていて、その時代にタイムスリップした如くに感じることさえある。

1.セトゥーバル郊外モシュカテルワイン用葡萄畑の黄葉とアラビダ山(2012年11月撮影)

 フランスと比べてポルトガルにはあまり紅葉はない。街路樹のポプラが黄色く色づき、やがて褐色になり落葉するが、年によっては半ば黄色くなりかけで落葉してしまったりで、黄葉を楽しむまでは至らないことの方が多い。それと僅かだが家の壁などを覆う蔦が赤く紅葉しているのを時々見かける程度で真っ赤に色づくモミジやカエデ、ハゼなどの類はあまり見かけない。

 僕は大阪市内南部の下町育ちなので紅葉とはあまり縁がなかったのかも知れない。周辺は棟割住宅が建ち並ぶ住宅街でそんな中に町工場がひしめき合い混在している様なところで、庭木や街路樹も少なく、殺伐とした地区に育った。と言うより戦後の日本はそんなところが多かったのかも知れない。
 近くに漆堤という川べりがあったが、漆は一本もなく、エノコログサやセイタカアワダチソウが子供の背丈ほどに生い茂っていた。
 今は桜の名所になって、時期には舞台が作られ提灯がぶら下がって、屋台が出たりしているがその頃には桜は一本もなかった。遠い昔、万葉の時代には息長川という名でカイツブリも生息する美しい川として歌われているのだが…

2.葡萄の紅葉

 戦後間もない時期にあって、父はそれでも季節感を大切に持っていた人だった様に思う。旬の物には目がなく、いつも季節を先取りして、自ら通勤帰りにいろんな物を買ってきたりしていた。それは枝が付いたままの柿であったり、いがに入った栗であったり、松茸であったりもした。
 僕が未だ小さい頃、春にはよく吉野に花見に出かけたし、夏は淡輪(たんのわ)に泊りがけで海水浴と舟釣りに行き、秋には必ず箕面(みのお)にもみじ狩りに出かけた。箕面の紅葉は美しかったのだろうが、子供心にはそれを愛でるには早すぎたのかも知れない。紅葉よりは『箕面昆虫館』が楽しみであった。

 そして床の間の掛け軸は四季折々に架け替えられた。日本画家は四季を大切にする。それは掛け軸がくるくると巻いて収納しておけるし、気軽に架け替えられる様になっているからで、西洋の油彩ではそうはいかない。架け替えても収納しておく広い場所が必要になってくる。
 西洋の油彩は架け替えることは念頭にない。だからむしろ季節感のない画題が好まれたのだろう。ペーテル・ブリューゲルには雪景色があるが…。
 その後、19世紀の後半に日本からの美術が大量に西洋に渡った。西洋の画家達はこぞってジャポニズムを取り入れた。印象派、ポンタヴァン派、ナビ派、そしてアール・ヌーボーなど。

 ゴッホもジャポニズムを積極的に取り入れた一人だ。季節の花も積極的に絵にしている。巴旦杏、アイリス、向日葵などあまりにも有名な絵だ。
 ゴッホはオランダの南部ヌエネンに生まれ育った。身近に紅葉が美しい土地だったに違いない。
 ゴッホはパリを後にして、アルルにやって来た。フランス南部アルルはポルトガルとよく似た気候で植生なども似通っている。あまり紅葉はないのかも知れない。でもアリスカンのポプラ並木の黄葉を絵にしているし、葡萄畑の紅葉を絵にしている。たぶん、ゴッホは故郷ヌエネンの紅葉が懐かしかったのかも知れない。

3.紅葉するアレンテージョの葡萄畑

 晩秋のこの時期、アレンテージョなどをクルマで走っていると葡萄畑の紅葉を眼にすることができる。今までクルマを停めてまでは見ることはしなかったが、車窓を流れる風景に「おっ、綺麗やな~」と思わず口にすることがある。
 この程、クルマを停めてじっくり写真撮影などを行ったが、意外と停められるところが少ない。
 赤葡萄は赤く色づき、白葡萄は黄色く色づくのは以前から思っていたが、それと多分、葡萄の品種によって紅葉の具合がかなり違うのに気がついた。

4.帯状に様々な色合いの葡萄畑

 その赤も様々であるのに気がついたのである。同じ畑でも品種ごとに帯状に植えられているところなどを見ると一目瞭然である。赤のなかにも赤黒いものから、淡いものまであるし、紅葉をしないで、いきなり枯れた様な褐色になるのもある。
 そして紅葉が美しい年とそうでもない年がある。天候や気温によるものだろうが、うかうかしていると、そんなものを感じている暇もなく季節は瞬く間に過ぎ去って行く。VIT



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コメント (1)
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