武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

202. 二つの赤いランプ duas lâmpadas vermelhas

2022-11-01 | 独言(ひとりごと)

 夜中に目が覚めた。と言っても珍しいことではない。毎晩だ。それも何回も。

 その夜もぐっすり眠ったつもりで手探りにスマホの時計を見ると未だ0時45分。

武本比登志油彩作品F30

 風呂から上がったのが9時45分。それから2本目の映画をベッドに入って観る。終わるのがだいたい23時頃。映画を観ながら半ば眠ってしまったりもする。時々目が覚め途中見逃したことに気が付く。

 映画が終わればパソコンをシャットダウンする。そして電源を切る。テレビも電話も連動しているからそれ以後は繋がらない。朝までぐっすりだ。

 ところがそうはならない。何度も目が覚める。目が覚めると取敢えずおトイレに行く。

 おトイレから直接ベッドに戻るのではなく、アトリエを一周し、暗がりの中で描きかけの油彩を眺めてみる。そして台所なども徘徊する。

 冷蔵庫の扉が開いていないか?ガス湯沸かし器の元火がちゃんと消えているか?などを点検する。尤も1年ほど前にガス湯沸かし器は最新式に買い替えて、元火は自動着火方式になったので、それからはガス湯沸かし器の点検はいらない。

 冷蔵庫の扉がほんの少し開いていて光が漏れている場合は真っ暗な台所なのですぐに判る。光が漏れない程度に開いている時もある。だから冷蔵庫の扉を押してみて確認をする。

 台所が真っ暗と言ってもカーテンは閉めないでいるので、外の明りが台所に入り込む。月の光であったり。街灯であったり。お城のライティングであったり。台所より外の方が明るい。

 0時45分に目が覚めたその夜は冷蔵庫を通り越してその先に真っ赤な明りが目に飛び込んできた。洗濯機だ。洗濯機は台所の窓寄り。台所の窓下に洗濯ロープがあるので、洗濯機の定位置なのだろう。我々が住み始める以前からこの場所にあった。洗濯機は2台目だがよく働く。元からあった洗濯機は2度ほど故障して、それから買い替えた。買い替えたのは2005年。

 パリに住む日本人商社マンの知人が「ヨーロッパの家電(家庭用電気器具)は1年しか保ちませんよ。」と言っていた。それは少々極端だが、確かに日本製に比べて寿命は短いのかもしれない。でも我が家ではそんなことはない。

 洗濯機は買い替えてもう17年も使っていることになる。イタリア製の全自動ドラム式洗濯機だ。全自動と言うだけあって見ていると実に面白い。色んな動きをする。速度を変えて回したり、逆に回ったりは当たり前だが、叩き付けたり、ほぐしたり。そして全自動と言うだけあって、いや、全自動の割には操作が簡単ではない。タイマーもある。温度調節もある。そしてウール洗いなどの素材別洗いなどもある。それに念入り洗い、と手抜き洗い。いや違うな。簡単洗い。我が家はいつも簡単洗いだ。勿論、タイマーなどは使ったことはないし、ウール洗いも使わないし、温度も入れない。水道水のまま常温だ。だからたくさんあるダイヤルやスウィッチなどはいつも同じ。

 洗剤を所定の場所に入れスウィッチを押すだけ。と言っても僕は触ったことがない。どうすれば始動するのかが判らない。MUZの専門得意分野だ。

 絵を描いている合間に、時々は洗濯機が働いているのを眺めていたりする。絵のインスピレーションが沸いたりもするのだ。いや、それは口実でさぼりたいだけだ。

 終われば扉を開けることは僕にも出来る。でもこれも難しい。終わったからと言ってすぐには開けられない。ラーメンではないが、2分程待つのだ。2分ほど経てばコトという小さい音がして小さな赤いランプが点滅に変わる。そうすれば扉は開けられる。そして点滅ランプを押して消す。

 洗濯ロープは手前と向こう側に2本ある。手前はMUZでも干せるが、向こう側は遠くてMUZにはなかなか大変そうだ。だから僕が干す。ポルトガルの洗濯ロープは実に便利に出来ている。日本では何故こういったものが普及しないのか不思議だ。

 その夜中だ。小さいスウィッチのランプではなく。大きなランプが2つ点いていた。真っ暗な中に大きな真っ赤な2つのランプ。これは非常事態かと思った。下手に触れば取り返しがつかない事態にもなりかねない。

 僕は海外に出る前のほんの少しの間、ガソリンスタンドでアルバイトをしていたことがある。そのガソリンスタンドで洗濯機が黒焦げになっていたことがある。店長以下従業員全員が青くなった。

 その前は僕は大学に通いながら音楽プロダクションでアートディレクターをしていた。月刊誌の編集レイアウトが主な仕事だったが、コンサートポスターやチラシのデザインをしたり、レコードジャケットを作ったりもしていた。

 いよいよ海外に出る日程が決まってからプロダクションを止め、昼はガソリンスタンドでアルバイトをし、夜は喫茶店のバーテンダーをして渡航費用を稼いだ。

 海外に出てヨーロッパから中東を経由しインドまでクルマに寝泊まりしながらの冒険旅行を考えていた。

 だからクルマの故障にある程度は強くならなければと最初はJAFの助手として働きたいと申し込みをしたが、JAFでは助手は要らない。と断られた。それでガソリンスタンドと言うことになった。ガソリンスタンドでも故障車がやってくるに違いないと思ったが、僕が居た半年ほどの間に故障車は1件もなかった。ガソリンスタンドではプラグを交換したり、オイルチェンジをしたり、パンク修理は毎日いくつかがあって、僕は率先して皆が嫌がるパンク修理をしたがそれも役にはたたなかった。

 ストックホルムで買ったフォルクスワーゲンマイクロバスはおんぼろすぎて、結局、インドには行かずじまい、東欧とモロッコ、トルコを含めたヨーロッパを5万キロ走破したが故障らしい故障もなかった。

 ある朝、ガソリンスタンドに出勤すると洗濯機がまる焦げになっていた。洗濯機はお客様のクルマを拭いたりする雑巾を纏めて洗うためのもので、洗車機とコンクリート塀の隙間に置いてあったが、洗濯機だけが黒焦げになっていた。ガソリンタンクに引火していたら大惨事だ。古い洗濯機でショートでもしたのか、或いは放火か。それは判らない。謎のままだ。店長は穏便に済ませようと本社にも消防にも、警察にも知らせることはしなかった。1971年の話だ。

 MUZが寝る前に洗濯をしておこうと途中までやりかけて忘れてしまったのかもしれない。と僕は一瞬思った。何しろ真っ赤なランプが無言で2つ点灯して、洗濯機の口は少し開いたままだ。でも今までMUZが寝る前に洗濯などしたことは1度もない。

 ぐっすり寝息をたてていたがMUZを起こすしかない。

 お隣のウクライナ人のご家族はよく夜に洗濯物を干している。でもそれは乾季の夏だ。夜の内に干して水分を切り、朝日に充ててからっとさせる。色褪せはしないし合理的だ。でもいつ降りだすとも知れない今の雨季にはありえない。

 MUZは寝入りばなを起こされたのだろう。時間が掛かってようやく台所にやってきた。

 寝る前に洗濯機は触っていないそうだ。それにその場所のランプは点灯したことがない箇所だ。いつも手抜き洗いなので一番下の1個だけ点く。そして2個の赤いランプの消し方が判らない。

 夜中に取扱説明書を読む余裕はない。第一取扱説明書が何処にあるのかを探すのに朝までかかりそうだ。

 寝ぼけている割にはMUZはいいアイデアを絞り出した。コンセントを抜くのだ。

 裏側にあるコンセントを抜いたらようやく赤いランプは消えた。

 再びコンセントを差し込んだが赤いランプは点かなかった。

 次の朝、あまり洗濯物は溜まっていなかったが洗濯をしてみた。

 通常通りの正常運転だ。

 それから何度かの洗濯も正常通りでイタリア製の洗濯機は何も言わない。

 あの夜中の赤いランプは謎のままだ。

 イタリアからポルトガルの辺境の地セトゥーバル迄はるばるやって来て、訳の分からない日本人夫婦の家庭に入り込み、せっせと働き続けて17年。何か言いたいことでもありそうだ。

VIT

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