武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

166. 活字 Tipos

2019-10-01 | 独言(ひとりごと)

 ポンタ・デルガーダに住むYSさんから『文芸春秋』が送られてくる。

 大西洋の真ん中に浮かぶアソーレス諸島。9島からなるその中で一番大きな島がサン・ミゲル島。そして、その中心都市がポンタ・デルガーダである。

 僕は今までにアソーレス諸島には残念ながら行ったことがない。観光案内の写真などを見る限り、水蒸気が豊富で緑豊かな土地の様に見える。紫陽花が年中咲き乱れ、そして温泉が沸く。まさにパラダイスである。

 実は緑豊かな土地は僕の絵にはなりづらい。僕は赤茶色の絵を好んで描いて来た。

 イベリア半島は砂漠化が進み、緑がどんどん失われている、と言われている。でもポルトガルはスペインのカステーリャ地方などに比べると実は緑が豊富なのだが、僕はその緑を排除した、そんな赤茶色のイメージで描いて来た。

 そんな訳で、ポルトガル全国、マデイラ島も含め至る所を描いて来たが、より緑が豊富なアソーレス諸島にだけには行っていない。

 そのアソーレス諸島は世界地図を見ても世界の辺境の地、と言えるのかもしれないが、そのポンタ・デルガーダに一人の日本婦人が住んでおられる。ご主人はフィンランド人であり、日本語もお上手に話されるが、日常会話は英語だそうだ。

 イニシャルはYSさんとしておこう。そのYSさんがこのところ毎月セトゥーバルの我が家まで『文芸春秋』を郵送して下さる。『文芸春秋』は日本から定期購読をされているそうで、アソーレスに住まわれる前はポルトガル本土にも長く住まわれていて、その以前から『文芸春秋』は欠かしたことがないそうだ。そのお2人が最近になってペンションを始められた。

Apartamento Sol e Praiashttps://www.apartmentazores.com/

 昔は海外に住むということになれば、日本の活字が恋しくなる。

 活字が恋しくて持参した1冊の辞書を隅から隅まで繰り返し読み、英語がかなり上達した、という友人もいた。

 スウェーデンに住んでいた時には日本航空の事務所に1週間遅れの新聞を読みにたびたび出かけたこともあるし、パリの日本大使館で数日遅れの新聞をむさぼり読んだこともある。

 今では新聞雑誌はなくてもインターネットで幾らでも活字は読むことが出来るので、活字が恋しくなるということもそれ程はない。

 でもやはりパソコンで見る文字よりも、紙に印刷された活字は格別だ。

 最近は『活字離れ』などと言われ、本を読む人が減っているそうだ。でも帰国した際に大阪の地下鉄などに乗ると、吊革にぶら下がりながら文庫本を手に読んでいる人もよく見かける。大多数の人はスマホを操作しているが…。それはポルトガルでも同じだ。

 僕は1968~1969年頃、関西フォークの音楽専門誌『フォーク・リポート』というものの編集に携わっていたことがある。創刊号がオフセット印刷だったのだが、発起人の一人、西岡たかしさんがオフセット印刷では気に入らなくて、本格的な鉛の活字を使った印刷の雑誌を作りたいと希望されていた。そして僕に「鉛の活字印刷で製本が出来る印刷会社を探してこい。」ということになって、実家の近所にあった印刷製本会社を紹介した。

 第2号からは鉛の活字印刷で中綴じ本になった。その『フォーク・リポート』を何年、何冊作ったかは忘れたが、僕は主に表紙、イラスト、レイアウトそして校正などもした。その時の編集長、村元武さんにはいろいろと教わったし、随分勉強になった。そして今も親しくさせてもらっている。村元武さんはその後も今もずっと出版会社を経営しておられる。

 その『フォーク・リポート』の頃に話題になった雑誌で『話の特集』というのもあったし『フォーク・リポート』の後続で『ニュー・ミュージック・マガジン』というのも出版された時代だ。勿論、フォーク・リポート誌は関西フォークの台頭と共に一世を風靡した雑誌である。

 僕は『フォーク・リポート』と同時に美術大学にも通っていて、展覧会にも出品していたのだが、その印刷会社で大小の意味のない漢字活字ばかりを羅列した100ページばかりの本を印刷中綴じ製本にしてもらって京都府立美術館の一室の床と壁に300冊を並べたことがある。なかなか評判は良くて、他のグループなどからも出品の誘いが幾つかあったのだが、海外渡航が決まっていた時期とも重なり、それは一発きりでそれっきりになってしまった。

 東京での一人暮らしの時は本をよく読んだ。高円寺の古本屋の店頭に岩波の名作童話本が並べられていて、それまでに読まなかった童話を片っ端から読んだ。それと下宿の隣の部屋に東京経済大の学生が住んでおられて、読み終わった時代小説の文庫本をかなりの数頂いて、それも読んだ。

 スウェーデンに住み始めて数年が経った頃に日本に居る友達に資金を送って文庫本の古本を少しずつ郵送してもらったことがある。海外文学や司馬遼太郎などの時代小説も多く含まれていた。少しずつでもかなりの量になり、それで面白半分で、在住日本人を対象に『貸本屋』を始めた。それをまた面白半分に文庫本を借りに来てくれるお客も居た。スウェーデンを引き上げる時、その文庫本は『ストックホルム日本人会』に纏めて買って頂いた。

 日本に帰国した時は仕事が忙しくてあまり本は読めなかった。本は日本でより却って海外生活での方が読む時間が出来るし、落ち着いた時間があるので頭に入りやすい様な気がする。それが海外文学なら行ったことがある場所なども登場して親しみを持って読むことが出来るので尚更だ。

 ポルトガルでは毎年各地で大規模な『本市』が開かれていて、どこも賑わっている。ポルトガル人は喋ることも好きだが本も好きな民族の様だ。そしてポルトガルの印刷の歴史は250年だそうだ。

 宮崎で飲食店をしていた時は、店に置いていて一定期間を過ぎた月刊誌をメキシコで飲食店をしていた友人に送っていたことがある。友人と言っても画家で高校美術部の後輩であるが…お客の殆どはメキシコ人だと言っていたから日本語の活字は判らなかったのだろうけれど「写真だけ見てお客も喜んでいます。」と友人は書いてよこした。

 高校生の時には美術部にいた。顧問の先生が中心となって『NACK』という機関誌を作っていた。主に顧問の先生が手慣れた鉄筆で蝋紙に文字やイラストを書いて、生徒たちが謄写版で印刷し、表紙には木版画を摺り、ホッチキスを使い、糊張りし、製本したものだ。自分でも鉄筆を使って書いてみた。自分が書いた文章が謄写版印刷されることも嬉しかったし、本になるのが嬉しかった。

 増して活字になるなどとは考えられない時代であった。

 その頃から比べると、本当にSFの時代である。

 ワープロの時代も過ぎて、今やパソコンで難なく活字が出てくる。

 誤変換などという副産物もある。思いもよらない面白い漢字が出て来たり、理解に苦しむ誤変換などもあり、思わず笑ってしまうこともある。

 でも『文芸春秋』など、昔ながらの紙に印刷された活字には紙の匂い、インクの匂いと共に特別の思いが潜んでいる。

 ポンタ・デルガーダからセトゥーバルまで、幾度かの海を渡って来た、分厚く、活字の一杯詰った『文芸春秋』。それを小脇に抱えた郵便配達夫がマンション入り口のベルを押し、玄関ホールにある郵便受けには入りきらない分厚さの為、4階の我が家まで階段を昇って来てくれる。そして郵便配達夫は我が家の前で2度目のベルを鳴らす。4階もの階段を昇って来たにも拘わらず、少しの息切れもなく、清々しい笑顔で「この荷物はあなた宛てですね」と言って『文芸春秋』を手渡してくれる。「コーヒーでも」と言ってチップを手渡したいところだが、あいにく素早くは小銭が出てこない。

 1冊の『文芸春秋』が日本からポンタ・デルガーダに送られ、そして、セトゥーバルの我が家で2人がむさぼり読み、更にその後、リスボンのHGさんのところへ行くことになった。HGさんはリスボンの大学でポルトガル人に日本語を教えておられる。ポルトガル人も『文芸春秋』を手にする時が来るのだろうか?

 『文芸春秋』の活字が日本から遠く離れた地球の片隅で、僕の心を少し豊かなものにしてくれている。 VIT

 

 

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