午前中 雨が降って・・・ワンコに外ご飯をやらなかったためか
腹をすかせた野良猫が にゃ~にゃ~~とまとわりつく
どこから来たのか 不思議に綺麗なグレーの猫が
チビ子を連れて ご飯ちょうだいとうるさく泣く。
ここだけの話だけれど
このチビたちが 丸くってちっちゃくって
なんとも言えず可愛い。
いちばんちっちゃいのは 前足も後ろ足も白ソックス
次の子は 毛足が長いグレーなので
どんな風に育っていくのかと
思って見てはいけないけれど 楽しみ。
もうひとつは
混ざり色の もあもあとした雰囲気の毛色
どの子も表情が 抱きしめたいほどかわいい。
最初に グレーの親が迷い込んできた時
ネットで調べてみたら 30万もするらしかったのだけれど
今見て見ると 純血種以外に 雑種ノラも あるらしいので
猫は自由で 沢山の木々に登ったり下りたり
時には 降ってきたりして驚かされたりもします。
我が家の荒れ庭は どこからでも出入り自由なものですから
出て行けと叱っても いつの間にか居座っています。
エサをやらなければよろしいのじゃ!!と言われそうですが
ワン公達に外ご飯を食べさせていると
一緒に食べようと割り込んでくるのです
爪できゃっきゃっと目でも掻かれたことには
えらいことになりますから・・・
だから仕方なく お茶碗を別にしたのが間違いの始まりなのだけれど
この庭がこのままでは 多分どうしようもないような気がするけれど
猫が増えるなんて 今までに無かった事なので なぜだろうと考えて見ると
ワン公達が 年寄り犬になって ボケボケしてきたのが判るのかも知れませんし
ご飯に割り込まれても 以前は飛びかかっていたのが犬の方でしたのに
・・・今は 大きい方が そぉ~っと逃げてます・・・
(なんとも なさけないことですが)
あらら 猫の話より 大切なお話があったのでしたのに
ここに書かれているお話の一つです
仏様の教えは素晴らしい💞遺言のラクダ などなど
お釈迦さま御在世中、四十年間の膨大な御説法の中、
たとえ話をまとめて作られた「比喩経」という経典があります。
その中に、こんな話しが載っています。
インドに、Aさんという目の不自由な方がいました。
ある日、Aさんが友人のBさんを久しぶりに訪ねて、
つもる話に花を咲かせ、ふと気付くと外は真っ暗な夜になって
いました。あわてて帰ろうとするAさんに、
Bさんは、「夜道は危ないから」と提灯を持たせようとしました。
するとAさんが、真っ赤になって怒りだしました。
「目の不自由な私に提灯が要るわけがない。悪い冗談はよしてくれ。」
「でも、あなたには要らなくても相手の人がぶつかってくると危ない。
だから持って行きなさい。」
というBさんのその言葉にAさんは納得し、素直に提灯を持って
帰ったというお話しです。
・・・中略・・・
現代人はお互いに、俺が、俺が、と自我一辺倒で、相手の
立場に立って考えるということを忘れているようです。
その結果、政治も教育も道徳も救いようのない腐敗、混迷、
堕落を招き、いつどこから拳銃の弾が飛んでくるか分からない
ような、おぞましい社会が浮上してきています。
このような今日、約二千五百年昔にお釈迦さまが諭された、
目の不自由な人と提灯のお話しは、二千五百年という
気の遠くなるような永い時間と空間をとびこして、私達に
大きな警鐘を鳴らして下さっているような気がします。
・リニューアル:2000.10.8 / 2003. 2.10
この文章が書かれたのが もう20年も前のようですから
全く先を見越した教えだと感動しています。
というか真実は約二千五百年昔にお釈迦さまが諭された
と言う事なのかもしれませんけれど・・・
棘ありて ピラカンサスの 赤い実よ
2017年10月13日 撮影
渡り鳥 押し寄せて来て くわれちゃう
赤いから
可愛いからと
小鳥いう
(旦那様が精魂込めて手入れしていた木は これではありません)
お向かいの
庭先の赤
ちょんぎられ
旦那様の死んだ
すぐ後だった
遺品整理のはやいこと
愛車でさえも すぐに消え
軒に作った 小鳥の小屋も・・・
愛って
なんなのだろう