7月11日 葬儀
開式 10:00
出棺 11:00
お坊様に ありがたいお経をいっぱいいただいて
六文銭と お団子と 白いご飯
母の大好きだった生まれ故郷の山が大きく入った写真と
いつも憧れで 名前が同じで大好きだった
壺井 栄さんの切り抜き写真 を お棺に入れてあげました。
今は本も 燃えにくいものとされ 金具・宝飾類などと同じで
お棺に入れる事が許されなくなりました。
私の妹の時は もう50年も越してしまいましたが
みんなで お棺に釘打ちをしたことを覚えています
今のような炉は無く 外に薪を積んで
一日がかりで焼いてくれたものでした。
家からは ゆらゆらと立ち昇っていく白い煙が見えて
祖母が 可愛そうに 可愛そうに と言って
泣いていたことを覚えています。
骨上げ 13:00
時間が来て弟と二人だけで 火葬場へ行きました。
部屋に入った途端
母ちゃんの 大きな白い頭が こっちを見ているのです
(ほら すっきりしただべよ^^) そんな声が聞こえてきそうでした。
近寄っていくと まだまだ火の気が残っているように熱くて
母ちゃんは 組んだ手もほどけて やけくそのように寝ていました。
前回の従弟の時もそうでしたが
最近は 手足の指が見当たりません・・・
時短で焼き上げるから どうしても細い所は焼きすぎになるのかも知れませんが
なんじゃかんじゃと思いながら お骨を集めました。
喉仏様もきれいに納める事が出来ました。
納骨するかどうかは迷ったりしていたのですが
あとで二つの壺のお骨は一つにすることも出来て
自分のお墓にだけ納めて終わらせることも出来ると聞きましたので
一応 二つの骨壺に分けました。
納骨をどうして迷ったかと言うと
これまた話は長くなるのですが
母の遺言では 父・妹 祖父祖母らと同じように高野山に納めて欲しいとの事でしたので
お寺さんにお聞きしましたら 高野山の中もいろいろ別れていて
どの分院でしょうかと言われ・・・・ 解らない私でした
母がまともだったころ 高野山に連れて行けと言う話が出た時
私には犬が四匹いるから 高野山にしてもどこにしても
ゆっくりとした旅などできやしないのよ と 母に返事したところ
あんたが無理なら お寺さんに頼んで ついでの時にでも連れてってもらってよ
と えらく熱心に頼まれるので その通りを お寺さんにお話ししましたら
・・・僕のお寺は 真言宗でも 高野山ではないのです・・・とのことで
これまた初めて知った大事件
でも高野山からは必ず何かの通知が来ているはずですから
書いたものを探してみてからにしてはいかがでしょう
と言う事で 私は 家探しすることに・・・
なんだか
骨の話が長くなりましたが
この日の朝は 蒸し暑い中の雨でしたが
出棺の時は ウソのような日本晴れで
焼き場のある山のふもとは 緑がいっぱいで さわさわとしていて
驚くほどの 初ゼミの大合唱でした
なんだかねぇ
母ちゃんも 喜んでいるようで うれしい一日でしたよ。
この後は
初七日 13:00
お経が上がって
終了 13:30
2019年7月11日 青空を飛んで行く母ちゃんの雲
葬儀代金 382,860円
お坊さんへのお布施 200,000円
お布施は 過去の葬儀は沢山の親戚が集まったもので
みんなで出し合ったりしたものですが
今回は 私からの母ちゃんへのプレゼントとなりました。
母と弟とわたしだけの小さな小さなお葬式
でも 今までで最高のお葬式でした
三人の心が一つになって
沢山のお話も出来ました。
白衣(しろごろも)母は旅立つ夏空へ
おくやみを申しあげます。。
お母さまがくもになって空へのぼっていかれたとのお話に、なみだが出てしまいました💧
お力おとしになりませんよう、、
クリンより🌼
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
ずっと拝見していました
隠れファンでした
いろいろ勉強になりました
今日のブログの最後の数行で
私の心が、すっ~と楽になりました。
これからも、
お寂しい感情がいっぱい、いっぱいおありだと思うと
涙が止まりません。
どうぞ、お身体御自愛くださいませ
わが母、わが自身と重なり合わせています。
これまでお母様の介護記事、全てといえませんが、
読ませていただき、お疲れ様でした。
立場は異なることととはいえ、私(91歳)も直接ではなく、
介護ヘルパーにより家内(86歳)を介護してます。
幸いに同じ施設に入居していますが、何かと人間関係のことで苦労してます。
どちらが先に旅立つか解りませんが、生ある限りヘルパーさんでは、
出来ない介護を家内にしてあげたいと頑張っています。
どうぞ、お疲れが出ないよう、お身体をご自愛されますことを願っています。
相撲の大好きだった母は 1年近く前の話になるかもしれませんが
病院のテレビは小さいからテレビじゃないとか
言ってわがまま言ってた頃が懐かしいですよ^^
母は 最初から団体生活が嫌いで
塗り絵も嫌いで・・・
大好きだった介護士さんも突然辞めたりして
ついには 半年だけの学校となりました
介護の事 病院の事 私も いろいろ学ばせていただきました。
結局は 人なんですよね・・・
いい先生に巡り合えるか
いい看護士さん介護士さんに出会えるか?
今思えば 母は 幸せだったほうなのでしょう
100点を求めては 無理なのかもしれません
そうそう 骨の母と おしゃべりする私がいます^^
ブログを見て おどろき
72の私が疲れた疲れたということが恥ずかしいです。
でもお二人そろっているからやる気も出るのかもしれません。
愛する者がいるということは一番ありがたいことなのかもしれません。
施設でのご苦労は 十分にわかります・・・
人間が機械じみていますからね
人手不足であり 働く人の愛情不足でもあるのでしょう・・・
多くを求めると 介護する家族のほうが やられてしまいますから
ふかく求めず・・うまく取り仕切って下さいね
uesan様の お体こそが大切なのですから。