どうして 世界において キリスト教信者が一番多いのだろう?
と kiyasumeさんにお聞きしてみましたら 解りやすい答えを得ました
参考までに・・・と いうことだけれど
なぜアメリカには熱心なキリスト教信者が多いのか。シンプルな答え
橋爪大三郎の「社会学の窓から」⑤
アメリカは、不思議な国である。とくに不思議なのは、キリスト教。なぜあんなにアメリカ人は、キリスト教を熱心に信じるのだろう?
アメリカ人は、3億人。ざっとみて、1億人/1億人/1億人に分かれている。
最初の三分の一は、キリスト教なんかもう関係ないや、という人びと。科学を信じる合理主義者で、ビジネスをやって、禅やヨガやニューエイジにも理解のある進歩派だ。
つぎの三分の一は、主流派の人びと。健全な常識人で、教会にもおおむね出席する、穏健なクリスチャンだ。
最後の三分の一は、福音派(エヴァンジェリカル)と呼ばれる人びと。聖書は「神の言葉」だと、信じている。進化論や天文学は間違っている、と決めつける極端な人びとも、なかにはいる。この福音派が最近、アメリカ政治の台風の目になっている。
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これらの国と比べると、アメリカのキリスト教は元気だ。まじめに信仰している人びとが多い。
ビリー・グラハムみたいな伝道師が大勢いて、万単位が集まるメガチャーチもある。キリスト教系の新興宗教(モルモン教、エホバの証人、クリスチャン・サイエンス、…)もたくさんある。社会的な活動も活発だ。公民権運動でも、キング牧師が大きな役割を果たした。
なぜアメリカだけ、キリスト教がこんなに盛んなのか。それは、アメリカ人の心にぽっかり、穴が空いているからだ。
ぽっかり空いた、心の穴。それはアメリカ人が、移民だからだ。
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移民した人びとは最初、故国の教会を持ち込むが、人気があるのはアメリカならではの教会。バプティストやメソジストである。いろいろな場所から来た人びとが、兄弟姉妹と呼びあう。教会を移れば、人間関係をリセットし、新しいスタートを切ることができる。
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「聖書は神の言葉」が、福音派の合い言葉だ。「神の言葉」なら、科学者、哲学者、政治家みたいな、人間の書いた「人の言葉」より格上である。進化論も天文学も人の言葉なら、ただの意見にすぎない。たぶん間違っている。いっぽう聖書は、正しいに決まっているのだ。
福音派だと、どんないいことがあるか。まず、情報があふれて混乱したこの世界が、単純になる。聖書が唯一の真理なのだから。
でもこの世界のあらゆる出来事を、どうやって聖書から判断する?そこを伝道師が手伝ってくれる。中絶はいけない。イスラエルを支持しよう。LGBTはいけない。トランプに投票しよう。そんな保守的な結論になっていく。
選挙では、聖書を規準に投票する。だから政治家は、うっかりしたことが言えなくなる。トランプとヒラリーでは、トランプのほうがましに見えた。まだしも正直そうだ。そこで福音派の票は、トランプに集中した。
アメリカはとても重要な国だ。でも日本人には、理解しにくい。キリスト教がわからないと、理解できない仕組みになっている。
じゃあ、キリスト教を補助線にアメリカを解明しようと、『アメリカ』という本を書いた。社会学者の、大澤真幸さんとの対談である。新創刊「河出新書」の一冊で、2018年11月発売。キリスト教と、あとプラグマティズムを二本の補助線に、アメリカの深層に切り込んでいる。
明らかになるのは、経済(資本主義)も政治(民主主義)も、自然科学も、家庭も文化芸術も、世俗の生活の隅々にまで、キリスト教が浸透していること。物質生活がそのまま、霊的(スピリチュアル)な生活でもある。そこに、アメリカの秘密がある。344頁と厚めで、読みごたえ十分だ。どうぞお手に取って、じっくりお読み下さい。
キリスト教を世界に広げたマーケティング・ミックス
よく知られているように、キリスト教は元々ユダヤ教を母体として生まれました。そして7世紀に生まれるイスラム教のいずれも、すべて同じ神をいただく「兄弟宗教」です。呼び名は各宗教ですべて異なりますが、基本的に同一の神(人格神)が主役です。
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当時のユダヤ教の弱点は、その厳しい戒律でした。特に厄介なのは安息日に仕事をしてはいけないというものです。料理をするために火を使ったり、何かを切ったりするのも禁止ということですから、信者にとっては大変です。お金持ちは人を雇うこともできましたが、一般の信者はこの戒律をなかなか守ることができず、大いに苦労していました。
そこに登場したのがイエス・キリストです。キリストは戒律のために人があるのではないと説きました。信者にはありがたい話でしたが、当然、当時のお偉方はこれを快く思いません。キリストが、世を乱す者として十字架で磔にされたのは知らぬ人のいない話です。
キリストの主張のポイントは、「信仰のみが重要」という点でした。戒律を守る必要がなくなった点は、潜在的な信者を広げることに大きく役に立ちました。そしてそれ以上に潜在信者拡大に大きな役割を果たしたのが使徒パウロです。パウロは、キリスト教をユダヤ人から切り離し、人類すべてに通じる教えとしたのです(キリスト本人がそれを望んでいたかは不明ですが)。こうしてユダヤ教とは、ターゲットもポジショニングも異なっていったのです。詳細は割愛しますが、神のイメージを「慈悲深い」と変えた点も重要なポイントでした。
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しかし、組織ができても「モノ」そのものが魅力的でないとそれは普及しません。キリスト教はその点、面倒な戒律はありません。信じさえすれば救われるということで、分かりやすさ、実践のしやすさも抜群でした。イエスがすべての人々の罪を引き受けた(イエス贖罪論)というパウロの主張や、正しく生きれば最終的には神の国に行けるという内容も、貧しい人や迫害されている人、後ろめたい部分を持つ人々にとっては魅力的でした。その意味で、あらゆる人々のニーズにうまく応えていたと言えるでしょう。
個人的にキリスト教の普及に大きく寄与したと考えるのは、そのストーリー性です。人々は物語を好みます。イメージが喚起されるとともに、時には感情移入をしやすいからです。ロジックだけでは左脳にしか反応しませんが、ストーリーや五感を刺激するツール(偶像や音楽など)を使うと、右脳にも効果的に働き掛けることができるのです。
その意味で、聖書の果たした意味は大きかったと言えるでしょう。特に新約聖書のイエスの物語(いわゆる福音書の部分)は叙事詩としていまも世界最高レベルの1つです。魅力的なストーリーの存在は、布教者にとっては説明する際の武器となり、信者にとっても共感でき強く感情移入できる拠り所となっていったのです。キリスト像やマリア像、賛美歌などの五感に訴えかけるツールと相まって、キリスト教はより身近なものになって行きました。
カトリック教会も時代を下るとかなり官僚化するのですが、初期の段階では教義に拘りすぎることなく、市場の細かなニーズに合わせていった、悪く言えば迎合したことも重要なポイントです。たとえば本来神とは関係ない聖母マリアを活用し、母の慈しみのイメージを活用しました。また、ヨーロッパ土着の冬至のお祭りをクリスマスとすることでキリスト教のイベントにもしました(キリストの本来の誕生日は3、4月頃と言われています)。
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・良いと思えば当初の作り手の意図を多少はずしてでも商品設計をし直し、ひたむきに売る
最後の項目は、現代のマーケティング現場でもとても重要なことです。目的が正しいと確信できるのならば、キリストが言わなかったことすら教義に据え(イエス贖罪論など)、多くの人を救おうとしたパウロの大胆さ。それこそがキリスト教がここまで広がった最大の理由であり、パウロのマーケティング・センスと意欲こそがキリスト教を世界宗教たらしめたとも言えるのではないでしょうか。
1人でも多くの人々に広めようとする志や強烈な渇望(アスピレーション)こそが大きな差となることを肝に銘じたいものです。
2019年10月 金木犀
キリストをうまく売り込むパウロかな
ひたむきに売り込んでこそ世界一!!
どんなに良いものも売り込む力がなければ
世に広まることもなし だが
気になるのは あのでっかいルビーは どうなったのだろう?
ビルマの竪琴 劇映画 沖縄 あゝひめゆりの塔 千羽づる(ニューマスター版)Amazon映画
ビルマの竪琴 だよ
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