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“最期のとき”を決められない ~延命をめぐる葛藤~

2018年06月27日 03時14分34秒 | 命・心

No.35832014年11月19日(水)放送

“最期のとき”を決められない ~延命をめぐる葛藤~

“最期のとき”を決められない ~延命をめぐる葛藤~

独居高齢者 急増 どう決める?“最期”

・・・・

入院して2か月になる杉田誠二さん(仮名)です。
重い脳梗塞で意識はなく、回復の見込みはありません。
酸素を吸入し、鼻から栄養を入れる延命治療が続いています。

ガイドラインでは、死期が迫ったときに延命を中止することも、選択肢の1つになるケースです。
しかし、それに必要な本人の意思が確認できません

・・・・

肺気腫が悪化し意識がない状態の、五十嵐敏子さんです。
入院当初、意識があるうちに自分の意思を記していました。
人工呼吸器や心配蘇生など一切の延命治療を拒否していました
しかし、その決断を家族には伝えていませんでした。

五十嵐さんは病気になっても実家には知らせませんでした。
医療費のことで心配をかけたくないと思ったからです。

木村病院 医療ソーシャルワーカー 須永智恵さん
「十分ここで生きたとおっしゃっていました。
やりたいことは、好きなことはできたとおっしゃってました。
何か延命を希望することで自分のことを人に託すっていうのは、敏子さんはきっと希望されないと思うんですよね。」

それでも病院は、病状が悪化したため新潟の実家に伝えることにしました。
家族が延命を希望するかもしれない。
それも確かめたかったからです。

・・・・・・

本人の意思がわからない 決められない“最期”

今、病院には、すでに意識がない状態で運び込まれ、延命の意思を確認できない高齢の患者が増えています。
重い脳梗塞で意識がなく、回復の見込みがないと診断された杉田誠二さん(仮名)です。

8月下旬、路上で倒れ、別の大学病院に救急搬送されました。
そこで救命措置を受けた杉田さん。
この病院に来たときにはすでに酸素吸入器をつけられ、意識がありませんでした。
延命を続けるのかどうか、病院はガイドラインに沿って家族の意思を確かめることにしました。

木村病院 院長 木村厚医師
「ご本人が希望するんですけど、ご本人が希望できないのでお兄さんに決めていただくしかない。
ご本人の今までの人となりとか、何が彼にとって幸せか考えていただく。

木村病院 院長 木村厚医師
「自分で自分の最期を決める権利というのはあるわけですから、医者が勝手に決めるわけにはいかないんです
生き方も亡くなり方も、勝手にできない。
その人の持ってる権利を考えていかないといけない。」

杉田さんの延命治療はすでに2か月を超えました。
治療をどこまで続けるのか、まだ誰も決められずにいます。


 

どこまで延命するのか 揺れる医療現場

ゲスト鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)

●医療現場に課せられた責任は、あまりにも重いのでは?

そうですね。
医療は、とにかくまず助けることっていう形で進歩をしてきて、ここ10年ぐらい、できたら最期のときは、その人がその人らしく、そしてその人がどう思っていたのか、その人に沿った応援をしてあげようっていうふうに変わり出していて、木村医師の苦渋は、この患者さんがどう思っていたのかを必死に探してますよね。
だけど今、なかなかひとり暮らしの方が多くなって、この方が何を考えてたのか、自分の人生の最期はどうあったほうがいいのかが分からない。
そうすると医療現場は本当に悩んで悩んで、木村先生のように優しい方は、ますますどうしてあげたらいいのか。

結果としては、延命医療を続けてる。
でも、本当に杉田さんにとってそれでよかったのかっていうと、どうかなとかって、また僕も悩むし、僕が主治医だったらどうしようかとか、あるいは僕が杉田さんだったら、どうしてほしいだろうかなとかって、悩ましいですよね。

●延命治療に対しての考えは様々だが?

●延命措置をあまり望んでいなくても、実際には受けている方が多い?

・・・・・

ご家族がいる方は、ごはん食べながらご家族に、俺はこう思うんだって言っておいていただければ、何度も何度も言っておいていただければ、父はよく、ごはん食べながらこう言ってましたって言っていただけると、僕たちもそれでずいぶん、その方向で治療していこうっていう指針にはなるんですね。
でもひとり暮らしのこの杉田さんのような方だと、皆目分からない
だから、木村先生の苦渋は大変重いと思います。

●延命装置をつけて医療現場に運ばれてこられる方も多いが?

本当に皆目、苦しんでいるっていうのが、医療現場の状況だと思います。

●書面で意思表示があったとしても、苦渋と葛藤の深さは計り知れないのでは?

●超党派で尊厳死法案の提出が予定・計画されているが、これには賛成されている?

●医療現場にとってあまりにも責任が重い延命治療への考え方、何が求められている?

ガイドラインなんかでは、病院の中のいろんな職種の人たちにも集まってもらって、外部からも法律家だとか、宗教家なんかにも参加してもらって、その地域の中で、そういう命の在り方をみんなで議論をして、その事例に関して、どうもこの方に関しては、積極的な治療をしないほうがいいんじゃないかって思ったときに、人工呼吸器から離れても、もしかして、しばらく何日か生きるとすれば、家族はいないんだけど、家族の代わりになるようにみんなで交代で手を握ってあげたりとか、話しかけてあげたりすることによって、もっと違う、これから新しい、命をみんなで支える在り方っていうのも、一つ、選択肢としてはあるんじゃないか。
でも大事なことは、どんなことをしてでも生きたいっていう人がちゃんと生きれる日本がまずあって、なおかつ、無理はしたくないっていう人には、無理をしないでも済むような守り方、サポートのしかたが、多様にできる日本になっていったらいいかなと思いますよね。


 

今回 わが母がお世話になっているドクターたち

どちらにも 最初から

母の延命治療は しない ということをお伝えしました。

 

それは ずいぶん前から (ボケる前)親子で話し合っている事で

たとえ 私が 交通事故かなんかで 先に問題になる場合も

口から食事できなくなれば その時から

延命はしない。 そうお話しましたら

 

どちらのドクターも

「そんな風にはっきり決断して下さっていると

こちらも 治療方針がはっきりして とてもありがたいです^^」

 

そうおっしゃっていただいています。

 

2018年6月 石榴の花

沢山ついた花は勝手に 身を選びます

そして 育って石榴の実になる権利のあるものだけを残そうとします

どれもこれも残そうとすると 結局 みんなが犠牲になります

決断は 花にも果物にも 人間にも きっと必要な事なのでしょう

 

 

 

 


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