松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

お寺の掲示板のことばは国境を越える  江田智昭

2024-10-01 | インポート

お寺の掲示板のことばは国境を越える  江田智昭

 今月のことばは、東京にある仏教伝道協会が主催する「お寺の掲示板大賞」の企画人、江田智昭師の著書『お寺の掲示板入門』(本願寺出版社)にある言葉です。
 と、冒頭からわずかな言葉の中で説明しなければならない固有名詞が3つでてきてしまいます。1つは仏教伝道協会。2つ目が「お寺の掲示板大賞」。そして、江田智昭。
 まずは、仏教伝道協会から。ここでぐだぐたと説明するよりも、仏教伝道協会のホームページを見て!https://www.bdk.or.jp/(これがネット記事の便利なところですね)
 次に「お寺の掲示板大賞」は、2018年というから、平成最後の年の暮れにはじまった催しです。お寺の掲示板にかかげられた言葉を自薦他薦で応募して、標語内容の有難さ・ユニーク・インパクト等によって入賞を決定する企画です。第一回に大賞を受賞した、「おまえも死ぬぞ 釈迦」の強烈さからこの賞が世間に認知され、第一回の翌年秋には企画者の江田智昭師の著書『お寺の掲示板』(新潮社)が出版されたこともあり、知る人ぞ知る、知らない人は知らない。京都・清水寺の「今年の漢字」と肩を並べる(そこまでは有名ではない)、年の瀬の行事になりつつあります。
 その企画人の江田智昭師に私(松岩寺住職)は面識はありません。冒頭にかかげたご著書のプロフィールを引用しましょうか。
「江田智昭(えだともあき)/1976年福岡県北九州市生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。早稲田大学社会学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。2007年より築地本願寺の一般社団法人仏教総合研究所事務局勤務。2011~2017年、デュッセルドルフのドイツ恵光寺に駐在。2017年8月より公益財団法人仏教伝道協会に勤務。著書に『お寺の掲示板』(新潮社)等がある。「輝け!お寺の掲示板大賞」の企画立案者」。
 というわけで、江田智昭著『お寺の掲示板入門』(本願寺出版社)に「なぜいまお寺の掲示板なのか?」というコラムがあります。以下に全文を引きます。
「中国のニュースサイトでは、掲示板大賞に関する記事が多数アップされており、記事の中には九百以上のコメントが付いているものも存在します。それらを見ていると、日本より中国のほうが「掲示伝道」が有効ではないかと感じるほどです。おそらく「掲示伝道」は、短い格言が大好きな中国人の気質にぴったりフィットしたのでしよう。
 私は大学時代、中国思想を専門としている教授から「漢字文化圏」という言葉を教わりました。確かに、漢字を使用している国民同士には共通する価値観、習慣などが存在します。中国の人たちに「掲示伝道」の言葉が深く届くのは、「漢字文化圏」の影響が少なからず作用したからではないかと私は感じています。
 以前、本願寺派のアメリカ・八ワイ・カナダ・ブラジルの開教使を対象にした研修会で、掲示伝道に関する講演をさせていただきました。
 その際、欧米の人たちには、お寺の掲示板の言葉のニュアンスを伝えることは困難だろうというご意見をいただきました。私もドイツで六年間活動していましたので、その意見に深く首肯しました。言語の構造上、どうしてもうまく伝えることができないのです。
 中国とは、「漢字文化圏」で生活してきた同士、共通していることが実はたくさんあります。そのような共通点を「お寺の掲示板」を通して発見できたことは、個人的に大変嬉しいことでした」、と。
 さて、中国の南東部の大都市で日本人小学生を巻き込んだ不幸な事件が起きてしまいました。同じ漢字文化圏の人間同士なのに、と思うのです。

 


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スマホを持つ手に 数珠を持とう

2024-09-01 | インポート

秋彼岸の九月。今月の言葉は八月の言葉の続きです。八月の言葉はというと、「炎天や念珠にぎりて身を支ふ」。作者は越前春生さん。日経新聞俳壇(令和五年八月五日)への投稿句です。頼るものがないと、しのげないような酷暑に、この句の作者は念珠を握りしめました。
 困ったときに、何を頼るかは、人それぞれでしょう。たとえば道に迷ったとき、スマホの地図を見る人が多いのでは。私も、特に僧衣を身につけている時なんか、カッコウ悪いと思いつつも、見てしまいますねー。
 スマホは、すでに手もとから離せない道具になってしまったけれど、離さなければならない、絶たなくてはならない時もある。昨春、修行道場へ掛搭(かとう=入門)したわが子は当然ながらスマホなんて持たずに道場の門をたたいた。これはずいぶんと特殊な例だけど、身近にもいるはずです。スマホの誘惑を拒絶しなければならない人間が。
 日経新聞朝刊に、「受験考」という連載があります。今夏七月二十九日付けのタイトルは「ゲーーム絶てるか、挑戦の夏」。執筆者は学習塾の講師です。どういう記事かというと、「塾に通ってくる中学三年のユウヤの成績が下がった。理由を尋ねると、1日2時間近くスマートフォンでオンラインゲームをしているという」。そこで、「1日何時間勉強するのか。スマホとの付き合い方はどうするのか」を話し合います。全部で千字ほどの記事は次のようなことばで結ばれています。
「ユウヤの夏は彼自身の挑戦でもあり、我々の挑戦でもある」、と。
 これは珍しくない、どこにでもある当節の現実でしょう。だから、スマホを絶つための書籍もでているし、ネットにも方法がいくつも載っているようです。と書いて笑ってしまいます。ネットを見ないための方法をネットでしらべなくてはならないほど、誰も重障になっているのです。そこで、提案です。
 スマホを持つ手(腕)に、ブレスレット式の数珠を持たないですか。スマホを見ようとした時、数珠も見える。そこで、思うのです。「今は我慢」。ちなみに、九月のことばは自作です。自作は珍しいのですが、このことばで「2024お寺の掲示板大賞」に応募しようと思っています。でもー、「お寺の掲示板大賞」(https://www.bdk.or.jp/kagayake2024/)の応募はX(旧Twitter)かインスタグラム経由なんですよね。私は両方ともやってない。だから、下記に証拠写真も載せるから、誰か応募しておいてくれないかなぁー。応募用写真は↓(自分で写真撮ってみてわかったけれど、まったく十字街頭にあって風情なんてないなー。少しきれいにしよう)

 


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炎天や念珠にぎりて身を支ふ 越前春生

2024-08-01 | インポート

炎天や念珠にぎりて身を支ふ   越前春生

写真 千田完治 

 八月のことばは、令和五年七月一日付け、つまり昨夏の日経新聞「俳壇」に載っていた俳句です。日経新聞の「俳壇」は短歌の投稿欄「歌壇」と同じページに、毎週土曜日に掲載されます。昨年の夏に紹介すればタイムリーだったのですか、このブログを印刷して檀家さんに配る予定があり原稿はすでに印刷所に渡し済で、間に合わなかったから、一年間保管しておいた、というわけ(スゴイデショ!一年前の句の存在を忘れずにいるのだから、それほど、これは秀句だと思う)。
 そんなことよりも、「なんで坊主が経済新聞なんて読んでんのよ。さてはー」と、余計なことを勘ぐられても困るから、最初に言いわけをしておくと、株も投資もしないけれど、名物コラムの「私の履歴書」と、第一面コラムの「春秋」が読みたいので、毎朝寺には日経新聞が配達されてきます。
 以前はこれまた一面コラムの「編集手帳」が読みたくて読売新聞もとっていたけれど、担当の竹内政明記者が書かなくったので、読売新聞はやめた(ゴメンナサイ)。
 ところで、毎朝、通勤列車にゆられている方には申しわけないけれど、私も時たま通勤時間が終わった頃か、始まる前の高崎線に乗ることがあります。そうした時は座席を確保すると、バックに入れておいた新聞をひろげます。今、列車で新聞紙をひろげている人、いないですねー。ひとりでそんなことをしていると「非常識にもほどがある」的な感じで恥ずかしくなるほど、誰も紙なんて読んでいない。スマホの小さい画面からは窮屈なアイデアしか生まれてこないと思うけどなー。そういえば、いく日か前に電車に乗っていて見た風景だけど、ベビーカーに乗せたまだ歩けない赤ちゃんに、お母さんは何を見せてあやしていたと思う?スマホのゲームだぜ。今どきの子どもは絵本も見ないで大きくなっていくのだろうな。なんて想像だけで物を言ってはいけない。飯田一史著『若者の読書離れというウソ』(平凡社新書)によれば、小中学生の読書量はV字回復しているといいます。なぜなのか。飯田氏によると「1993年に文部省(現文部科学省)が学校図書館を活用する教育に転換したこと、(88年に始まった始業前の10分間好きな本を読む)朝の読書運動が浸透したこと、赤ちゃんとその保護者に絵本を渡すブックスタートが始まったこと、などが挙げられます」というし、今、ベストセラーの新書に、三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)なんて本があるらしいから、みんなみんな、スマホばかの見ていてはいけない。とはみんなみんな思っているのです。

スマホじゃなくて数珠を持とうよ、というのが今月の言葉かも知れません。

 冒頭にかかげた俳句です。作者の名は越前春生とありました。選者の俳人、横澤放川氏は次のように批評しています。
「高齢のひとには寒暑いずれも酷なものには違いない。念珠に南無や身もあずけて歩まんず」。
「念珠にぎりて身を支ふ」の句を読んで思い出したのは、平成二五年十二月の言葉にした、小林一茶の「ともかくも あなた任せの 年の暮」https://blog.goo.ne.jp/hakuhoda/e/4bd088109d078e3163efb0925d07ef8eです。一茶の句の「あなた」は阿弥陀さまです。「おのれの計らいは捨てて、弥陀のお誓いにお任せします」。これをナームというのですが。念珠をにぎって掌を合わせるだけでも良いけと、やっぱしそういう時は声に出して何かを念じた方がさまになりますね。念仏でもよいしお題目でもよいし。私どもだったら禅宗だから「ナムシャカムニブツ」でしょうか。禅宗だから坐禅をする時の「ひとーつ、ふたーつ」と数息観も良いし。姿と形プラス声が必要なような気がします。声に出してみるって大事なことです。


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私は不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。   金子みすゞ

2024-07-01 | インポート

私(わたし)は不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀(ぎん)にひかっていることが。   金子みすゞ

写真 千田完治

金子みすゞさんの「不思議」と題した詩です。
みすゞさんは、明治36(1903)年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれます。20歳の頃から童謡を書き始め、生前90篇あまりが、西条八十が主宰していた『童話』あるいは『赤い鳥』『婦人画報』などに入選掲載されるけれど、生前に自分だけの詩集が出版されることはなかった
 結婚、離婚。昭和5年3月10日にみすゞさんは自らの命を絶ちます。26歳でした。その日は離婚した夫が、三歳になる娘の「ふさえ」を引取りに来る日だった。戦前の民法には離婚した母親には親権が認められなかった。
その前日、3月9日。みすゞは下関の写真館で写真を撮っています。なんのためだと思いますか。死後、詩集が出版された時に載せる顔写真をとったのではないだろうか、という(松本侑子著『みすゞと雅輔』新潮文庫)。

 みすゞさんは、死の前日にまだ出ぬ、いや、出版されることがないかもしれない詩集用の写真を撮影する。切ないけれど、こういう逸話をしるとゾクゾクしてきます。そして、人生にもしもあの時、ああしていたらのIFはないのですが、もし、あと一ヶ月で、西条八十が主宰して、竹久夢二の絵が表紙をかざる新しい雑誌に自分の詩が華々しくのることを知っていれば、みすゞは命を絶たなかったかもしれない。いくつかの「もしかして」といくつかの思いが交差するなかで命を絶つのですが、それは機会をあらためて。
 さて、掲示板には冒頭の三行しか載せられなかったけれど、「不思議」は次の詩句がつづきます。

私は不思議でたまらない、青い桑(くわ)の葉たべている、蚕(かいこ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない、たれもいじらぬ夕顔(ゆうがお)が、ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない、誰(たれ)にきいても笑ってて、あたりまえだ、ということが。

 あたりまえのことなんかないんだよ。すべてが、不思議なんだよ。禅も「大いなる疑いがあるところに、大いなる悟りがある」。そう、説きます。つまり、詩人と同じことを教えている。
願わくは七月、銀色の雨ならばよいけれど、集中豪雨なんていうのは遠慮したい今年の梅雨です。


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濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う 永田和宏

2024-06-01 | インポート

前回の「禅にはホームレスの系譜がある」の続きです。

写真 千田完治

ドイツ生まれの青い目の禅僧、ネルケ無方さんは、来日して禅の修行して、続いてホームレス仲間の輪に加わり、一緒に生活しながら、「ホームレスを救済?とんでもない。ホームレスよりも、毎朝肩を落として駅からビルの群れに向って急ぐ、サラリーマンやOLこそ救済しなければそのように思っていました」、と言いました。
禅にはホームレスの系譜があります。かつて、京の五条大橋の下でホームレスをしていたのは、若き日の大徳寺開山、大燈国師(1282~1337)だし、美濃の山奥で牛飼いをしていたのは妙心寺開山、関山慧玄禅師(1277~1360)です。


ホームレス禅僧の元祖、大徳寺開山・大燈国師の次の歌を6月のことばとしようとしました。

「蓑はなし 其の儘(まま)ぬれて行(ゆく)程(ほど)に 旅の衣に 雨を社(こそ)きれ」(平野宗浄『大燈禅の研究』教育新潮社)。

旅の途中でとおり雨がふってきたが蓑はない。そのまま歩くと、雨を着て歩いているようだ。といった意味でしょうか。雨と蓑は対です。「対」の字を使った熟語に、敵対とか対抗があります。雨を避けるために蓑をつければ、雨に対抗して敵対することになります。それほどの雨ではないから「濡れていこう」。濡れてみたら、自然とひとつになって晴れ晴れとした、という気分です。
 でもね、掲示板の一句としては難しくないか。
そこで、歌人の永田和宏さんの『百万遍界隈』(青磁社)所収の短歌にしました。
「濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う」
 筆者が住職する寺の門前を、男子高校の生徒が朝晩自転車で突っ走っていきます。そう言えば、彼らが傘をさしているのを見たことがない。もっとも、傘をさしての自転車走行は危険です。やめましょう。雨に濡れるのは若者の特権なのだろうか。少し前も女子高生が雨の中を傘もなくカバンを頭の上に置いて、傘代わりにしていたのを車で運転しながら見つけました。車にはビニール傘があったので、思わず窓をあけて差しだそうとしましたが、「坊さん、女子高生にちょっかいを出している」なんて思われるのもイヤだから、かわいそうだけど、通り過ごしたのでした。

でも、あの女の子。悲愴な雰囲気ではなかった。傘のない自分を楽しんでいるように見えた。やはり、「濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う」のだな。

追伸 

 雨に濡れるといえば、毎度お世話になっている金田一春彦著『ことばの歳時記』(新潮文庫)の3月29日の項目に「月形半平太」と題した次の文章があります。エチケット違反かもしれないけれど、短文なのでスキャンして転載します。

 春雨の名所は何といっても京都である。私は、ちょうど今ごろの季節、京都をおとずれたかことがあったが、それまでは一面に霧が立ちこめているのかと思っていた。それが、ふと賀茂大橋を渡りかけて賀茂川の水面を見ると、糸のような波紋が無数に描かれては消えていく。気がつくと、なるほど雨とはみえないような細かな水滴が、空中を舞い上がり、舞いおりして、しっぽりと京の町をぬらしているので文部省唱歌に「降るとは見えじ春の雨」と歌われたのはこのことだったかと感じたことがあった。
 新国劇の芝居で見ると、月形半平太が、三条の宿を出るとき、「春雨じゃ、ぬれて参ろう」と言うが、今思うと、彼は春雨が風流だからぬれて行こうと言ったのではなく、横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから、傘なしで行こうと言ったのらしい。そこへゆくと、東京の春雨は「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」という芝居の外題でも知られるように、傘を必要とする散文的な雨である。

 ね、すごい文章でしょう!

 


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