留守と言え/ここには誰も/居らぬと言え/五億年経ったら/帰ってくる
「るす」と題した詩の作者は高橋新吉(1901年~1987年)です。新吉の名前に冠せられるのはダダあるいはダダイズム、ダダイストかという言葉です。ダダなんて聞いた事はあるのですが、よくわからない。『日本国語大辞典』で調べてみれば「第1次世界大戦中におこり、1920年代にかけて盛んとなった美術文芸運動。あらゆる社会的・芸術的伝統を否定し、反理性、反道徳、反芸術を標榜した」とあり、高橋新吉の著作からの用例を紹介しています。
「私が日本のダダの元祖だと言ったら、そうではないなどと言っては困る」(高橋新吉著『預言者ヨナ』)
と、あるくらいだから、ダダの旗手であったにちがいないのでしょう。そうはいわれても、「ダダってなーに」、という感じですが、高橋新吉は禅の傾倒者でもあるのです。
たとえば、手もとには『参禅随筆』(宝文館刊)という本があります。いろいろな修行道場で坐禅をした感想などが書かれているのですが、読んでみると小言幸兵衛が気の向くままにかいた文です。この本、昭和33年初版で定価350円です。何というのでしょうか。奥書には「高橋」という認め印が押してあるシールが貼り付けてあります。こういうのっていつ頃の本まであったのでしょうか。
さて、冒頭の詩は1950年刊の『高橋新吉の詩集』に収められているものだそうです。「そうです」と言うからには、孫引きです。私がみたのは岩波講座『日本文学と仏教』第10巻にある寺田透さんの「現代日本の中の仏教と文学」です。
この詩をどこかで読んだような気もするのですが、脳がアルコール漬けで思い出せない。なんてことはどうでもよくて、5億年というのはなんなのでしょうか。彌勒菩薩が世に現れるのは,56億何千年後だから弥勒さんではないし。あまり深く考えると暑くなるから、涼しく味わうだけで良しとしましょう。