やがて出づる日を待ちをればこの年の序章のごとく空は明けゆく 上皇后さま
撮影 千田完治
新しい年のはじめは、上皇后さまの歌です。御歌集『瀬音』(大東出版社)から引用しました。この歌集は、昭和三十四年から平成八年までの上皇后さまの代表的な歌を年別に編集したものです。出版されたのは平成九年。 「やがて出づる」の歌は「初日」と題されて、 平成四年の項に収められています。 東京で初日の時刻は、6時50分頃だから、その時刻に当時の美智子皇后さまは何をされていたのか。 冒頭の歌の二年前、平成二年には、次のような歌があります。
神まつる昔の手ぶり守らむと旬祭(しゅんさい)に発(た)たす君をかしこむ
「手ぶり」とは、習わしや作法のことでしょうか。「かしこむ」を漢字にすれば「畏こむ」。下手な現代語訳は遠慮いたしますが、歌集『瀬音』は「旬祭」に次のような(註)を添えています。 「毎月一日、十一日、二十一日 に行われる御祭祀 天皇陛下は通常各月一日の祭祀にお出ましになり国の無事をご祈願になる」
平成四年元旦の美智子皇后は、まだ明けぬ寒い中を祭祀にでかける当時の天皇を見送ってから、「やがて出づる日を」待ったのではないだろうか。
祭祀は現在、宮中三殿とよばれる建物でおこなわれるのでしょうが、私は以前、京都御所を特別拝観した時に、てっきり三殿といわれるものがあるのかと探したのですが、ない。京都御所にあるのは、御日拝所(ごにっぱいしょ)と呼ばれる玉石を敷き詰めた円座があるのみです。このことは、もう少しきちんと勉強してから書きます。
さて、上皇后さまの秀歌のいくつかは、歌人の岡村隆編著『現代百人一首』(朝日文芸文庫)にも、斎藤茂吉、寺山修司らと並んでおさめられています。僭越ながら、『瀬音』にあるもう一つの歌をご紹介して新しい年をはじめましょう。
旧東宮御所から皇居に移るときのことでしょうか。「移居」と題されています。冒頭で掲げた歌の一年後、平成五年の作です。
三十余年(さんじふよねん)君と過ごししこの御所に夕焼けの空見ゆる窓あり
非礼ではありますが、すげぇー、と思うのです。