雪の頃ともなれば、花は既に吾々を待っている
「雪 イトド深シ 花イヨヨ近シ」
柳 宗悦箸『心偈(ココロウタ)』より
写真 千田完治
一月も今日で終わり、という日にこれを書いています。前にも書いたかもしれないけれど、月日の流れは、人それぞれで、早いと思う時もあるし、遅いと思う時もあります。
僧侶という立場だから、人が亡くなった後の、四十九日忌、百か日忌、一周忌、三周忌といった節目に立ち会います。その時に、「もうあれから一年が経ちましたか。早いですね」という言葉は口にしないようにしています。
他者にとっては短い日であっても、苦しみもがいている人には、明けぬ日のくり返しであるかもしれないから。
なんて言いながら、この一月は、わたしにとって長い一か月でした。正月があり、その気分を振り払う期間があり、やらねばならないことを新たにはじめたり、と変化のある時間を過ごしたから、長く感じたのでしょうか。決して充実していたという意味ではありませんが。
さて、『おうちで禅』の172頁からの「落葉が黙って教えてくれること」でも書きましたが、毎朝6時に鐘をつくので、ゆっくりと、あるときは激しく動く季節の移ろいに敏感になります。
朝6時に東の空は真っ暗の日が続いていましたが、数日前から仄(ほの)かに明るくなってきました。こうした文章を書く時、そうでなくても仏教・禅という難しことをテーマにするので、なるべく漢字を多用しないようにしているのですが(それで、かえって読みにくくなる場合もありますが)、「仄か」という漢字は雰囲気を持っています。それで、使いましたが、寒いけれど、季節はほんの少し変化してきています。
というわけで、今月の言葉は、民芸家の柳宗悦さんの詩集より。お正月に続いて、大岡信著『第六折々のうた』(岩波新書)に教えられました。以下にその全文を紹介します。
『心偶』(昭三四)所収。「民芸」の柳宗悦はもとより有名だが、彼の活動領域ははるかにそれを越える。近代の最も秀でた思想家の一人であった。その彼は晩年このような漢字片カナ文による短詞を好んで作った。一群の作の中には、物の美を讃える「物偈」一連もあるが、ココロウタとみずからよませた「心偈」は、さらに自由に心境を吐露している。右の短詞には自註があって、いわく「雪の頃ともなれば、花は既に吾々を待ってゐる」。
〈蛇足ですが、「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(2021.10.26~22.2.13)〉という展覧会が東京国立近代美術館で開催中です〉