花岡博芳著/川口澄子画/山原望装丁の『おうちで禅』が、7月15日に春陽堂書店から出版されました。四十の独立した話から構成されていて、各項目の冒頭に、それぞれ名言名句を掲げています。9月もしつこく『おうちで禅』のことばから。
第2章第1話のタイトルは、「ただ坐れというけれど坐れば何がわかるのか」。
「坐れば何がわかるか」は本文を読んでいただくとして、そのタイトルに添えられているのが、八木重吉(1898~1927)の詩です。重吉は肺結核のため二九歳で世を去ります。「わたしのまちがいだった」の詩は生前に出版された唯一の詩集『秋の瞳』に収められています。
この詩集は、大正14年(1925)に発行されているから、亡くなる2年前のことになるのでしょうか。今から95年前の本なんてたやすく、見ることはできない。そう、思ってあきらめるのはちと早い。まったくもって便利で良い世の中になって、国会図書館のデジタルコレクションで保護期間満了のため、公開されているのです。これには、たまげた。国会図書館の検索で「八木重吉」で調べたのでは膨大な資料に埋没して探すのに苦労するけれど、ずばり『秋の瞳』で引くと、容易にたどりつけます(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/915569)。
正確に下記に引用してみます。
わたしの まちがひだった
わたしのまちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
一行目は「まちがひだった」。二行目は「まちがいだった」。「ひ」と「い」の違いに気づかれましたか。
私は『八木重吉全詩集』(ちくま文庫)から引用したのですが、そこでは2行とも「まちがいだった」になっていますし、重吉の死から五十数年後、谷川俊太郎は「間違い」と題した詩を書いて(『日々の地図』集英社)、詩の冒頭でそのまま「草にすわれば」を三行引用していますが、そこもやはり「まちがい」になっています。
そもそも、「ひ」と「い」の違いにはじめに気がついたのは、深谷市・国済寺住職、細見俊明師でした。細見師は現在、南禅寺派の教学部長をしています。だから?そんな小さい事にまで目がいくのでしょう。
「次の機会には、(まちがい)を(まちがひ)に修整しよう」
と私が言ったら、俊明君がいいました。
「もしかしたら、『秋の瞳』の誤植かも」
うーん、それも考えられる。95年前の初版本を簡単に見ることができる、良い時代になりはしたけれど、もしかしたら誤植かもしれない一字が時空を超えて、我が机のうえに瞬時にやってくる。イヤな時代にもなりました。