生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンとなる。 「ブッダのことば(スタッニパータ)」より
撮影 千田完治
九月のことばは仏教経典の中でも最も古いといわれる『スッタニパータ』からです。古いということは、後世の手垢がついていない。おのれの主張に合うように釈尊のことばを脚色してないから、明快です。言ってみれば、防腐剤もはいらず、瓶にはラベルも貼ってない、蔵出しの生一本といったところでしょうか。
│生まれがあなたをつくるのではない。今のあなたの行為が自己自身を作っていく│。いやな事が続く今だけど、読んだだけでスッキリしませんか。バラモンというのは、古代インドで最高の地位をいいます。
よく知れた有名なことばなのですが、忘れかけていた名句を思いださせてくれたのは、奈良興福寺貫首・多川俊映師がこの四月からNHKラジオ「宗教の時間」の講師をされていて、そのテキスト『唯識・心の深層をさぐる』でした。定価1045円の本だから、新刊で買えばよいのですが、ついでがあって825円でネットの古書店から買いました。
古書とはいえ綺麗ではあるのですが、ラジオ講座の第一回放送分の冒頭の十個所ほどにに赤鉛筆で線が引かれています。良い気分ではありません。古書ですから仕方のないこと。パラパラと後のページをめくっていくと読んだ形跡はありません。
このテキストを最初に買った人は、講座の第一回の冒頭をきいて、諦めたのでしょう。唯識(ゆいしき)は難しいのです。
唯識は奈良時代(八世紀)に中国から伝えられた「法相宗」の教えで、藥師寺や興福寺、京都の清水寺も唯識です。
正直に白状すれば、わたくしは「唯識」が、わからない。わからないから、わかろうと思って、多川師の著作だけで数冊もっています。が、よくわからない。なぜかというと、禅とは真逆の方向にあるから。どういうことかというと、禅は中国で育てられた体験の仏教です。それにたいして、唯識はインドで生まれた大乗仏教の壮大・精緻な論理を伝える教えです。
体験と論理ですから、距離がある。距離をどうにか縮めようとおもって、わかりやすく唯識を語ってくれる多川師の本を読んでいます。九月のことばにした名句の前に多川師は漱石の『草枕』の一節を引きます。「生まれによって賤しい…」の現代語訳ともいえます。
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない、やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である」。
最初は、このことばを九月のことばにしようかと思ったのですが、ただでさえ仏典の言葉がすくない松岩寺の伝道掲示板ですから、最も古い経典のことばを採用したという次第です。