政府は今 農協の改革をしきりに 訴えている.私も学校を卒業して最初の就職先が
農協であったから ということだけではなく 私自身の育ちが 農協の前身と思われている
産業組合のいわば「組合っ子」だったからである..
一般的に 他の国においてもそうらしいのであるが 大方家族による産業として
出発し そこが原点になっている.
農協を考えるとき 近代的経営学を駆使して 利益の出る株式会社方式の農協に
変えようとしているのが 政府の考えである.石場幹事長や農林大臣,稲田大臣
みんな大規模農業を頭に入れている.
けれども日本は他国と違い 列島を貫き裾野は海岸にせまる狭小な国土で 北海道
とか関東平野とか濃尾平野などとは比較にならぬ狭小な俗にいう三反百姓のことも
頭に入ってのことだろうか.
いまひとつは 農業という産業は生活そのものとして考えている即生活観から生まれた農業がある.
実は三反百姓こそ農協の主人公であった.
共存共栄という思想的なものが根っこに百姓魂として存在していた.東洋的精神世界が
農協運動には欠かせなかった.なぜなら自然災害に打ちのめされても 百姓たちはあくことも知らず
立ち上がった.貧しい村に桃源郷を求めるには とても金儲け主義では存在しえなかった.
安倍農業改革にはそこが欠落していた.
そして 百姓たちの桃源郷への夢を利用したのが自民党という政治権力に庇護を求めたことからであった.
選挙のために 自民党への投票依頼をして回っていたころ わたしは農協はこれでいいのか.
幾度も悩んだ.我々が描いた農協改革は官製農業改革ではなかったのだ.
産業組合から農業協同組合へと歴史はつながっていく.優に100年の歴史である.
『朝風たかく翻る.わが組合の旗印.老いもわかきも手をとりて
いざもろともに 進みなん.』
現在は消え逝く村である.人口2000人だ.でもそのとき村は15,000人の人達が暮らしていた.
「乏しきを分かち合い.共同で道路も整備し,一人の犯罪者もなく,朝な夕なに挨拶を交わし
みんなして子供たちを見守り まさに桃源郷である.」父が産業組合の創立者であり
また村の医者でもあった.よる夜中でも台風の日でも 身体障害者である父は病人が出ると気軽に出かけていった.
私も小学生のころ父のかばん持ちをして周りをさせられた.
中央会は 農協青年部などを作り 懸命に自民党を支えてきた.今自民党から切り捨てられようとしている.
安倍流の地方改革は地方への都市化の導入である.農業改革もそうだ.一部分の大規模農家の
話に過ぎない. 三反百姓のことなど頭の隅にもあるまい.