息をしていないのではないかと見紛うくらい、青白い顔で寝ている悠理を目にした俺は、心が千々に乱れそうになるのをグッと堪えながら、その枕元に静かに座した。
そして、震える指先で悠理の頬に触れ、生を感じる温もりを実感すると、無意識のうちに安堵の溜息を漏らした。
───よかった。ちゃんと息をしている。
手の届かぬ所へ召されなくて、本当によかった。
心底そう思うと同時に、ここまで悠理を追い詰めてしまった自分に、そこはかとない怒りを覚える。
いくら守秘義務を伴う仕事とは言え、コイツをここまで傷付け苦しませる必要があったのか。
せめてコイツにだけは、ある程度打ち明けてもよかったのではないか。
いや、例え身内にでも極秘捜査の内容は教える訳にはいかない。
そんな複雑な思いが交錯する中、俺は悠理の温もりに触れたい一心で、コイツの頭をそっと優しく撫でた。
「ありがとな、野梨子」
「何がですの?」
「悠理に寄り添ってくれて。付き合ってくれたんだろ?コイツの話に」
「え?え、ええ。別に大した事ではありませんわ」
「・・・そうか」
俺にも気を遣い、心配無用と言わんばかりの野梨子の物言いに、心底感謝した。
こういうところは流石だなと思う。
もしこれが可憐だったらどうなるか。
そんなモン、火をみるより明らかだ。
こちらの言い分に一切耳を傾けず、頭ごなしに否定して、問答無用とばかりに俺を追い払う。
呪詛まがいの恨み言を口にしながら。
絶対に悠理と会わせてくれなかっただろう。
それが分かるだけに、悠理の頼った先が野梨子で本当によかったと沁々(しみじみ)思った。
そんな事を胸の内で思いながら再度、感謝の念を伝えようとした時、野梨子が頬を赤くしながらやたらと俺をチラチラ見ている事に気付いた。
「何をそんなに見てるんだ?何か顔についてるか?」
「あ、いえ。その・・・」
そう問う俺に対し、野梨子は気恥ずかしそうな素振りを見せながら言葉を発した。
「目のやり場に困っているだけですわ」
「目のやり場?」
「ええ。だって、魅録の全身から伝わってきますもの」
「何がだ?」
「悠理が大切で、かけがえのない存在だっていうオーラが。本当に心から求めてらっしゃるのね。悠理の事を」
「ああ。コイツは俺の核となり、俺を形成してる女だからな」
「核?」
「悠理ありきの俺だ。何かするにしても、悠理を派生して事にあたる。コイツがいなけりゃ、俺は俺じゃいられねぇ。コイツが傍にいてくれねぇと、俺はダメになる。だから・・・」
「だから・・・何ですの?」
「何があっても手離さねぇ。みっともないくらい足掻いてやるさ。コイツを自分の元に引き留める為ならな」
悠理が俺の元からいなくなる。
それを想像するだけで、身の毛がよだつ。
コイツが傍にいない人生なんて、考えられない。
もしコイツがいなくなったら、俺は生きた屍となるだろう。
だから俺は足掻く。
コイツを手離さないように。
「さっき、昔付き合ってた女と何で別れたのかって聞いたよな?俺に」
「え?え、ええ」
「悠理本人の前で答えるって約束したからな。今、ここで話すよ」
「でも悠理は眠って───」
「今、話す」
悠理が目を覚ましてから話せばいいのに。
そう言いたげな野梨子を目で制した俺は、悠理の頭を撫でていた手を止め膝の上に置くと、その当時を振り返りながら別れた理由を述べた。
「偶然、街中で鉢合わせした事は聞いてるか?」
「ええ。魅録に彼女を紹介されたと窺いましたわ」
「そうか。まあ、その後の話なんだけどな」
軽い挨拶を交わし別れた後、当時の彼女がポツリと呟いたんだ。
あの子の事、好きなんだね・・・と。
最初俺は、彼女がどういう意味を持ってそんな事を口にしたのか分からなかった。
だから、額面通りにその言葉を受けとめ、こう返したんだ。
「好きに決まってんだろ。大切な仲間の一人なんだから。あんなに気の合うダチは、そうそういねぇよってな」
「それで、彼女は何と?」
「ただ一言『冬眠中なんだね』って」
言われた当初はチンプンカンプンだったさ。
だってそうだろ!?
いきなり冬眠中って言われても、何の事だか分かりゃしねえ。
何を指して言ってるのか、何を比喩して言ったのか、全くもって理解出来なかった。
「けど、その言葉の意味を知る出来事があった」
「出来事?」
「ああ」
彼女とデートしていた時、街中にいる悠理を偶然見かけたんだ。
珍しく女っぽい格好をして、薄化粧した悠理をな。
「あんな悠理の姿を今まで見た事がなかったからさ、てっきり罰ゲームかと思ったんだよ。可憐や美童に無理やり女っぽい服を着せられ、化粧もされちまったって」
「まっ!」
「だから、冷やかしてやろうと思ってさ、声をかけようとしたんだ。けど、アイツの隣に誰かいる事に気付いた瞬間、全身固まった」
俺の知らねぇ男の隣で、無邪気に笑う悠理を目にした時の衝撃は、未だに忘れる事が出来ない。
俺ですら見た事のないあんな悠理の笑顔を、あの見知らぬ男は引き出せている。
俺以外の男が悠理の笑顔を、悠理の隣を、そして悠理との時間を独占している。
それを思っただけで体中の血がたぎり、言い様のない怒りがこみ上げてきた。
今すぐにでも、あの男から悠理を引き離し、誰の目にも触れぬ場所へ閉じ込めてしまいたい。
俺以外の男の前から、悠理を隠してしまいたい。
そんな衝動にかられた。
「心ん中に嵐が吹き荒れたって表現が、一番しっくりくるのかな。兎に角、感情が乱れに乱れた。自身をコントロールするのに必死だった」
けど、そんな俺の心中を彼女は見破った。
隠せば隠すほど、誤魔化せば誤魔化すほど、心の動揺は全身に現れる。
それを彼女は見逃さなかった。
と、その当時を振り返るうちにまたも怒りがこみ上げてきた俺は、軽く頭を左右に振って雑念を追い払ってから先を続けた。
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