平安時代に活躍した高僧に祈親(きしん)上人という方がいらっしゃいました。
この方は、非常に『法華経』を信仰していたため、持経上人とも呼ばれました。
長和5年(1016年)に上人は高野山へ上られますが、当時の高野山は荒廃し、見るも無惨な世界が広がっていました。
この有様を悲しんだ上人は高野山の再興を誓い、「願掛け」として藤を地面へ逆さに植えたのでした。
不思議なことに、この藤はしばらくして芽生えはじめ、それとともに高野山の再興の兆しが見え始めたということです。
祈親上人は高野山再興の功労者であり、弘法大師の生まれ変わりとして多くの人々から慕われました。