(再建された中門とその前に佇む対面桜)
古伝によりますと、もとは大塔の前、金堂の東辺りに桜があったそうです。
平安時代の頃に大塔が落雷で焼失してしまいました。
再建の折、「修造奉行」として 平清盛が任命され、清盛は立派に大塔を再建されました。
修造が終わり、供養のために登山された折、大塔の桜の樹のもとに一人の老僧が清盛の前に現れます。
その老僧曰く、「大塔が修造されたことはめでたいことだ‐中略‐ただし、悪行を行うことがあれば、このさき子孫まで願望が叶うことはないだろう」と説き示され、
二、三町ほど過ぎたところで、その姿が消え失せたそうです。
清盛は「あれは大師であったか」と大いに心に思うところがあったそうです。
このように、桜の樹木のもとにお大師さまが影向(ようごう)され、対面されたことから、その桜の樹を「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ぶようになり ました。