平成29年1月15日(日)に参加した、
2017年 名鉄のハイキング ウィンター大会
「歴史の息遣いを感じて 味鋺まちあるき②」の続きです。
コースは、あと3キロの地点まで来ました。
川沿いを歩いています。
この川は水分ですね。
ちょっと特徴的な水門が見えてきました。
「庄内用水元杁樋門」です。
明治43年5月。
もう100年以上の施設なのですね。
庄内川を堰き止め、あふれた水をこちらの川へ流すため、この庄内用水元杁樋門が造られたそうです。
この川は、近くの矢田川へ流れ、さらに名古屋市内を流れる堀川へ注がれます。
堀川は、船運や治水を目的につ造られた人口の川です。
この川を利用し、物流が効率化し、商業は大いに発展しました。
お酒や醤油、味噌などの運搬は、船が大活躍しました。
水分橋へ
庄内川に架かる、水分橋を渡っています。
庄内川の上流側に川を堰き止めるダムのようなものがあります。
頭首工(とうしゅこう)です。
川を堰き止めて水位を上げ、先ほどの庄内用水元杁樋門へ水を流すという仕組みです。
面白いですね^-^
堰き止められた水から湯気のようなものがたっていました。
空気より水の方が暖かいのかな?
水位の段差から出た水しぶきがこうなるのかな?
なんか不思議ですね。
その湯気がすっと上流の方向へ流れていきます。
まるで生き物のようです。
あの湯気たちはどこまで行くのだろう。。。
不思議な現象でした。
水分するところがあるから水分橋というのかな?
水分橋を渡って、住宅街を歩いていきます。
あ!
着物マンがいたw
「味鋺神社」へやってきました。
お参りしていきます。
味鋺(あじま)神社
流鏑馬の記念像
流鏑馬は、平安時代から戦前まで行われていたそうです。
境内の一画にあった清正橋
今日はまだ誰も渡っていませんね。
赤ずきん、渡ってみましたw
御祭神は、ウマシマジノミコト。
物部氏、穂積氏、采女氏の祖神とされています。
『日本書紀』では「可美真手命(うましまでのみこと)」
『古事記』では「宇摩志麻遅命」、
『先代旧事本紀』では「味間見命(うましまみのみこと)」と表記します。
この神様は、この辺りの味鋺(あじま)とか味美(あじよし)という地名の由来になってそうですね。
まつろわぬ神が寝返り、天皇に帰服しました。。
大昔のお話です。
拝殿の鬼瓦と神紋
たちばなの神紋が使われていますね。
この神紋から辿っていくと、もっと詳しい歴史を知ることができると思います。
コースはいよいよ終盤を迎えます。
続きはまたです。