赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。
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史跡散策路 ❻姫街道とハイキング ゴール

2021年01月23日 06時00分00秒 | 名古屋市 史跡散策路

令和3年1月3日(日)

名古屋市主催 史蹟散策路コース 天白区

姫街道とハイキングの続きです。

 

コースを歩いていると、またまた池が現れました。

ここは大堤池ですね。

 

水鳥がいました。

 

赤ずきんが池を覗き込むと、隠れていたカルガモが出てきましたw

ごめんねぇ~

 

池の周りを進んで行くと、道路に出ました。

 

信号を渡って、住宅街を抜けて行きます。

 

割と大きな道路へ出ました。

この道をしばらく真っ直ぐ進んで行きます。

 

左の方に寺院らしい建物が見えてきました。

 

秀伝寺」です。

曹洞宗。

明応2年(1498)僧宗栄の創建。文禄元年(1588)の冬に焼失して廃寺となっていた。

その後、徳川家康の命により、日進村龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて慶長17年(1612)再興された。

御本尊の釈迦牟尼仏は、享保10年(1725)に作られたもの(WEBより)

 

日進村龍谷寺は、白山宮のお隣にあるお寺さんですね。

お参りします。

 

(○'ω'○)ん?

境内で住職さんとお子さんかな?

サッカーの練習しておりました。

挨拶して、お参りさせてもらいます。。

 

コースへ戻って、再び道沿いの歩道を進んで行きます。

 

交差点に道案内がありました。

 

姫街道(旧平針街道)

これですね。。

 

案内通り左へ進んで行きます。

 

この道が街道なのかな?

 

(○'ω'○)ん?

この右へ続く道が「姫街道」のようです。

右へ進んで行きます。

 

道幅は街道っぽいですが。。。

 

特に街道っぽいものは残っておらずw

 

神田 かつら

いつからあるのだろう。。。

 

姫街道(平針街道)は、慶長1717年(1612)徳川家康の命により、三州岡崎から名古屋城への近道として造られた。

この街道は、江戸時代の主街道である五街道の一つ東海道に対して、姫街道とも脇街道ともいわれた。

街道の両側には松並木が続いていたが、太平洋戦争中、造船などの必要から伐採され、今では跡形もない。

街道開通に際して人馬の継場(つなぎば)が必要であったことから、郷の島にあった16軒の農家に移転を命じ、

街道ぞいに移り住まわせ、「平針宿」が誕生した。

その後、足助街道、熱田街道の交わる交通の要所として発展し、本陣、脇本陣も設けられ、宿場として大いに賑わった(WEBより)

 

お堂がありました。

 

御嶽神社と書かれていました。

 

お不動様ですね。

 

四国西国秩父坂東霊場巡拝供養塔。

四国、西国、秩父、坂東。。

お遍路さん出来ない人のために建てられた供養塔のようです。

 

大きな通りへ出ました。

地図が見辛くてよくわからないので、とりあえず真っ直ぐ進んでみます。

 

(○'ω'○)ん?

変わった歩道橋があったので来てみました。

 

真ん丸な歩道橋でした。

 

歩道橋を渡って、真っ直ぐ進んで行きます。

 

道沿いに真っ直ぐ進んでいますが、コースはよくわからずw

 

平針西口の交差点です。

 

信号を渡って、さらに真っ直ぐ進んで行きます。

 

飯田街道

ここの交差点を右へ。

 

もうこの辺りへ来ると、駅っぽい感じがします。

 

これは駅ですね。

もうすぐゴールです。

 

地下鉄 原駅」に到着。

無事ゴールすることが出来ました。

(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪

 

今回のコースは、天白区の史跡散策路を歩いてみました。

街中にもいろいろな史跡が残っているのですね。

名古屋農業センターは残念でしたが、また日を改めて行ってみたいと思います。

姫街道は豊川のコースにもありましたが、結局抜け道かしら?

別名脇街道とか言われているみたいですね。

 

名古屋市の史跡散策路は、まだまだたくさんあります。

また歩いてみたいと思います。

 

本日の総歩数は15029歩、総距離9.2キロでした。

ご覧いただき、ありがとうございました。

コメント
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