風は感じるものである。「風を読むとは、一体どういうことだ。」という読者諸
氏がいらっしやると思う。
実際、職業として風を読んでいる人たちがいるではないか。天気予報士という人
たちである。彼らはどこに高気圧があり、どこに低気圧があり、どこに前線が在る
かなどという事を分析して日々天気の傾向を読み解いているではないか。
最近は、その精度も上がり間違いなくその通りになる。レーダーや周辺機器の精
度上りがり情報の収集が比較的楽になったり、宇宙のはるかかなたから人工衛星を
利用して広範囲に情報を集めることが可能になった為だと考えられる。
また、経済評論家や、株の動向を予測するということも、さまざまな要因を分析
検討することでその傾向を読み解いているといえる。傾向はつかめるようにはなっ
たが、なかなか的中しないのもまた事実である。今回の不景気を予測した人は数人
のアナリストと感性を仕事としている文学関係の人ではなかったかと思っている。
彼は日本のバブルの崩壊もその数年前から指摘していたようだ。
商品にもその傾向がある。簡単に言ってしまえば、ブームという事になる。何十
年も前、メガ・トレンドと言う本を書いた人も経済の専門家ではなかったような気
がしている。どこから出版されたのかも不明である。書斎のどこかにあるはずだ
が、見つけ出せずにいる。
一概には言い切れないが、その傾向の中で私たちはどの範囲で軌道修正できるか
という検討はしてみるべきである。軌道修正できなくてもその一部を取り込むこと
は可能である。人、物、金(資本)、技術、情報を分析してみることが大切な時代
になってきた。自分の会社の力量をオペレーションしてみることである。
「ジャンボを釣った人々」はプログから削除してあるが(学の苦悩の章だけはどこ
かに掲載しなければならない思っています。)
販売会社にいたっては、その傾向の商品を採用すればよい。取捨選択ということである。あるコンサルタントが本の中で「人間は空を征服したのではない。自分たちを自然法則に合わせることで成し遂げられた成果である。」「自然法則はダビンチの生きていた時代と少しも変わっていない。」と表現していた事を思い出した。
宮沢賢治は「風の叉三郎」という小説の中で風を文学にまで高めて見せているではないか。風の特徴を見事に文学として華昇しているではないか。
商品や、流行や傾向を読むという行為はおそらく、感性だけではなく、情報も、
知識も要求されるまさに学問の最先端ではなかろうか。技術的な知識も、其れをど
こに利用できるか(転用)ということも知らなければならないといえる。まさに、
総合学科である。